『教育社会学研究 第114集』を読む

連日30度以上35度近くの猛暑が続くと、クーラーのある家から外に出る気もなくなる。午前中の早い時間であれば、暑さに抗して外でテニスや卓球ができないわけではないが、その後は疲れて、何もできないた1日になってしまう。昨日(26日)は、クーラーのある部屋に1日いて、最近送られてきた学会誌『教育社会学研究第114集』(東洋館、2024、7)に目を通した。現役で働いていた時は、忙しく学会誌が送られて来ても、直ぐ目を通す時間はなく、また目を通しても興味をもった箇所だけだった。今回は、他にやることがなく、冊子全部に目を通した。このようなことができるのは、退職者の特権である。記憶に残った点を記録に残しておきたい。

  1. 一般の市民が大学教員を、専門職としてみなしていないという結果を示している論稿があった(村澤昌崇他「大学教員の変容と市民社会の変容」)。大学教員が「専門職」とみなす人が45.2%と、医師86.8%、弁護士90.9%、小学校教師49.1%より低くなっている。「理論的な専門知識の必要性が高い」という評価が、医師74.7%,弁護士69.6%に対して大学教員は38.2%と低く、小学校教師31.1%とほぼ同じである。「仕事のやり方が自分で決められる率が高い職業」は、医師16.5%,弁護士23.5%に対して大学教員は14.7%と低い。小学校教師は3.6%。「高い倫理性が求められる職」は、医師、弁護士6割に対して大学教員は34.7%と低く、小学校教師47.6%より低い。「社会にとって重要な役割を果たしている」は、医師74.5%,弁護士36.4%に対して大学教員は16.1%と低く、小学校教師38.7%より低い。このように、一般市民の大学教員に対する評価は、思った以上に低い。/大学教員や大学が、「学問の自由」をいくら主張しても、それに対して政府がいくら介入しても、市民は政府に反対しないのではないかと感じた。(ただ、この結果は私の認識とかなりかけ離れており、WEB調査ということであるが、どのようなサンプリングでどのような人が回答しているのか、疑問も感じた)。
  2.  母親が性別役割意識をもっているかいないかで、子どもの家事の手伝いのさせ方に性別差があるかどうかを調べた調査で、予想に反して、性別差がなかったという結果が報告されていた(戸高南帆「どのような母親が家事を子どもにしつけるのか」)。親の意識と子どもへのしつけ行動は別という考察であった。そもそも日本では親が子どもにお手伝いをさせることは少ないのではないか(一方で、ヤングケアラーの子どもは増えているが)
  3.  親の子どもへの教育態度には、教育・地位達成を求めるものと、社会貢献を求めるものがある。前者の達成に影響を与えるものとして親の社会階層があるが、後者に影響を与えるものは、親の人間関係やソーシャルネットワークや社会関係資本であるという仮説で、データで検証した論稿があった(荒牧草平「教育態度に関する社会階層と親族ネットワークの影響」)。親の人間関係が、子どもの社会貢献意識を高めるという仮説と検証には、若干違和感を感じた。高い社会的地位の達成より人の役に立つ職業に就きたいという子どもは、豊かな社会の中で一定程度いると思うが、それがどのような社会層からどのようなしつけや教育のもとで出てくるのかさらに研究が必要だと思う。難民支援や特別支援、看護師志望やボランティア活動は、どのような人が志願するのか。同時にに、一般の人の利己主義ではない利他主義志向が、どのような契機で形成されるのかのを知りたくなった。
  4.  女子生徒で、特に中学校時に「女子のグループ」から排除されて、不登校におちいるものが多いという。その集団からの排除の起点には、「規範からの逸脱や目立つ言動、リーダーに逆らう行為」があり、その(排除の)理由には男子生徒の支持もあり、教員も同調し「お前が悪い」とその女子生徒を叱責し、女子生徒は学校に居場所を失い、不登校におちいるケースが多いという、インタビューによる女子の生徒文化研究は、なかなか興味深い。(大久保遥「女子グループからの排除と学校からの排除」
  5.  学校教員は、児童生徒が学習塾に通うことをどのように感じているのか。学校教員と塾講師の違い、特に専門職性の違いをどのように考えているかを、学校教員にインタビューした結果からの考察の論稿があった。Foumierのバウダリー・ワーク理論を使っての考察であるが、これまでの教員の専門職論に一石を投じるものとして読んだ(溝脇克弥「学校と学習塾の<境界。:学習指導をめぐる教師の専門性の構築過程」)
  6.  職業教育と労働市場の関係を考察する時、高校の学科(普通科かそれ以外か)や学歴別や大学の専攻別の就職状況を調べることが多いが、職業と密接に結びついている専門学校や、職業とは無縁の芸術系の大学の学生の就職就業状況を調べることにより、これまで見えていなかったものが明らかになるという報告(課題研究報告 「職業教育と労働市場の関係を捉えなおす」)に、興味をひかれた。

