海女文化の研究

研究者にとって長年の自分の研究が、新聞等で紹介されるのはさぞ嬉しいことであろう。特にそれが、趣味的なものに人には見えるマイナーなテーマであった場合は、なおさらである。今日(3月28日)の朝日新聞朝刊の教育欄に大きく掲載された東京海洋大学の小暮修三氏の記事―『海女文化が導く 持続可能な社会―作られるイメージ奥にあるものを探る』を読んでそのことを思った。

小暮修三氏は、『子どもと学校』(武内編 学文社,2010)の中の「海外子女-子どもと学校と教育のグローバリゼーション」の章を、野崎与志子さんと一緒に書いてくれた。「御宿クラブのお蔭で、腰を落ち着かせて聞き取り調査等が出来ました」というメールをいただいたことがある。知り合いが、このように新聞で大きく取り上げられるのはうれしい。以下新聞記事の一部転載。

<東京海洋大学の小暮修三教授(56)は、海女の存在が社会でどう位置づけられ、イメージを変化させてきたか、文化社会学の観点から研究する。自他ともに認める「海女博士」だ。/最初は大正・昭和前期(1920~40年代)。国内各地で開かれた博覧会で、海女の実演が大変な人気を集めた。「ガラス張りの水槽に潜り、露出の多い服を着て貝を採る。好奇の目にさらされる『見せ物』でした」 第2次ブームは、昭和30年代の映画がきっかけだ。海女が主役の映画が何本も作られた。相次ぐヒットを受け、「『純朴』で『開放的』なイメージが広まり、今につながる海女像が確立された」。第3次は、2009年ごろからの数年間。岩手県久慈市の海女がネットで話題になり、13年には、同県・陸中海岸の「北限の海女」をモデルにしたドラマ「あまちゃん」が社会現象となった。/最初のブームは、大衆の好奇心。第2次は、高度経済成長に伴う観光化。第3次は、疲弊した地域の活性化。/1996年に「勉強し直そう」とニューヨーク州立大大学院バファロー校で教育社会学を学んだ。海女との出合いは、博士論文を書くための資料収集だった。/2009年に東京海洋大の准教授となってから本格的に研究に取り組んだ。文献を読み込み、昔の映画ポスターや雑誌、絵はがきなどの資料を集めた。一方で「現場を知らなければ」と各地を巡り、関係者から話を聞く。/ 「海女文化のありようは、世を覆う強欲資本主義に対するオルタナティブ(代替の選択肢)でもある」と考える。「海女文化の意義を伝えることを通じて、オルタナティブな社会のあり方を提示できたら」と話す。(本山秀樹)>

文献の引用に関して、オリジナリティに関して

学術的な論文の文献の引用に関して、思うことを書き留めておきたい。昔、引用などに詳しい同僚の香川教授が指導学生に、「卒論や修論を書く際に、引用は学術書から行うもので、新書本から引用してはいけない」といっているのを聞いて、その理由を聞いたことがある。

「新書本は一般向けに易しく書かれてものである。引用は新書の元になったオリジナルの論文や書籍から行うべきものである」という説明で、納得した。新書がオリジナルな最初の発表内容の場合も(稀に)あるので、新書の引用は絶対にいけないとはいえないと思うが、オリジナルを尊重するということの重要性は納得した。今は論文でも、新聞やネットからの引用を目にすることがあるが、これはオリジナリティは薄いし、極力避けるべきであろう。ウキペディや生成AIの回答は引用には向かない。

 自然科学だけでなく、人文や社会科学においてもオリジナリティに関しては尊重されなければならないと思う。私も昔自分の専門分野のことで1つのオリジナルな考えを思いついたと感じた時、それを執筆して公開する前に誰かに同じことを先に書かれてしまったらどうしようと思い、関連の論文や書籍が発刊される度にハラハラして、真っ先にそれを確かめたことがある。 

 そのことに関連して残念に思うのは、その私の書いたオリジナルな見方を引用で書いてくれる人(A氏)がいても(引用なしで自分の考えのように書く人は論外)、その人の論文や本を読んだ人(B氏)が、引用文献にそのA氏の論文や本を記載し、元の私の文献が無視されたことがある。そのようなことはその後も続いた。A氏が有名な人ということがあり、またオリジナルを探すのは大変で、私も同様のことをしているかもしれず、お互い様なのかもしれないが、最初にそれを言った(書いた)のは誰なのかを、正確に引用するのは、学問をする人の(引用をする人の)礼儀(倫理)だと思う。(私はそのことで感謝されたことがある。その先生も悔しい思いをしていたのだなと感じた)したがって、研究者たるものそのことを知った新聞やWEB記事から引用することは避け、その説(見方)のオリジナルはどこにあるのかを、学術的な文献から探し、それを記すのが務めてあろう。(このブログの文章は、学術的なものでないので、その点はスルーして、出自に関してはかなりいい加減なところがあると思っている。論文の引用に適さないのは確か。)

民主主義における義務について

今日(3月21日)の朝日新聞の記事「教育を受ける権利とは? 麻布中入試問題『すべて国民』から考える」を読んで、「外国籍の子の公立小中学校への就学は義務ではないが、希望する場合には、無償で受け入れる」「各自治体は、義務教育年齢の子の名前や住所を記載する『学齢簿』に外国籍の子を載せること」「日本語が苦手な子が十分な学力を身につけるためには、サポートが必要」は、この分野に関することできわめて真っ当なことを書いているなと思う。しかし同時に、外国籍の子どもや親が、黙っていても、日本人と同等の教育を受ける権利を得られると考えるのは、少し違うのではないかと思う(日本人の子どもが外国に行った場合も同様)。

