武蔵大学のゼミの同期会に出席

私が最初に勤務した大学は、練馬区の江古田にある武蔵大学である。卒業した大学で助手を4年間勤めた後、専任教員として武蔵大学人文学部社会学科に10年間勤務した。武蔵大学は、旧制の私立の高等学校から大学になった学習院、成城、成蹊と1つの大学グループ(私立大学懇話会。後に解散)を作り、私立の旧制高校の伝統を引き継ぎ、学問の伝統を大事にし、教授会で何でも議論して丁寧な大学運営がなされていた。

「ゼミの武蔵」といわれ、1年次から4年次まで必修のゼミがあり、学生たちは講義には欠席してもゼミだけには出てきた。大学に出てくるのは、出席を取る語学と体育とゼミと部活(サークル)だけという学生も少なくなかった。講義に出てくる学生は2~3割程度だったと思う。

私が最初の頃担当したゼミ生で今年還暦を迎える人が多く、久しぶりに同期会を開くので、出席してほしいという依頼があった。齢取った私の姿を若い頃しか知らないゼミ生に晒すのは気が引けるなと思ったが、「皆歳を取っていますから」というゼミ生の言葉に促され出席を約束した。(11月3日 有楽町駅近くのレストラン)

当日短い時間のスピーチで、この間何十年のことを話すのも難しいと考え、話したい内容を活字にした。それをプリントして当日配り、当日は、それをもとに短く話すつもり。プリント(冊子)の内容は下記(これに当時の写真も添付した)

大学のサークルの同期会に出席する

小中高や大学時代の同窓会に関しては、過去のブログでも何回か書いている(2018.9.12,2022.10.7)。先日(10月4日)、大学時代のサークルの同期会が何年かぶりに東京で開催された。私たちは大学を卒業してから半世紀以上(55年)経過している。この会の同期会はこれまで数回開催されているように思うが、新型コロナの影響もあって最近は開催されていない。私が前回参加したのは15年ほど前のように思う。「出席」と返事を出したものの、年取った自分の姿を皆に晒すのは気が引ける、若い頃のイメージしかない同期の年老いた姿を見たくない、などと出席に尻込みする自分がいた。

男だけのサークルで同期は32名ほどだったが、逝去者は5名いて、出席は22名と多く(出席率82%)、サークルの活動が週2回と合宿が年3回、その他のイベントもたくさんあり、それらで学部4年間苦楽を共にした仲間と久しぶりに会い話すのは楽しかった。

現役を退いている人が多くいて、仕事の話はあまりなかったが、皆それぞれに分野で活動して苦労して、今は悠々自適な生活を送っている様子が、スピーチや顔つきから伺えた。「健康を保つための体操の勧め」や「我々は、日本に戦争が全くなかったよき時代に生活してきた」というスピーチが印象的であった。

学生はチャトGPTをどのように使うのか?

敬愛大学の後期の授業「教育社会学」を担当している。この授業は第1回を対面で行ったが、2回以降はオンデマンドで、毎回出した課題に対して、WEBで解答してもらう方式である。その内容は200字~1000字程度での文章で解答してもらう方式である。昨年も同じ方式で実施したが、今年はその参照(採点)の際、一つ注意しなければならないことが増えた。それはチャットGPTを使っての解答があるのではないかということである。初回の授業で、チャットGPTを使うのは構わないが、参考程度に留め自分の考えを書くようにと注意した。

第3回の授業の課題に近い内容に関して、私もチャットGPTに質問してみた。学生からの解答に、この内容がどの程度含まれているのか、それをどのように使っているのかもこれから検討するつもり。下記に、チャットGPTへの質問と回答を記載しておく。その回答内容は、私の今回学生に配信した「講義メモ」や「授業資料」(添付参照)から期待している解答とは、かなり違う。

