ある意見の意味や効用を考える時、その意見が普遍的に通用するかを考えるのではなく、その意見がどのような社会的文脈(歴史的背景)の中で発言されたものなのかを考慮し、現代の社会的文脈中で通用するものなのか検討する必要がある。
多くの人や世論と違っても、「千万人と雖も吾往かん」という気持ちで、自分の思った意見を発言する勇気が必要という内田樹の下記の提言は、日本の戦前の戦争に突入していった時、それに抗する発言を周囲に慮ってできなかった戦中世代が、戦後世代に向けての忠告という社会的文脈(歴史的背景)があってこそ意味をなすものである(内田氏もそれを言っている)。それ抜きに、自分の無知からくる自説を、世論に抗して唱えても、それは場違いな勇気ということになる。
<先日若い人たちと話すことがあった。「今の日本人に一番足りないものは何でしょう」と訊かれた。少し考えて「勇気じゃないかな」と答えた。/ 勇気というのは孤立を恐れないということだと思う。自分が「正しい」と思ったことは、周りが「違う」と言っても譲らない。自分が「やるべき」だと思ったことは、周りが「やめろ」と言っても止めない。/ 戦前戦中において、自分が「正しい」と思ったことを口に出せず、行動に移さず、不本意なまま大勢に流されて、ついには亡国の危機を招いたということへの痛苦な反省があったからこそ戦中派の人々はわれわれ戦後世代に「まず勇気を持て」と教えたのかも知れない。/ 『少年ジャンプ』が作家たちに求めた物語の基本は「友情・努力・勝利」である。最初に「友情」が来る。私見によれば、友情と勇気は相性が悪い。友情というのは理解と共感に基づくものである。周りの友人たちに理解され、共感され、支援されることである。一方、「勇気」というのは、周りからの理解も共感も支援もないところから始めるために必要な資質である。/ 『孟子』に「千万人と雖も吾往かん』という有名な言葉がある。「友情」と「勝利」が優先的に求められる世界では、この「吾」はただの「空気の読めないやつ」として遇される。/ スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で式辞を読んだことがあった。その時に彼は「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です」という感動的な言葉を語った。「心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているからです」と話は続く。勇気が要るのは子どもが「心と直感に従う」ことを周囲の大人が許さないからである。ものごとを始める時に、まず周囲の共感や理解を求めてはならない。ジョブズのこの見識に私は全幅の同意を送る。(内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2022/04/07_1051.html 2022-04-07より一部転載 )