「教える」ということを掘り下げる

公益財団法人「中央教育研究所」の研究報告NO99,『自律した学習者を育てる言語教育の探求12』 (平成5年1月)が発刊され、WEBで読むことができる。鳥飼玖美子先生(立教大学名誉教授)が研究代表の報告書で、7名の研究者の論稿が掲載されている。(https://chu-ken.jp/pdf/kanko99.pdf

内容は、寺崎昌男先生(東京大学名誉教授)の「『教える』ことを掘り下げる」という論考に対して、研究メンバーが、言語教育や英語教育の観点からコメントしたもので、大変興味深い内容になっている(それをこの分野に素人の私が紹介することはできないので、直接読んでほしい)。

また寺崎昌男先生の論稿とそれへの補いの講話の記録も、興味深いもので、教育史や高等教育が専門の寺崎先生が、「教える」という教育学の原点の問題に、実際の教育現場の実践などを例に引きながら、わかりやすく、また深く考察されているので、感銘を受ける(これも、私が説明役では役不足なので、直接読んでほしい)。

ここでは、寺崎先生が、論考の最初に紹介している哲学者W.A. ウォ―ドのエッセイの章句を転載しておこう。寺崎先生は、このウォ―ドの言葉を単純に称賛しているわけではない。先生の論考は、ウォ―ドの言葉を教える側から説明しているとも、批判しているとも解釈できる。この言葉を手掛かりに、「教える者」の側に立って、教え方の深みを具体的に例示している。さらにそれにコメントする研究者の立場はいろいろで、興味深い。

(原文)The mediocre teacher tells / The good teacher explains / The superior teacher demonstrates / The great teacher inspires/ (Foundations of Faith, Droke House, 1970)

(寺崎訳) どこにでもいる普通の教師は,ただ話して聞かせる  / よい教師は,丁寧に説明する  / 優れた教師は,自分でやって見せる  / 偉大な教師は,相手の心に火をつける

春はまだ遠い

南房総他で、もう春の菜の花が咲いているというニュースを聞いた。例年3月上旬に菜の花が満開になっていると思うが、今年はどうなのだろうと家の近くの花島公園に出かけた(車で10分、2月12日)。残念ながら、菜の花はまだ10センチ程度の苗状態で、花はほとんど見ることができなかった。公園の梅も、まだ2分咲き程度で鑑賞できるまでの状態ではない。池にサギ(鳥)がいて、それを見ることができたのが今回の唯一の収穫。春はまだ遠い。

日本のテレビドラマ「エルピス」をみる

ネットフリクスの今日本で人気のドラマで、「エルピスー希望、あるいは災いー」が紹介されていた。見始めたら面白く、2日間で最後(10話)まで見てしまった。それは韓国ドラマではなく日本のドラマで、フジテレビ系列の2022年10月24日 – 12月26日に放送されたものである。ネットフリクス他でも全10話が、コマーシャルなしで一気に見ることができる。テレビ局のニュースキャスター(長澤まさみ主演)とデレクター(眞栄田郷敦主演)が、政治の圧力に屈せず事実をどこまで放送できるかを悩むドラマで、日本のドラマとしては、とてもよく出来たドラマだと感じた。韓国ドラマの「秘密の森」と「ピノキオ」を合わせたドラマという感じであった。

ネットでみるといろいろな解説や感想が書かれているが、3つほど転載しておく。最初は、長澤まさみファンの一女性の感想(一部掲載)。

<サトーの日記 /全10話のドラマです。SNSでも話題になってましたね。普段はドラマより経済新聞が好きそうな方々もおもしろい!と言っていたので、興味がわいて見てみました。/久々に好きな長澤まさみさんの演技が見られる!と、ワクワクしながら視聴しました。/ストーリーは、ザックリいうとスキャンダルでスター街道を外れたアナウンサー浅川恵那と自分の過去を直視できないまま大人になったエリート青年、岸本拓朗がふとしたことから冤罪事件を追っていく物語です。/テンポもよかったです。展開は速いんですが、速すぎるということはなくてこんなに盛りだくさんでいいの?っていう充実感がありました。/面白かった理由は扱ってる題材とかストーリーとか脚本とかキャラクターとかいろいろあると思うんですけど、個人的には、長澤さんの演技がとてもよかったです。長澤さんの役はあの年代の働いている女性がリアルに感じている考えていることがそのまんま出ていると思うんですよね。大げさすぎず、静かに表情だけで演技するシーンも多くてとても良かったですね。長澤さんは今の日本で最強クラスの女優さんじゃないかなと思うんですよね。/このドラマで扱われている問題は冤罪を意図的に生じさせる組織の体制だったり、政治とカネの癒着だったり、大洋テレビ社内で横行するセクハラやパワハラ発言だったりいろいろあると思うんですけど、その組織のカラーにどこまで染まるかとか、どこまで許容するかとか、どこで自分を取り戻すかとかは,選べると思う。/ミステリーとかサスペンスとか逆転劇とかが好きな方は楽しめると思います。長澤まさみさんも、他の俳優さんもいい演技をしています。> (https://fortunamajor.hatenablog.com/entry/2023/02/10/063000