「持続可能な開発のための教育(EDS)」とキャリア教育との関連について

EDS (Education for Sustainable Development)に関しては、教育関係の議論ではよく出てくるが、どういう訳か教育社会学で話題になることがほとんどない。平成30年に出版された「教育社会学辞典』(丸善出版)では、永田佳之氏が小項目で2頁(766-7頁)書いているだけで、索引でも3箇所で言及があるだけである。EDSはあまりに理想論的過ぎて、現実的な社会学的な考察に馴染まないのであろうか。現在の世界の子どもが直面している深刻な問題(戦争の犠牲)に関しても、何もできていないことなど。

 ESDに関しては、文部科学省国際統括官『持続可能な開発のための教育(ESD)推進の手引)』(令和3年5月改訂、平成28年3月初版)という報告書があり、それをWEBで読んでみた。https://www.mext.go.jp/content/20210528-mxt_koktou01-100014715_1.pdf

その中に、EDSは、「地球規模の課題を自分事として捉え、その解決に向けて自ら行動を起こす力を身に付けるための教育」とあり、これはまさに、現代のキャリヤ教育に求められることではないかと思った。そこで、文部科学白書の平成5年版(https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab202001/mext_02820.html)でキャリ教育に関して書かれている箇所を参照してみた。

初等中等教育の「学習指導要領」の項に、下記のような記述がみられた。

<あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められます。このような時代において、子供たちが未来を切り拓くために必要な資質・能力を確実に育成するため、29年から31年に学習指導要領等の改訂を行いました>
生成AIに尋ねてみた。以下がその質問と回答。EDSとキャリ教育には関連のあると、生成AIは答えている。

問 ESD とキャリヤ教育との関係を教えて下さい。

回答1 Chat GPT―ESD(Education for Sustainable Development)は持続可能な社会を実現するための教育であり、環境問題、経済の持続可能性、社会の公平性など、広範な課題に対する理解と行動を促進します。具体的には以下のような要素が含まれます。環境教育、公民教育、グローバル教育、経済教育、文化理解。/ キャリア教育は、個人が職業生活において成功するための知識、スキル、態度を身につけることを目的としています。具体的には以下のような要素が含まれます。職業理解、職業選択のスキル、職場でのコミュニケーションスキル、自己理解と自己評価./ ESDとキャリア教育は、以下の点で関連しています。①共通の目標: 両者は共に個人の成長を促し、社会に貢献できる市民を育成することを目指しています。持続可能な社会の実現や、個々人のキャリアの成功は、社会全体の幸福や持続可能性に直結します。②スキルの重複: 両者は、批判的思考、問題解決能力、コミュニケーション能力などの共通のスキルを育成します。これらのスキルは、持続可能な社会の課題に取り組む際にも、職業生活においても重要です。③社会的・経済的文脈の理解: ESDは持続可能な発展に関する広範な理解を促進し、キャリア教育はその中での職業選択やキャリアの意義を理解する手助けをします。例えば、再生可能エネルギーの分野で働くことが環境問題の解決に寄与するという理解は、ESDとキャリア教育の交差点です。④ 持続可能なキャリア: 持続可能な発展を考慮したキャリア選択や企業活動が増えています。これにより、キャリア教育の中でESDの視点が取り入れられることが求められます。。持続可能なビジネスモデルやグリーンジョブなどの概念は、その一例です。/ESDとキャリア教育を統合することで、持続可能な社会の実現に向けた教育が充実し、個々人のキャリア形成にもプラスの影響を与えることが期待されます。

