大学図書館に関して

大学図書館に関して、皆どのようなイメージをもっているのであろうか。私自身は若い頃(高校生の頃)から図書館は好きで、学校の図書館や公共の図書館もよく利用した。ただそこで本を借りるというよりは、静かな図書館特有の独特の雰囲気の中で本を読んだり、勉強するのが好きだったように思う。大学の図書館のゆったりと身を沈めることのできるソファーが好きで、授業の合間に気楽な本を読んだように思う。

一方、置かれている本に関しては、古今東西のたくさんの本があるところほど感激した。しかし、近頃電子書籍や電子配信の雑誌が増えるにつれ、図書館に紙の本の置かれる冊数に関しても制限が出て来て、減少しているのではないかと感じることがある。それに最近大学図書館でも本は新刊ばかりがもてはやされ、古い本の価値が下っているのではないかと感じる。それに、大学図書館にふさわしい選書がきちんとなされているのかと思うこともある。

昔、武蔵大学に専任で勤めていた時、大学図書館の選書委員を務め、図書館職員の人たちと2か月に1回選書の会が開かれ、新聞各紙の書評欄はじめ、皆で候補の本やその書名を持ち寄り協議して選定した。紀伊国屋の新刊のコナーに交代で行き、大学図書館に相応しい本を選んだことがある。それだけ大学図書館に置く本に気を遣っていた)。

 各大学の蔵書の冊数に関して、生成AIに尋ねてみた。下記は、トップ20と、そのおおよその冊数。

東京大学附属図書館:約9,300,000冊/京都大学附属図書館:約7,000,000冊/早稲田大学図書館:約5,800,000冊/慶應義塾大学メディアセンター(図書館):約4,700,000冊/大阪大学附属図書館:約4,000,000冊/東北大学附属図書館:約3,800,000冊/名古屋大学附属図書館:約3,200,000冊/九州大学附属図書館:約3,000,000冊/北海道大学附属図書館:約2,900,000冊/神戸大学附属図書館:約2,600,000冊/一橋大学附属図書館:約2,400,000冊/筑波大学附属図書館:約2,300,000冊/広島大学図書館:約2,200,000冊/横浜国立大学図書館:約2,000,000冊/明治大学図書館:約1,800,000冊/中央大学図書館:約1,700,000冊/立命館大学図書館:約1,600,000冊/上智大学図書館:約1,500,000冊/東京工業大学附属図書館:約1,400,000冊/東京外国語大学附属図書館:約1,300,000冊

私のこれまで勤めた大学では、上智大学図書館:約1,500,000冊/武蔵大学図書館:約510,000冊/敬愛大学図書館:約160,000冊の蔵書。

ある本が、全国の大学図書館に何冊くらい入れられているのか、それはどこの大学かは、https://ci.nii.ac.jp/books/?l=ja で知ることができる。

武内清編『キャンパスライフの今』(玉川大学出版部)は227館で所蔵。高野良子, 武内清編著「教育の基礎と展開 : 豊かな保育・教育のつながりをめざして」(学文社 2016.4)87館、武内清「学生文化・生徒文化の社会学」(ハーベスト社 2014.3 )67館。

アフォーダンスー排除ベンチについて

過去の私のブログに、アフォーダンス【affordance】について、「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」である。しかし近年、特にデザイン領域においては、「人をある行為に誘導するためのヒントを示す事」というような意味で使用される事がかなり多い」と書いた(2016年5月16日)。 このアフォーダンスの例のようなことが、「排除ベンチ」という形で現在あり、問題になっていることが、最近(5月25日)の朝日新聞に掲載されていた。

「座面が湾曲していたり、中央部に金属の棒が付けられていたり、腰掛けの奥行きが短かったり……。一目見ただけでわかりますが、とにかく座りづらい。そういうプロダクト(製造物)です」 「ホームレスのように、ベンチを寝床にする人をズルとみなし、その一部のズルを黙認するのではなく、みんなが少しずつ不幸になることを選んでいます」「これは生活保護をめぐる対応に似ています。『一部に不正がある。不正は許されない。だから、全体を厳しくしよう』というものです」(五十嵐太郎・東北大学教授)