2番目に、「脚本家・渡辺あやが『エルピス』に込めた思い」のコメントを一部転載しておく。

「組織というものは一枚岩ではなく、忖度してしまう人たちもいるけれど、戦おうとする人もいるし、真実を追求したいと思っている人たちもいるのではないか。そういう人たちがいるとしたら、今、どういう振る舞いをするのだろうということをドラマにして自分で観てみたかったっていう感じですね。」「世の中にすごい悪の黒幕がいるというよりは、それこそ善人たちが忖度しあったり何かを押し付け合ったりし、その場しのぎで何かをしてしまったがために、たいへんなことになる。多くの問題は重層的な構造になっている気がします。」「人間って、たった1人でも信頼できる人がいれば、希望を持てると思うんですよ。」「(長澤さんのは)すごく良くて、とても感受性の豊かな人だなと思いましたね。感情性が豊かだからこそ、いろんな表情を見せてくれるし、まだ見せたことのない表情や聞いたことのない声もあるんじゃないかなと。あれだけのキャリアを持ちながら、そんな予感をさせる女優さん」(https://realsound.jp/movie/2022/10/post-1167351_2.html

3番目にドラマのプロデューサーの佐野亜裕美(1982年生まれ。東大教養学部表象文化論専攻卒業)のインタビューもWEBに載っているので転載する。

「主役は長澤まさみさんを想定して、脚本が3話できた段階でオファーしたら、長澤さんからぜひ出たいとお返事があったんです。放送は決まらない。宙に浮いた状態が続きましたが、このドラマは絶対に面白い、絶対に放送する、と思い続けました。6年間、「エルピス」のことを忘れたことは一瞬もなかったです。」「(脚本家の渡辺あやさんは)私の第一印象を「しょぼくれた柴犬が来た」と言っています。その頃、会社では組織の環境に合わず、つらかった。現場の仕事が評価されず、自信もなかった。そんな私にプロデューサーとして何がしたいのか、あなたは何者なのかと聞いてきた。心に言葉が刺さり、涙がポロポロ出たことも。聞くだけでなく叱咤激励してくれた。 その結果、自分の価値は自分で決めるのだと思えるようになったのです。「エルピス」は、長澤まさみさんが演じる人気が落ち目の女性アナウンサー恵那と真栄田郷敦さん演じる若手ディレクター拓朗、「価値がない」と他者からレッテルを貼られた主人公2人が自分の価値を自分で認めていく物語です。主人公たちには私自身の姿が投影されているといえるかもしれません。」(https://digital.asahi.com/articles/ASQDC3FKGQD6UCVL02V.html?iref=pc_rellink_03)

追記 武井 保之「ドラマ「エルピス」圧倒的な重厚感を生む3つの点―熱量が伝わる脚本や、長澤まさみの熱演も話題」(東洋経済2022/11/07)にも同様の感想が綴られている。(https://toyokeizai.net/articles/-/631221

若い人の思考の柔軟性について

齢をとると柔軟性を失い、思考が固まり、自分とは違う考えや新しい考え方を受け入れるのが難しくなる。それに比べ、若い人の思考の柔軟性に感心することがある。学生のコメントの中に、「学校に通うことの意味に関して、学校に通うことはコミュニケーション等の非認知的能力育成の為絶対必要と思っていたが、先生のコメントを読んで考え方が変わった」というものがあった。こんなに若い人(学生)の思考が柔軟なんだということと、教員はいい加減なことは言えないということを強く感じた。その学生のコメントを転載しておく。

 <私は第5回学校へ行くことの意味、教師の役割について再び考え、最終レポートとする。/ 私は第5回の当初は「学校に通うことで多種多様な人との関わりを自然のうちに学びそれに伴うコミュニケーション能力や自主性、リーダーシップ等非認知能力と呼ばれる数値で測ることの出来ない学びをすることができるため、日本でホームスクーリングはまだ認めるべきではないと考え、従来の学校へ行くべきであると考える。」と回答をしていて、学校へ行くことが全てであると考えていた。/ しかしそこで先生からのフィードバックの中で「教育の基本は押さえつつ、柔軟な対応が必要な時代です。学校や教師の存在は子どもの教育に不可欠なものですが、それに合わない子どもも存在します。「学校でいじめられて自殺するくらいなら、不登校を選びなさい」という裁判の判決があるくらいです。将来組織の中で働く人が多いと思いますが、そうでない人もいて、職業によって必要な社会的能力はさまざまです。」との回答を頂いた。このフィードバックから私の考え方は変わった。/私自身が学校という環境に適性があっただけで、学校という環境が苦手で、苦痛を感じ、人との関係を作ることが出来ない人もいる。今までの私は学校が嫌いでも行き、そこから少しずつ学び、成長する必要があると思っていたが、柔軟な対応が必要な時代であり、必ずしも学校に行かなくてもホームスクーリングや他のインターネット上での学び、通信教育など様々な方法を選ぶ事も必要であると学んだ。現代は多様性が求められている時代だからこそ柔軟な考えを持ちその人一人一人にあった個性を大切にすることの大切さを学んだ。/ 教育社会学を受けていなければ、以前のまま昔ながらの古い考えでこうでなければならないと考えていたが,臨機応変に対応し柔軟な考え方をもち教師になってからも指導していきたいと感じた。>

風の便り 52号、53号

「浜町から風の便り」52号(2023年2月)を掲載させていただく。いつも昆虫の写真とその解説が多いが、今回は、動物、それも本物ではなく、置物やお面の写真である。辻氏の軽妙なユーモアに満ちた描写に、心温まる思いがする。この52号と一緒に、「浜町蟲記 令和4年版―昆虫その3」という蝶や蛾の写真とその解説の41ページに及ぶ手作りの冊子を送っていただいた。蝶と蛾の図鑑のような趣がある。こちらはページ数が多く掲載できないが残念。53号のバッタ特集も掲載する。