回答2―Bingチャトの回答 -ESD(持続可能な開発のための教育)とキャリア教育は密接に関連しています。/ESDは、持続可能な社会を築るために必要な知識、スキル、態度を育む教育です。具体的には、環境、社会、経済の側面を統合的に理解し、課題解決能力を養うことを目指しています。ESDの導入により、学習スタイルが体験、探究、問題解決に重点を置いたものに変化し、学習者主体の参加型の学習が促進されています。/キャリア教育は、生徒が自己理解を深め、職業選択や進路決定に向けた準備をするための教育です。将来の職業やキャリアについての情報提供やスキルの習得が含まれます。/ESDとキャリア教育は、持続可能な社会を築くために必要なスキルや価値観を育む点で共通しています。ESDとキャリア教育は、持続可能な社会を実現するために連携し、相互補完することが求められています。ESDの目標に関連付けたキャリア教育の実施は、ESDの目標達成に向けた授業開発となり得ます。総じて、ESDとキャリア教育は、持続可能な未来を築るために協力して取り組むべき重要な教育領域です。

新井郁男著『教育に”ひとこと”』を読む

 上越教育大学名誉教授の新井郁男先生より最近の御著書『教育に“ひとこと”』(時事通信社、2024、8.1)をお送りいただいた。これは、新井先生が1976年から最近まで47年間に、内外教育の「ひとこと」の欄に書かれた論稿から選んで、1冊の本にされたものである。現代の教育問題に関しては、幅広く深い視点から考察され、新井先生の博学でユニークな視点から考察されたものばかりで、考えさせられる内容が多い。たとえば、下記のような内容が書かれている。

①学習指導要領には、法的拘束力があることを、1976年の最高裁判決が認め、その際「最低限の基準と考える」ということと「教育政策上の当否はともかくとして」いう記述を残している〈96-7頁〉。② 生涯学習においては、個人の生涯にわたる学習という個人的な意味だけでなく、それを保証するソーシャルキャピタル(社会関係資本)の構築が必要である(108-9頁)。③ ESD(Education for Sustainable Development)は、社会の持続的な発展のためには、開発はどうあるべきか考え、実践するための教育。(したがって)、「持続可能な開発の為の教育」と訳すべき。(116-7頁)④  (学力評価)は、個人の「不足している部分」を調べているが(100点からの減点)、個人の「保存部分」(個性的能力)への働きかけがあってもいいのではないか(100点以上の評価があってもよい)。(118-9頁)⑤  J.デュ―イは、1938年の著作で、継続性(continuity)のあるexperience が重要だとしている。これは即時的な報酬ではなく、後の経験につながるものである。これが体験に相当する(120-1頁)。⑥ 習熟度別指導の効果は、上位と下位クラスの点数の差の増減を見るのではなく、それぞれのクラスが点数がどれだけ増減しかかを見るべきである(66-7頁)。

 さらに新井郁男著『教育展望セミナー第38回~52回 新井郁男 基調提案集-15年の軌跡』(教育調査研究所 2026年6月)、には、内外教育の短い「ひとこと」では書けないことが、詳細に書かれている。合わせて読むと、新井先生の教育論(教育社会学的考察)がよく理解できる。

昔過ごした場所を懐かしむ

歳をとると昔過ごした場所を懐かしむことが多くなる。もう四半世紀前になるが、家族で過ごしたウィスコンシン州の州都のマディソンでの1年間の生活は懐かしく思い出すことが多い。そこは人口20万人のうち5万人近くは大学関係者という大学街で、風光明媚な上、人々が友好的でそこに住んだことのある日本人は「ウィスコンシン大学マディソン校日本同窓会(日本人会)」まで作っている(https://madisonjapan.wixsite.com/mjahome)。

