今日(3月31日)も千葉の近場の桜を見に行った。八千代にある「やちよ農業交流センター」で、貸自転車を借り、花見川のサイクリングロードを、花見川沿いに40分ほど下り、薄いピンクの染井吉野の満開の桜を楽しみ(下記)、帰り(上り)は染井吉野と濃いピンクの陽光の桜の混在を楽しんだ(5070)。
月: 2022年3月
切られた満開の桜の花と枝
どのような事情によるのか分からないが、近所で満開の桜の花の枝の剪定を、植木屋さんがやっているのに遭遇した。やっと満を持して満開になったのに、切られてしまう花と枝は気の毒で、枝の剪定をするのを、花が散るもう1週間ほど待てなかったのかと思った。きっと何らかの事情があったのであろう。枝を切っている植木屋さんも、桜に悪いことをしているという気持ちがあるのか、花を丁寧に扱い、同じくらいの長さに切った枝を並べて、持っていきやすそうにしていた(ただ、そこは人通りの少ない裏道で、持っていく人はほとんどいない)。「少しもらっていいですか」と聞いてみたら、「いくらでもどうぞ」と、植木ハサミまで貸してくれた。
そこで、約30本くらいの桜の木の枝をもらい、2回に分けて自転車に積み、家まで持って帰った。それから近所の家に、桜の花(枝)はいらないか聞いて回った。公園で遊んでいる知り合いの子ども(小学生)にも、「桜の花(枝)がいらないか、家の人に聞いて来て」と頼んだ。
その結果、喜んで桜の花をもらってくれた家が6軒、「1-2本だけなら」という家が2件(これは子どもを通して聞いた家)、「いらない」と断られた家が3軒であった。私の感想は、花が好きでない人も意外といるのだということである。部屋に花を飾ることを好まない、花を飾ることしない人がいるということ自体が少し驚きであった。ただよく考えると、直ぐ枯れて散らかってしまう花は部屋に置かない、それより高価でセンスのよい調度や絵画を部屋に置いて、スッキリした生活を送りたいという人がいてもおかしくない。私は少しおせっかいなことをしたのかも知れない。ただ、何軒かの家で、満開の桜の花(枝)が咲き、花がしばし生き延びたのであれば嬉しい。
急な桜の開花
今年は、桜の開花が急だったような気がする。3月下旬だというのに、まだ寒い日も続き、今年は春の訪れが遅いのかと思っていたら、昨日のテレビでは、東京の桜が満開で、多くの人がお花見に行っている様子が放映されていた。
慌てて家の前の小学校の桜に目をやると、一気に8分咲きのようになっていて驚いた(5004)。昔はよく見に行った千鳥ヶ淵の桜は、まだ東京の新型コロナの感染終焉の兆しもないた行けず、近場の千葉の桜で我慢することにした。千葉市の動物公園近くの桜(下記)や県の総合スポーツセンター(天台)の桜(5035)も例年通り満開で、春の訪れを感じた。桜とモノレールの写真も一応撮れた(5030)(逆にモノレールから見る桜はどのような光景なのであろうかと思った)。
千葉のモノレールと桜
鉄道ファンの人が、周囲に咲いている花と電車の写真を撮るのを見かける(千葉のいすみ鉄道と菜の花畑 https://trip.iko-yo.net/articles/253?msclkid=18767380abd511ec851c6b883a6611f8など)。私は、鉄道ファンではないが、たまたま早咲きの桜を近くの県の総合スポーツセンター見に行ったところ、モノレールの電車が通って行ったので、シャターを押した(あまりいい写真とは思えないが、これから咲くソメイヨシノの桜とモノレールの写真がよく撮れそうなスポットは確認した。別の場所だが、ウグイスの鳴き声も今日千葉で聞いた。春の訪れはもう直ぐ)。
学校と教師の困惑
今学校や教師は困っているという話を聞いた。新型コロナの児童・生徒への蔓延の話かと思ったら、そうでなくロシヤによるウクライナ侵攻のことだという。ウクライナで多くの民間人、女性や子どもたちが空爆で傷つき殺される映像が、テレビやネットで流れ、それを日本の子ども達が目にして、「私達で何かできることはないの」と先生たちは尋ねられるという。
このような「政治的な問題」に対して、これまで学校や教師は教育する準備をしてこなかった。情報も遮断していたとも言える。今はネットの時代で、その情報は子ども達にも直に伝わる。また、知識としては教えてもそれはよそごとの知識であり、自分達に関わることとしては教えてこなかった。それが、今回のことは今後の日本にもかかわりが大きい。また今教育界ではアクティブ・ラーニングが推奨され、単なる知識ではなくそれをどう評価し、行動を起こしていくことが大切とされている。実際のロシヤのウクライナへの侵攻と同時に、フェイクニュースが行きかう情報戦争の様相も呈しており、教師はそれらも含めて、子ども達にこの問題をどのように教え、子ども達にどのような行動を推奨するのか、教師の力量が問われている。