この記事で、「排除ベンチ」があからさまに果たす機能(ホームレスをを排除する等)は、アフォーダンスそのもので、問題であるにしても目新しいものではないが、「生活保護をめぐる対応に似ています」という指摘には感心した。生活保護や、ジェンダーの平等や、教育の世界では奨学金やいじめ対策法案なども、一見、弱者を支援する方策のように見えて、実際は弱者を社会の中で排除する仕組みがその中に組込まれているのかもしれない。それを検証・暴露するのは、社会学、教育社会学の研究者の仕事だと感じた。

日米仏の論理構造の違いー生成AIに聞く

5月26日の朝日新聞の1面に「スパコン使いこなすAI, 未公開の研究提案に驚き」という題の記事が載っていた。 これは主に科学技術分野のことのようだが、人文科学の分野でも同じようなことが言えるように思う。ある分野の研究に関して、これまでの研究をレビューし、その先にどのような研究ができるか、研究者より生成AIの方が、優れたものを提案してくるかもしれない。生成AIは、過去の既存の研究を正確にレビューし、その先の研究に関しても独自性のあるものを提案してくるかもしれない。研究者にとっても大変な時代に入ったものだと思う。

生成AIに一般的な質問をすると、その分野の概要を整理して答えてくれる。質問する際に、少し回答の範囲を限定するような内容やキーワードを入れておくと、それにAIは反応し、既存のその分野の研究を参照し、限定した回答を寄せてくれる。その例を1つ示す。

名古屋大学の渡邊雅子教授の論理構造の国際比較の考察(https://www.jstage.jst.go.jp/article/taikaip/81/0/81_325/_pdf/-char/ja)を意識して、下記のような質問をしてみた。その質問と回答を以下に転載する。

質問―日米仏の考え方(論理構造)の違いを教えて下さい。「目的―手段の系列で結果から時間を逆向きに辿り原因を探るアメリカ。フランス革命の伝統があり、公権力の誤謬を正す論理性を身につけ、共和国の価値に合致した行動を至上とするフランス(弁証法的)、状況的判断を重んじ、感情を共有し、共同対型能力を重視する日本』という違いを聞いを聞いたことがあります。

回答 ChatGPT―日米仏の考え方や論理構造の違いについて、以下のように整理できます:アメリカの考え方;アメリカの論理構造は、しばしば「目的―手段の系列」で捉えられます。これは具体的な結果を目指し、目的を達成するための手段を論理的に構築し、そのために必要なステップを逆算して原因を探るアプローチです。このアプローチは、問題解決やプロジェクト管理などで多く見られます。結果志向であり、効率的で実践的な思考方法です。/フランスの考え方;フランスの論理構造は、弁証法的なアプローチが特徴的です。これはフランス革命の伝統に根ざしており、公権力の誤謬を正すことや、共和国の価値に合致した行動を重視します。フランスでは、対立する意見や状況の中で対話を通じて真理に迫り、問題を解決することが重視されます。理性的でありながらも、哲学的な深みがあります。/日本の考え方;日本の論理構造は、状況的判断や感情の共有、共同体の調和を重視します。日本文化では、場の空気や他者の気持ちを汲み取り、全体の調和を保つことが大切とされます。感情や関係性を重んじるため、論理だけでなく、文脈や人間関係が重要視されます。このため、柔軟であり、場面ごとに最適な対応をすることが求められます。これらの違いは、それぞれの国の歴史や文化的背景から来ています。アメリカは実践的で結果を重視する国、フランスは理性と哲学的対話を重視する国、日本は調和と状況判断を重視する国と言えるでしょう。

質問 英文(質問文は、ネットの翻訳)―Please tell us about the difference in the way of thinking (logical structure) between Japan, the United States, and France. “The United States, which traces time backwards from the result in the series of ends and means, and the United States, which has a tradition of the French Revolution, acquires the logic to correct the errors of public authority, and supremely acts that are in accordance with the values of the Republic (dialectical). I have heard the difference between Japan, which values situational judgment, shared emotions, and joint confrontational capabilities.