 今日たまたま再読した井上俊・甲南女子大学教授のコラム「教育の哀しみ」(『子ども・学校・社会』世界思想社、2006)には、昔のウィスコンシン大学の社会学の教授や学生について、有名な人がいたことが書かれていた。ガース教授やベッカー教授である。学生で在籍していたのはミルズ。いずれも社会学史に名前を残している大学者である(日本でも多くの翻訳がある)。学生(ミルズ)が優秀過ぎて教授と葛藤を起こした「教育の哀しみ」が、コラムには詳細に記述されている*。これ(教育の哀しみ)は夏目漱石が小説『こころ』の中で、「先生」が「私」に忠告したことでもある。

私は、UWで、多くの有名な教育学者(アップル教授、ポプケビッツ教授等)の授業も受講したが、同時に社会学部のガモラン教授やメッツ教授の教育社会学の授業も受講することができた。UWが社会学研究でも輝かしい伝統のある大学であることを井上俊教授のコラムから思い出し、昔のマディソンでの滞在を懐かしんだ。

*「人はしばしば、相手を教え育てる活動に従事しながら、しかもその活動が成就することをひそかにおそれる。そのため、目的の達成をなるべく引き延ばそうとする無意識的な傾向が生じたり、また客観的にみれば教育の成功であり目的の達成であるものが、相手の裏切りや忘恩と感じられたりすることがある。社会学の世界でいうと、たとえばC・W・ミルズ(1926-62)に対するハンス・ガース(1908-78)の感情はこれに近かったかもしれない。」【256頁】

日本における韓国ドラマブームについてー生成AIに聞く

質問―韓国ドラマの日本での流行について教えてください。日本でなぜ韓国ドラマブームが起きるのでしょうか? 3次まであったと聞いたことがあります。

回答(ChatGPT―韓国ドラマの日本での流行は、これまでに大きく3つのブームがありました。それぞれのブームの背景と、その理由について説明します。

 第1次ブーム (2000年代初期);代表作: 「冬のソナタ」-背景: 2002年に日本で放送された「冬のソナタ」が大ヒットし、ペ・ヨンジュン(ヨン様)ブームを巻き起こしました。このドラマの成功が、韓国ドラマの人気の火付け役となりました。理由: 感動的でロマンチックなストーリー、異文化の魅力、そして魅力的な俳優たちが視聴者を引きつけました。/ 第2次ブーム (2010年代初期)-代表作: 「美男(イケメン)ですね」、「花より男子」韓国版、「シークレット・ガーデン」,背景: 韓国ドラマの質が向上し、様々なジャンルの作品が登場しました。また、インターネットやSNSの普及により、韓国ドラマへのアクセスが容易になりました。理由: より多様なストーリーライン、魅力的なキャラクター、そして高い制作価値が視聴者を惹きつけました。/ 第3次ブーム (2020年代)-代表作: 「愛の不時着」、「梨泰院クラス」、「ヴィンチェンツォ」,背景: Netflixなどのストリーミングサービスの普及により、韓国ドラマが世界中で視聴可能となりました。特に「愛の不時着」は、日本でも大きな話題となりました。理由: グローバルなストリーミングプラットフォームの影響、韓国のエンターテインメント産業の成長、そして高品質な作品が視聴者の関心を集めました。

 韓国ドラマブームの理由-感情豊かなストーリーテリング: 韓国ドラマは、視聴者の感情に強く訴えるストーリーが多いです。恋愛、家族、友情など、普遍的なテーマを扱っており、共感しやすいです。 魅力的なキャラクター: 魅力的な俳優陣と、個性豊かなキャラクターが登場し、視聴者を惹きつけます。高品質な制作: 韓国のドラマ制作技術は非常に高く、美しい映像と緻密なストーリーが視聴者を引き込みます。 文化的な親近感: 日本と韓国は地理的にも文化的にも近く、共通の文化や価値観が多いため、視聴者が親しみやすいです。グローバルなストリーミングサービスの普及: NetflixやAmazon Primeなどのストリーミングサービスが、韓国ドラマを日本を含む世界中の視聴者に届けています。/ これらの要因が組み合わさって、日本での韓国ドラマブームが何度も巻き起こっているのです。