初詣に行く

友人が「(以前に)成田山新勝寺初詣に行きましたが、すごい人で道路は埋め尽くされ、足を踏み出すことさえできませんでした。これに懲りて以来、初詣は止めました」と言っていた。私の場合は、あまり信心深くないので、神社にお参りに行ったりすることはあまりない。それでも新年くらいは、近くの神社には初詣に行く。

初詣といっても元旦ではなく、詣の人が少なくなってから行く。本日(1月12日)がその日で、朝起きたら天気もよく初詣に出かけた。行ったのは幼い頃(小学校入学以前)近くに数年住んでいた記憶がある「稲毛浅間神社」である。なかなかよい(空)気を感じる神社である。この1年の家族の健康と招福、世の中の平安を祈願し、昨年の破魔矢を納め、新しい破魔矢を購入する。近くの稲毛海岸にも立ち寄り、穏やかな海と遠くの富士山を眺めた。

楽譜と演奏との関係について考える

私は、文学も音楽も、芸術分野に全く疎いので、これは見当外れな考えと思うが、ふと思いついたことがあるので、書き留めておきたい。

ピアノ教師(本人もピアニスト)が生徒にピアノのレッスンをしている動画を見て思ったことである。楽譜と演奏の関係は、どのようなものなのかと思った。ピアノ教師は、楽譜を見ながら、ピアノの弾き方を熱心に生徒に教えている。その解釈は、楽譜に書かれているものなのか、それともそのピアノ教師のオリジナルなのか知りたくなった。演奏は楽譜通りに弾くのが基本かもしれないが、ピアニストによっても解釈は違って来るのではないか(オーケストラの場合は指揮者による演奏の違いがある)。

それを小説と楽譜との違いで考えてみた。4つくらいのことがある。①小説は作家が何度も推敲して書き換える場合があるが、楽譜の場合はどうなのであろうか。楽譜は、一度完成したら書き換えはないのであろうか。源氏物語は底本がないといわれるが、昔の楽譜の場合、どれがオリジナルかわからないということはないのであろうか。②小説の場合、それを解説、批評する文藝批評家がいる。楽譜の場合、その批評家は演奏者になるのではないか(もちろん音楽評論家もいるが、主に演奏を批評している)。③ 小説はつまらないのに、その文藝批評は優れているという場合がある(小島信夫の『抱擁家族』に対する江藤淳の『成熟と喪失』の中の文芸批評など)。これと同じように、楽譜はつまらないのに、その演奏は素晴らしいということがあるのであろうか。音楽の場合それはないのであろか(もちろん編曲というのもあるが)。 ④ ピアノの楽譜を見てみると、その残存音を考慮して作曲されているようにも感じる(和音など)。それと同じことが、小説や文章にもいえるのではないかと感じた。優れた文章は、前に書かれた文章の余韻を意識しながら、書かれるのでないかと思った。(そんな高度なことは、到底自分ではできないが)。文章(小説)と音楽にこのような共通性があるとすれば、優れた文筆家は音楽にも通じていることになる。

高等教育研究について

大学の運営に何らかの関わりがなくなると(それが教授会や学科会議程度の関りでも)、大学や高等教育への関心が沸かなくなる。大学の偏差値や知名度やランキングにも関心がなくなっている。学会発足当時から参加していた「日本高等教育学会」の会員も一昨年やめてしまった。忘れないうちに、過去に書いた高等教育関係の本、論文や報告書を記録にとどめたい。

Ⅰ 論文、本

武内清編『キャンパスライフの今』玉川大学出版部、2003年/ 武内清編『大学とキャンパスライフ』上智大学出版、2005 年/ 武内清「学生文化の実態と大学教育」『高等教育研究』第11集、2008年 /  武内清『学生文化・生徒文化の社会学』ハーベスト社、2014年/ 武内清・浜島幸司「学生の変化と学生支援」『東北大学高等教養教育・学生支援紀要』第4号、2018年

Ⅱ 報告書 (科研費関係)

1 武内清(研究代表)『学生文化の実態,機能に関する関する実証的研究』平成(8~10年度科研究費(基盤研究(C)、報告書、平成11年2月。/ 2 武内清(研究代表)『学生のキャンパスライフの実証的研究-21大学・学生調査の分析-』平成16~18年度科研費(基盤研究(B))中間報告書、平成18年2月。/ 3 武内清(研究代表)『現代大学生の生活と文化 ー学生支援にむけて』平成16~18年度科研費(基盤研究(B)最終報告書、平成19年2月。/ 4 武内清(研究代表)『大学の「教育力」育成に関する実証的研究-学生のキャンパスライフからの考察』平成19~21年度 科研費(基盤研究(B)中間報告書 平成21年3月。/ 5 武内清(研究代表)『現代の学生文化と学生支援に関する実証的研究 -学生の「生徒化」に注目して』 平成24~26年度 科研費(基盤研究(C)報告書 平成 27 年 2月。

冬の房総(内房)を楽しむ

寒い冬は、空気が澄んで、千葉でも海や海の向こうの富士山が綺麗に見えることが多い。今日(1月7日)の朝は、明け方に降った雨もやみ、天気がよくなりそうなので、車で内房に出かけた。

最初に、穴川インターから高速に乗り、館山道を君津で降り、一般道を少し下り、いつも行く天羽の別荘地から海を眺めた。相変わらず見事な眺めの別荘地だと感心する。風もなく海は静かだが、富士山は雲に隠れ見えなかったのが残念(下記写真)。

さらに一般道を南下し鋸山の少し先の漁師の人がやっている小さな店で、お昼の定食を食べる。お刺身、天婦羅、アジのたたきなど新鮮な海の幸が美味しかった。

少し道を戻り、金谷港より「東京湾フェリー」に乗る。車を金谷港の駐車場に置き、金谷―久里浜の往復遊覧を楽しむ。これだと往復90分のフェリーの遊覧代が一人1150円と格安。4階建ての大きな豪華なフェリー船で、天気もよく風もない中を、東京湾と房総半島と三浦半島の眺めを楽しんだ。房総半島を三浦半島側から見るのは初めてかもしれない。乗っている人は少ない。キャバリヤ犬も乗っていて、昔の家の犬(ソフィー)を思い出す。外は海の風で少し寒く、客室は暖かい。船が金谷港に戻ると、ちょうど夕日が沈むところで、夕焼けが綺麗で、富士山も少し見えた。(遊覧船と夕日の景色は下記をクリック)。今年も、いろいろなところの景色や自然や花が楽しめると嬉しい。