「リトルロック高校事件」ついての論稿への礼状

Wさんへ。いつもN高等学校中学校の年報を送っていただき、ありがとうございます。最初にWさんの書かれた論稿「子ども向けに書かれた英語の本ー3}を、興味深く読ませていただきました。「リトルロック高校事件」扱った内容ですが、生徒たちに一般的に説明するのではなく、彼ら(彼女ら)が具体的にイメージして感じられるような,具体的事例を詳細に語ることや、読ませることの重要性が、論稿からよく理解できました。その授業の為に、Wさんがこの事件に関する英語の資料を詳細に調べた経緯が論稿に書かれていて、歴史小説を読むような感じで、興味深く一気に読ませていただきました。「抽象的な一言で纏められたものの背後にある小さな具体的な出来事」「個別具体的な出来事が作り出す変化」(生徒への影響)という指摘が納得できます。私は「リトルロック高校事件」について無知でしたので、ウキペディアや生成AIにも聞いて、概要を確認しました(下記に一部転載)。Wさんが独自に調べた詳細なエピソードを読んだ後だからこそ、一般的な概略が、実感として理解できたのだと思います。

Q. What happened at Little Rock High School in 1957?

A. ChatGPT

In 1957, a significant event known as the Little Rock Crisis took place at Little Rock Central High School in Arkansas, USA. This event was a pivotal moment in the Civil Rights Movement. Here’s an overview: / Background: In 1954, the Supreme Court of the United States ruled in Brown v. Board of Education that racial segregation in public schools was unconstitutional. This decision was a major victory for the Civil Rights Movement./Integration of Little Rock Central High School: Despite the Brown v. Board of Education ruling, many schools in the Southern United States resisted desegregation. Little Rock Central High School was one such school. In 1957, the school was ordered by the federal court to integrate and admit African American students./ The Little Rock Nine: Nine African American students were selected to integrate Little Rock Central High School. They became known as the “Little Rock Nine.” On September 4, 1957, these students attempted to attend classes at the school, but they were blocked by the Arkansas National Guard under orders from Governor Orval Faubus, who opposed desegregation./Federal Intervention: The situation gained national attention, and President Dwight D. Eisenhower intervened. He federalized the Arkansas National Guard and ordered them to support the integration process, ensuring the Little Rock Nine could attend classes./Challenges and Struggles: The Little Rock Nine faced immense challenges, including harassment, intimidation, and violence. Despite these difficulties, they persevered and attended classes, marking an important step forward in the fight against racial segregation in education./The events at Little Rock Central High School highlighted the ongoing struggle for civil rights in the United States and the resistance faced by those advocating for equality and integration.

アメリカの学校や大学の人種差別事件に関しては、30年ほど前、アメリカのUW(ウシコンシン大学)で、1つの授業を聞いた時、担当の若い先生が、人種差別の映像を学生に見せていたことを思い出しました。20名ほどのゼミのようなクラスには、黒人の女子学生が一人いたのですが、人種差別と教育のようなテーマも扱ったその授業で、その黒人学生に話しかける白人学生が一人もいなかったことが、印象に残っています。そのことに関して、上智の教育学科の紀要の30集(1996年)に昔少し書いたことがあります。御礼まで。

「アメリカの教育事情」(上智大学教育論集30号)の転載

齢をとると昔のことをいろいろ思い出す。もう30年も前、アメリカのマディソン(ウィスコンシン州)で家族とともに過ごした1年間(1994年8月~95年8月)は鮮明に覚えている。それだけ新鮮なこと衝撃的なことが多く、時間の密度が濃かったのあろう。その記録は「アメリカの教育事情」という題で、上智大学教育論集30号(1996)に残した。過去に一度転載したことがあるが、再度転載する。

桜の開花(その5)

テニスは天候さえよければ、どこでやっても変わらないと思われるかもしれないが、テニスコートのある場所の風景や雰囲気にも、気分が左右される。

花島公園のテニスコートは、周りが広い公園で、季節季節の花も楽しめて、池には鯉や亀がいて、カワセミもいる。海の近くの稲毛海浜公園のテニスコートは海風が強い時もあるが、潮風が心地よく、空気中の塩分濃度が私にはちょうどよく、気分がいいと感じる。

普段参加させてもらっている「金曜テニス」は、通常6人のメンバーで、家の近くの宮野木中央公園のテニスコートで,毎週金曜日午前9―11時に楽しんでいる。私が入るダブルスの試合は負けることが多いが、メンバーの人は皆優しく、私の打つべきボールまで打ち返してくれて、何とかゲーム(練習試合)が成り立っている。

今日(4月10日)は花曇りであったが、テニスコートの脇の桜が満開で、気持ちのよいテニスを楽しんだ。