高原や渓谷で涼しさを感じる

真夏の暑さは、特に高齢者には体に答える。冷房を入れた部屋にずーといれば問題はないかもしれないが、冷房のない部屋や外との出入りがあると、余計暑さを感じ、体力が消耗する。

その点、高原や避暑地などで夏を過ごせれば、体力の消耗が少なくて済むであろう。都会を離れると緑が多く、それだけで涼しく感じ、気分が爽快になる。

短期間であったが、新潟県の湯沢町や十日町の緑や渓谷の多いところで過ごすことができた。「清津峡渓谷トンネル」や「秋山郷」に行く途中の渓谷の景観が、涼しさを感じさせてくれた。

検見川の大賀蓮を見に行く

1か月ほど前、日程を間違い見損なった東大の検見川グランド脇の大賀ハスを見に行った。駐車場があるかどうかわからなかったので、朝7時前に自転車で出かけた(自宅から20分ほど)。早朝にも関わらず多くの人が見に来ていた。ガイドの人の丁寧な説明を聞きながら、蓮を鑑賞した。千葉公園の蓮はピンクの花が咲くものがほとんどであったが、ここの蓮は多くの種類の種類があり、心癒された。ボランティアの人が親切で、この人たちによって、ここの大賀ハスが守られていることを知った。

「大賀蓮ˊ は、1951(昭和26)年に大賀一郎博士を中心に、千葉市旧検見川町にあった東京大学厚生農場(現 検見川総合運動場)の地下の青泥層より発掘したハスの果実(種子)を発芽・開花させて得られた系統です。発掘された果実は、2000年以上も地下にあったと推定され、古代蓮と称されています。また、植物の生命力の象徴ともみなされて、発掘から半世紀以上を経た今日においてもなお人気を博し、全国各地で栽培されています。」https://www.isas.a.u-tokyo.ac.jp/lotus/index.html

神野藤昭夫著『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022)を読む

数年前、放送大学文京学習センターの客員でご一緒した国文学の神野藤昭夫先生(跡見学園女子大学名誉教授)から、最近書き下ろされた1冊のご著書をお送りいただいた。462ページの分厚い日本の古典文学に関する著作で、大学退職後このような学術著を執筆された神野藤先生の意欲と学識に驚かされた。私には文学、特に古典に関する素養がなく、まともな感想を述べることはできないが、学ぶことが多かったので、その記録を下記に残しておく。

著者の神野藤先生は、1943年東京生まれ、都立小石川高校卒、早稲田大1文学部、大学院卒、博士(文学)の方で、本の題は、『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022,7花鳥社)という文学の学術書である。「みだれ髪」という和歌集で話題となった与謝野晶子の自伝とその翻訳(源氏物語)の研究書である。

本書は、「新資料の数々をもとに、(与謝野晶子の源氏物語の)訳業の具体像を明らかに」した学術的に価値の高いもので、同時に推理小説を読むような謎解きのスリリングな読みものということは、素人の私でもよくわかった。古典の文学研究や書誌研究(?)の方法が、ご著書からわかり、勉強になった。源氏物語のオリジナルが今見ることができないこと、過去の普及版はいくつかあること、与謝野晶子の現代語訳も、直筆の原稿と、清書されたものと、初版と再版等で、中身が変わっていることを丹念に調べ、その原因を突き止めていく著者の手法は見事で、推理小説を読んでいるようなスリルを感じた。与謝野晶子の直筆の現代語訳原稿が、訳者の思いを流れるように文章にし、原典や漢字なども気にせず、一気に書いている様子が考察からわかり、このようにして現代語訳というものがなされるのか(なされたのか)ということに驚いた。与謝野晶子の在仏滞在が、どのような意味を持つのかを、実際に、現地調査をして、自分の足や自分の目で確かめる手法その記述には迫力があり、著者が、与謝野晶子研究の第1人者である所以が理解できた。源氏物語がなぜ、日本でこれほど重要な文献として扱われているのか知りたくなった。古典としての価値なのだろうか。与謝野晶子以外にも、多くの人が現代語訳を出している。ただ、近代の恋愛結婚とは違う(自由?)恋愛を扱った内容の「源氏物語」が、高校の教科書に載るというのも、教育としてふさわしいのか、と不思議に思う。与謝野晶子の「みだれ髪」が自由奔放なものという説明があったが、与謝野晶子の恋愛観と、源氏物語の恋愛観、結婚観に関しては、通じるものがあったのだろうか。実際の夫の与謝野鉄幹との関係は、どのようなものだったのか。現代の視点から見ても興味深い点が多い。