回答 ChatGPT―The ways of thinking and logical structures in Japan, the United States, and France reflect their unique cultural, historical, and philosophical backgrounds. Here’s an overview of these differences/Japan;Contextual and Situational Judgment: Japanese thinking often emphasizes context and situational factors. Decision-making is influenced by the specific circumstances and the relationships involved. This approach is less about rigid principles and more about adaptability and harmony.Shared Emotions and Group Consensus: There’s a strong focus on group harmony (wa) and consensus (nemawashi). Decisions are made with consideration of the emotional state and opinions of the group, aiming to maintain social cohesion and avoid conflict. Holistic and Indirect Communication: Japanese communication tends to be indirect and implicit, relying heavily on non-verbal cues and shared understanding. This holistic approach contrasts with more direct and explicit communication styles./ United States;Backward Reasoning from Results: American thinking often starts with the desired outcome and works backwards to determine the necessary steps. This pragmatic approach prioritizes efficiency and results.Correction of Public Authority: Influenced by a tradition of questioning and correcting public authority, this logical structure emphasizes accountability, transparency, and the protection of individual rights.Linear and Analytical: American logic tends to be linear and analytical, focusing on breaking down problems into smaller parts and addressing them sequentially./France;Dialectical Approach: French thinking is heavily influenced by the dialectical method, stemming from philosophical traditions dating back to the Enlightenment and the French Revolution. This involves a process of thesis, antithesis, and synthesis to arrive at a deeper understanding.Values of the Republic: French logic is shaped by the values of the Republic, emphasizing liberty, equality, and fraternity. Actions and decisions are often judged by how well they align with these republican values.Critical and Abstract Reasoning: There is a strong tradition of critical thinking and abstract reasoning. French intellectual culture values debate, critique, and the exploration of ideas from multiple perspectives.These differences illustrate how cultural backgrounds and historical experiences shape distinct ways of thinking in different societies.Understanding these variations can enhance cross-cultural communication and cooperation.

京成バラ園に行く

昨日(5月21日)、天気がよかったので、午前中いつも行く「テニスの打ち方教室」をパスして、八千代の「京成バラ園」を見に出かけた。1800円の入場料が半額の900円で入場できる割引券が手に入ったせいもある。途中の16号の道が混んでいて、車で家から30分。平日というのに駐車場は満杯に近い。さすがに1600品種、10000本のバラの庭園は圧巻。バラの香りも楽しんだ。

KODAK Digital Still Camera
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外国籍の子どもの教育に関して

今まで、私は、子どもの権利条約の批准などを考えると、子どもは外国籍であろうと、どこにいても平等に教育を受ける権利があると考えてきた。それは、私だけでなく、文部科学省の『教育白書』(令和4年度版)にも、外国からの子どもの受け入れに関して、その意義と必要に関して、記載されている(下記に、一部転載)。

<外国人高校生の受入れー文化や伝統、生活習慣の異なる同世代の若者が交流を深めることは、広い視野を持ち、異文化を理解し、これを尊重する態度や異なる文化を持った人々と共に生きていく資質・能力を育成する上で重要です。文部科学省では、民間の高校生留学・交流を扱っている団体を通じて、海外で日本語を学習している外国人高校生を6週間程度日本に招致し、日本の高等学校への体験入学等を行う「異文化理解ステップアップ事業」を実施しています。令和4年度は15か国108人の高校生を招致しました。また、平成30年度から、アジアで日本語を学ぶ高校生を日本全国の高等学校に招聘する「アジア高校生架け橋プロジェクト」を実施しています。令和4年度は、20か国から247名の高校生が10か月間、ホームステイや寮生活をしながら、日本の高校生と共に学び合い、国際交流を深めました。さらに、5年度は留学生と日本人生徒が参加する国際交流キャンプを実施し、英語交渉や文化発信を含む、高度で効果的な交流を促進していきます。/外国人の子供たちについては、将来にわたって日本に居住し、共生社会の一員として今後の日本を形成する存在であることを前提とし、教育機会の確保・保障に向けた就学促進や日本語指導をはじめとした指導体制の充実等を図ることが重要です。>(『教育白書』令和4年度版)