私も日本が批准している子どもの権利条約や国際人権規約の精神に基づいて、日本に在住する外国籍の子どもには(たとえ親が不法滞在者であっても)、日本人の子どもと同等の教育を受けさせるべきと思うが、外国籍の親と子どもがそのことを努力もせずに待っていれば、自治体から自然に与えられるものと考えればいい訳ではない。その権利の履行の訴えや努力をすべきと思う。

内田樹は、「民主主義は『それをこの世界に実現しようとする遂行的努力』というかたちで、つまりつねに未完のものとしてしか存在しない」と的確に述べている(「民主主義をめざさない社会」http://blog.tatsuru.com/2020/03/26)。つまり民主主義の国家においては権利は所与のものとして存在するのではなく、達成(遂行)努力して手に入れるべき義務も伴うものである。フランスでは、「子どもが家族の一員として認められるのは、(お手伝いなど)家族の一員としての役割を遂行することによって認められる」という話をフランス人から聞いたことがある。日本人の(権利)意識には、この遂行的努力(義務)の精神が欠けていると思う。

沖縄諸島 奄美大島への旅行について

友人が家族とこの3月に沖縄旅行に行き、とても感慨の深い旅行だったいう感想を寄せてくれた。それで、私の沖縄やその周辺の島への過去の旅行に思いをはせた。これまで4回行っていると思う。そのうち3回はこのブログに記録を残している。

はじめて沖縄に行ったのは2002年3月。研究仲間との調査旅行。その半年前にアメリカの同時多発テロが起こり、米軍基地がある沖縄への日本の生徒の修学旅行が取りやめになり、沖縄に行く人も少なく、格安で行くことができた。(確か3泊4日で航空券、朝夕の食事とレンタカーもついて一人3万円くらい)。沖縄のオープンスクール、フリースクール、大学などの訪問が主な目的で、それらからも多くの成果があったが、同時に綺麗な沖縄の海、首里城やひめゆりの塔を訪問した。戦争の愚かさを再認識すると同時に、はじめの沖縄旅行を楽しんだ。

第2回目に沖縄に行ったのは、2016年6月で、日本子ども社会学会の大会を、琉球大学の西本さんが開催を引き受けて下さり、研究仲間と学会発表をして、懇親会では沖縄料理と歌を楽しみ、ひめゆりの塔も見学した。ブログ(2016年6月19日)には、同行した中央教育研究所の当時所長の故水沼文平氏の旅行記も転載した。

3回目は、2019年3月に妻と行った宮古島。「平坦な島でサトウキビ畑がたくさん。ホテルの目の前もブルーの綺麗な海だが、海岸のどこに行っても、また車やフェリーで渡った周辺の島の海岸もサンゴ礁とサンゴ礁からできた白い砂と宮古島ブルーの水がきれいで、私のこれまでの人生でこれだけきれいな海を見たのははじめて」とブログ(2019年3月3日)に記録を残している

4回目は奄美大島に2019年12月に妻と行き、「成田から奄美大島への往復航空券と2泊のホテルの宿泊がついて一人19800円と格安(飛行機はバニラ・エア)。飛行機の座席は少し窮屈でテレビや無料の飲み物サービスはないものの、乗務員の感じもよく短時間の飛行に問題はない。ホテルは街中の中心にある「ホテルニュー奄美」で、便利で清潔で大浴場もあり、朝食も美味しく、ホテルの人の接客態度もよかった。海や砂の色のきれいさと自然の素朴さに感動した。レンタカーで島を半周したが、どこの海岸(湾が多い)も水はブルーとエメラルドグリーンで透明度が高く砂は白く、見とれるほどの美しさであった」。敬愛大学は西郷隆盛の精神を建学の精神に掲げているが、「西郷南洲居住跡を訪ね、西郷隆盛とその妻の思いに思いをはせる」とブログ(2019年12月26日)に記録を残している。 

エアコンのコンセントについてー生成AIに聞く

家の古いエアコンを新しいものにしようと電気店に行くと、エアコンのコンセントに関して聞かれることが多い。以前は、部屋の中にコンセントがあれば、それでエアコンを接続できたが、今はエアコン専用のコンセントが必要だという。その為工事が必要な場合もある。

このようなことも、生成AIに聞くと、丁寧に説明してくれる。(Bing chatの回答)

質問;旧い家でエヤコンを新しくしたい時、コンセントやブレカーを新しくしないといけない言われました。どうしてですか?/回答;エアコンを新しく設置する際に、専用コンセントやブレーカーの更新が必要と言われる理由はいくつかあります。以下に詳しく説明します。①エアコンの消費電力が大きいため:エアコンは他の家電製品と比較して非常に多くの電力を消費します。通常のコンセントではエアコンの電力要求を満たすことができず、ブレーカーが頻繁に落ちる可能性があります。専用コンセントを使用することで、エアコンの安定した動作と他の家電製品への影響を最小限に抑えることができます。②不慮の火災事故を防ぐため:通常のコンセントを使用すると、エアコンの消費電力に耐えられない場合、コンセントや配線が過熱し、火災の原因になる可能性があります。専用コンセントを使用することで、エアコンの電力を適切に供給し、安全に設置できます。③法的規定とメーカーの推奨:専用コンセントの使用は法的に義務付けられているわけではありませんが、近年では多くのメーカーや業者が専用コンセントを推奨しています。製造物責任法(PL法)の観点からも、専用コンセントがない場合、エアコン設置を引き受けないケースが増えています。④専用コンセントの見分け方:位置: エアコン専用コンセントは通常のコンセントよりも壁の上部に設置されています。形状: エアコン専用コンセントは通常のコンセントと形状が異なり、穴が3つあることが多いです。エアコンの安全な設置のために、専用コンセントを使用することをおすすめします。また、電気工事は専門家に依頼することが重要です。注1234 省略