私は、江藤淳や吉本隆明などの批評家の作家論は好きでよく読んだことはあるが、文学、古典の学術研究の本というのは読んだことがなく、素養や基礎が全くない故見当外れのことばかり感じたが、異文化の分野の学びの楽しさを味わうことができた。

「男らしさ」について

「世界経済フォーラム(WEF)は13日、2022年の男女平等度を示す「ジェンダーギャップ指数」を発表し、日本は総合ランキングで146カ国中116位となった。21年の調査から順位を四つ上げたが、政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では引き続き最下位だった(@niftyニュース7月14日)」とある。このことと関連があるかどうかわからないが、今の朝ドラを見ていて、日本人の思う「男らしさに」について、考えた。

若い男が沖縄の一地域の相撲大会に勝ち、そこで勝って好きな女性(ヒロイン)にプロポーズするという場面があった。対戦相手(二人)にも好きな女性の為に戦うという姿勢が見られた。このように、「男らしさ」とは、(か弱い)女性を守る強い男(性)というイメージが暗黙の前提として存在していることがわかる。それを誰も疑わない。

さらに、女性を幸せにすること(女性の夢をかなえることも含む)に、男は全力を尽くすこと、それを約束することも、男らしさの証として描かれている。女性はそのような強い「男らしい」男に守られ、庇護され、自分の夢をかなえ幸せに暮らすことが期待されている。このようなジェンダー観に「否」を唱えることが、朝ドラのヒロインたちにどのくらいできるのか、今後を見守りたい。

中森明菜「伝説のコンサート」(NHK、7月9日)を見る

今日(9日)、たまたまNHKテレビをつけたら、中森明菜「伝説のコンサート」という番組をやっていて、全部ではないが、7割くらいを見た。

 一世を風靡したと山口百恵、松田聖子、浜崎あゆみ、安室奈美恵などの歌手に比べると、中森明菜の印象は薄い。でも、何か惹かれるところがあると昔感じていたように思う。その理由がわからないかなと思い見た。このコンサートは、1989年、中森明菜のデビュー8周年の最盛期のものということだが、今聴いて見ても、歌やファッションやダンス(しぐさ)に時代を感じず、当時としては時代を先取りした先進的なものだったのではないかと感じた。アップの多い映像で中森明菜の表情がよく見え、その笑顔に好感を持ったファンも多いと思うが、そこに何か脆さも感じ、荒波の芸能界を生き抜いていることができるのかという危惧も感じた。

ネットで、確かめると、同じようなことは書かれていた。一部転載。

 7月9日、「伝説のコンサート『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』」(NHK総合)がついに放送された。「中森明菜になりたい!」と歌手を志したシンガー・Kayaに「伝説のコンサート」はいかにして“伝説”となったのかを語ってもらった。/「伝説のコンサート『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』」で放送されたのはデビュー8周年、1989年4月に「よみうりランド EAST」で行った野外アニバーサリー・ライブ「AKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversary」の模様だ。/ あの時が一番“明菜ビブラート”が美しい、完璧! 歌声もそうですが、体力もあって、痩せすぎてもおらず、スタイルもいい。明菜さんの表情がコロコロ変わるんですよね。お客さんの中に小さなお子さんがいて話しかけたり、明菜さんの魅力が全部詰まっている。/世界中の人に見せたいライブです。日本が誇る宝ですよ。こんなに美しいものはないです! 世界中に届いてほしい!」/夜のヒットスタジオ』で拝見して、衝撃を受けました。“お人形さんが動いている!”って。ただ華美なだけでなく、その中に憂いがある、ちょっとダークサイドなものが./当時のアイドルは華やかな感じだった中で、明菜さんは異色というか雰囲気も全然違った。憂いを持っていて、/ 明菜さんにしか出せない、憂いのある表現は天下一品だと思うんですよね。何を聞いても『闇』を感じる。表現者として明菜さんの運命そのものからほとばしる闇は本当に魅力的です。闇に美しさを見いだす文化って、やっぱり日本人にすごく合っている。だから日本人は明菜さんの魅力にハマってしまうんだと思います!」(AERA dot.編集部・太田裕子)

https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/