私の質問―「家庭での子どもの社会化、つまり家庭(あるいはそれに替わる場所での)養育や教育はどのようにあるべきなのか、現代日本の実態を踏まえて教えて下さい。」

ChatGPTの回答―子どもの社会化や家庭での養育・教育についてのアプローチは文化や価値観によって異なりますが、現代日本においてもいくつかの一般的な原則や実態が存在します。以下に、現代日本における子どもの社会化と家庭での養育・教育に関するポイントをいくつか挙げてみましょう。/両親の共同育児: 現代の日本では、共働き夫婦が増えており、両親が子育てに参加することが一般的です。共同育児は子どもに安定感を提供し、親子の絆を強化するのに役立ちます。/教育への重要性: 教育への重要性が高まっており、多くの家庭が子どもに教育機会を提供しようとしています。公立学校や私立学校、幼稚園、塾など、多様な教育機会が利用されています。/親の期待とストレス: 現代の日本社会では、一部の親が子どもに高い学業成績や進学先を求め、子どもとの関係にストレスを抱えることがあります。バランスを取りながら子育てを行うことが大切です。/バランスの取り方: 仕事と家庭の両立、遊びと学習のバランス、親子のコミュニケーションなど、バランスを取ることが重要です。適切な休息と遊びの時間も子どもの発達に貢献します。/ポジティブな親子関係: 親子関係の質は子どもの社会化に大きな影響を与えます。子どもに対する愛情、サポート、理解を示し、ポジティブなコミュニケーションを心がけることが大切です。/社会的スキルの育成: 社会的スキルや共感力、協力能力を育むために、子どもを集団活動やクラブ、スポーツなどの機会に参加させることが奨励されています。/デジタルリテラシー: 現代の子どもたちはデジタル環境で成長しており、デジタルリテラシーを育むために、適切なデジタルツールやメディアの活用方法を教えることが必要です。/子どもの意見を尊重: 子どもの成長に合わせて、年齢に応じた自己決定能力や意思表明の機会を提供し、子どもの意見を尊重することが大切です。/これらのポイントは、現代日本における子どもの社会化と家庭での養育・教育に関する一般的な傾向ですが、家庭や地域によって異なることがあります。親は子どもの個性やニーズに合わせてアプローチを調整し、子どもが健康で幸福な成人として成長できるようサポートすることが大切です。

「佐倉ふるさと広場」のコスモスを見る

今年は、9月末の先週まで夏の暑い日が続き、季節感が狂ってしまう。たとえば秋のコスモスが今咲いているのかどうかわからない。2年前のブログをみると10月20日に「佐倉ふるさと広場」(https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/sakuranomiryoku/event_kanko/4799.html)に行き、風車の前にコスモスの花が咲き誇っていて、その写真も掲載されている。

今日は、午前中「花島公園」で仲間4人とテニスをした後、暇だったので、その先の「佐倉ふるさと広場」に行ってみた。広場に近づいても花は見えず、今年はダメかと諦めかけたが、例年のような絢爛さはないが、少し少なめのコスモスが色とりどりに咲いていた。風に揺れ、後ろの風車とも合いなかなかの風景。本格的に咲くのは、これからかもしれない。(WEBでみると、佐倉コスモスフェスタの日程:令和5年10月7日~令和5年10月22日で、今は2分咲きとのこと)

多数派の常識の吟味が必要(『内外教育』9月19日)

社会学、教育社会学は、自己言及的(自己反省的)な学問である。独自な見方を確立しようと努力するが、同時にその見方が正しものかどうか、いつも自己検証を怠らない。結果的には多数者の意見に近い常識的な見方をすることが多いが、その常識が正しいものなのか、そのように考える根拠は何なのかを追求する。同じ文化の中で育っていると、その常識を疑うことは難しい。常識の自己検証の為には、異文化に接しその異文化の視点からも見て考えることが必要である。それは、多文化的視点、異文化間的視点と言われるものである。以前にブログに書いたことであるが、そのことを、9月19日発行の『内外教育』の「ひとこと」の欄に書いた。(下記がその原稿。字数の関係で、実際の掲載内容は少し違っている)

多数派の常識の吟味が必要

多数者(マジョリティ―)にとって常識で、それを深化させることは疑いなく善であることが、少数者(マイノリティ―)にとっては、悪とは言わないまでも善とは思えないということはさまざまある。/たとえば、内閣府の「やっぱり、家族っていいね」という標語は、暴力の絶えない家族に育った子どもや家族で虐待を受けている人にとっては、「家族って本当にいいものか」と感じることであろう。/親が教育熱心で塾通いし高い教育を目指すことが当たり前の多数派の子どもたちへの目標達成や努力の奨励は、貧困にあえぐ家族やヤングケアラーの少数派の子どもの実態にはそぐわない。/学校の共同性や協働性を推奨する教育論に関しては、集団生活の苦手な子どもや、学級集団でいじめにあっている子どもたちは、違和感をもつことであろう。教育の個別化も考えたい(フリースクールやホームスクーリング等)。/現在のデジタル化の進む中で、紙の本の大切さその味わいの深さを説く言説に関して、多くの人は賛成するであろう。しかし、それは少数の障害者の立場からすると、健常な多数者の傲慢に過ぎないと感じる場合がある。今回芥川賞を受賞した市川沙央の小説「ハンチバック」の主人公は、次のように述べている。/〈厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。/本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てることを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。>/多文化教育、異文化間教育の分野は、このような多数派の常識を、少数派の視点から再吟味する研究や実践をすすめている(松尾知明『多文化教育がわかる事典』明石書店、2013,『異文化間教育事典』明石書店,2022、)。不登校児の視点からの学校文化の見直し、自文化中心主義の克服、外国籍の子どもの教育、ジェンダー平等教育、特別支援教育、教育のデジタル化など。/これからの多文化する社会の中にあって、自分とは異なる多様な文化を認め、共生をめざす文化多様性の教育や実践が必要である。