今のNHKの朝ドラ「舞いあがれ」を見ていて、R.ジラールの「欲望の模倣論(三角形)」を思い出した。それは、人の欲望は、自分の中から自発的に出てくるものではなく、他人の欲望を模倣するものだというものである。(Girard.R,吉田幸男訳『欲望の現象学』法政大学出版会,1971)。*
貴司(赤楚衛二)が、幼馴染の舞(福原遥)を好きだと感じるのは、舞の付き合いの相手を紹介された時である。また舞が貴司を好きと感じたのは、ライバルの史子(八木莉可子)が貴司に寄り添うようになってからである。
このように、人の欲望は模倣されるものだというのがジラールの説で、それを、作田啓一は夏目漱石の『こころ』の先生と尊敬する先輩Kとお嬢さんの3角関係(先生は、Kがお嬢さんが好きという欲望を模倣した)で分析している(『個人主義の運命‐近代小説と社会学』岩波新書,1981,pp.134-146)。藤村正之は、漫画「タッチ」の和也と達也と南の三角関係を、この図式で説明している(『<生>の社会学』東京大学出版会』2008,pp.171-199)
朝ドラでは、この「欲望の模倣論」ではなく、普通の、本人の本当の気持ちが何であるかがやっとわっかた(自覚した)として描いているが、このジラールの欲望の模倣論(三角形)の視点も取り入れてみると、さらに面白く感じるのではないかと思う。
*「人間の欲望は三角形的、換言すれば「模倣的」である。すなわち、欲望を持つ主体(S)とその欲望の対象となるもの(O)のあいだには、常に媒介者(M)が存在する。私たちがあるものを欲するのは、それがそれ自体として望ましいものであるためではなく、他者がそれを欲しているからであり、他者がそれを望ましいものとして示すからである」(西永 25頁)https://ha2.seikyou.ne.jp/home/Takeshi.Usuba/sociology/resume/sg080602.pdf#:~:text=%E3%80%80%E3%80%8C%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E6%AC%B2%E6%9C%9B%E3%81%AF,%E8%A5%BF%E6%B0%B8%E3%80%8025%E9%A0%81%EF%BC%89%E3%80%82