しかし、それは、義務教育までが主、そして少数の数の話だろうと思っていた。ところが、現実は違ってきているようだ。日本の高校に、中国から生徒が数多く入学するようになっているという下記の「東洋経済」の記事を読んで、少し驚いた(その一部転載)

<日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態、過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致/中国から日本の中学校や高校に留学する「低年齢留学」が増え始めた。背景にあるのは、中国における教育環境の悪化と日本の過疎地が直面する超少子化だ。/生徒の5割が中国人留学生にー房総半島の南部に位置し、太平洋が目の前に広がる鴨川令徳高校(千葉県鴨川市)の教務担当は、「10年ほど前から中国人留学生を受け入れるようになっており、生徒全体に占める割合が50%ほどになっている」と話す。校内には中国語が話せるスタッフもいる。/明徳義塾中学・高等学校(高知県須崎市・土佐市)の担当者からは、全校生徒1000人近くのうち250人ほどの留学生がおり、そのうち中国人留学生は約200人」との回答があった。つまり、中国人の比率は2割ほどということだ。/また、岡山県の山間部に位置する中高一貫の朝日塾中等教育学校(岡山市)の国際交流部長は「6学年全体で中国人留学生が3割を占めているが、高校に該当する3学年では3割を超えている」と話す。こちらには教員と事務を兼ねた、中国語が話せるスタッフがいるそうだ。/「(中国人留学生は)徐々に増えてきています。バックグラウンドが違う他者との触れ合いは大切なので、計画的に入れていこうということです。エージェントや中国での姉妹校を通じて募集しています」(同前)/中学生の場合は子どもの生活を支える監護者が必須となるため、留学のハードルが上がる。そのため受け入れが進んでいるのは高校生だ。特に中国人留学生の受け入れが多いのが、寮を備えた地方の高校だ。/楽商ジャパンは高校留学に関して中国でのマーケティングや日本語教育から試験のアレンジまで一手に担う留学エージェントだ。同社の袁列・代表取締役は、「ここ10年で中国人高校留学生は大体10倍になった。10年前には積極的に受け入れる高校は日本全国で4校程度だったが、今では20校以上になっている」と明かす。>舛友 雄大 [東洋経済]2024年5月19日.https://toyokeizai.net/articles/-/754566?display=b)

少し前、定員割れの日本の大学は、外国の留学生を受け入れ、定員を埋めていた。国の留学生の増加政策もあり、留学生を受け入れると国から高額な補助金は出ていた。留学生も授業料が減額されていた。その大半は中国からの留学生だったが、その後日本と中国の関係が悪くなり、中国人で入学する学生はほとんどいなくなった。それが、今度は日本の高校に中国人が押し寄せているとすると、それの意味することは、大学とは少し違うことのようにも思う。/ 今、日本の高校で、授業料の無償化が言われている。それが実現して、外国から日本の高校に多くの外国籍の子どもが入学するようになると、日本人の税金で、多額の教育費を外国籍の子どもの為に使うということで、これは、人道的とか教育の観点からはいいことだとしても、経済的にまた日本の国民感情からして、どこまで許容されることなのか、わからなくなると思う。/  大学の留学生の場合は、大学の授業料を本人や親が高額に払うとか、生活することで消費税を落とすとか、将来日本企業で働く人材になるとか、日本への好感情をもち国際交流に役立つとか、メリットはあるが、日本の高校に外国籍の子どもが通うようになる、日本に取ってのメリットはあるのだろうか。一方、これまで日本の子ども達も、アメリカなどの高校に無償で留学させてもらってきたことを考えると。そのお返しで、外国の子どもを(たとえそれがアメリカでなく中国であっても)日本の高校に快く受け入れることはその返礼(義務)のような気もする。人口減少の続く日本で、これから選択を迫られる問題でもある。

追記 今日本の建築業界で大工はじめ建築関係の技術者が不足して、新築や改築が滞り、値段も高騰していると聞く。日本の工業高校に外国から建築関係を学びたい人をどんどん入れ、人材不足を補ってはどうか。卒業後日本で働いてくれると助かるが、本国に帰ってその技術を生かしてもらってもいいと思う。