オリンピックの競技とその結果と、その後のインタビューをテレビで観ていて、若い選手(特に若い女子アスリート)が皆の期待を一身に背負い、かなり辛い思いをしているのを知り、心痛めてしまう。
スキー女子モーグルで、惜しいところで決勝まで進めなかった住吉選手が、準決勝で落ちた後のインタビューで言葉を詰まらせ、「これまで、辛いことばかりで、何のためにスキーモーグルをやっているのか、何のために生きているのか、わからなかった」と涙を流しながら答えていました。
AERAの記事でもその点が指摘されていた。<海外に駐在する日本人記者は「日本では選手がメダルを逃して謝罪する光景が多すぎる」と指摘する。「原因としてはメディアがメダル獲得を煽りすぎている部分もあると思います。もちろん、選手たちは金メダル獲得を狙って血のにじむような努力を積み重ねていますが、五輪でメダルを逃すと、お通夜のような雰囲気でアスリートを謝罪に追い込むような環境を作っているように感じる。欧米では、五輪でメダルを獲れなかったかといって選手が責任を過度に背負い込むことはない。試合に負けた後のインタビューで選手たちは敗因を分析しますが、謝罪する光景は皆無に近いです」 昨年行われた東京五輪で、「ニューヨーク・タイムズ」電子版が「金メダルにおよばなかった日本人選手たちは、銀メダルを獲得しても執拗に謝罪する」というタイトルの記事を8月5日に報じて話題になった。(安西憲春)https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb
副田義也先生の「応援団的人間像の研究―日本人論の間奏曲」(『遊びの社会学』1977年収録」)には、日本人特有の応援する人の「脇役の主役化」や「応援のいかがわらしさ」(他人の酒で酔っ払い、大言壮語を常とする人間のいかがわしさ)が、的確に指摘されている。
追記 新聞の関連記事を転載
北京五輪ジャンプ混合団体で、スーツの規定違反で失格となった高梨沙羅選手は、SNS上で「皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした」と謝罪した。/日本選手はなぜ、わびるのか。/ オーストラリアと韓国は前向きで、オーストラリアは「興奮」「すごい」「やった」などの喜びを表す言葉、韓国は「ひざが割れても必ず勝つ」「負けないという自信」など、必死さやそれを乗り越えた自信を表す言葉が多く見られました。一方、中国と日本はネガティブで、中国は「訓練」「犠牲」「重圧」など苦しみの表現が多く、日本は「金メダル以外は(負けと)同じ」など自分に対する厳しい言葉が多いのも特徴でした。/ 日本人にとってわびることは、一種の「クッション」のようなもので、円滑なコミュニケーションにつなげようという意識の一つだと思います。/ 言語学には「ポライトネス理論」というのがあります。人間関係の距離を調整するための言語的な配慮のことを指します。 ポジティブとネガティブの二つの概念があって、ポジティブは、他者から称賛されたい、好かれたいという欲求で「自己主張」的なものも含まれます。 一方ネガティブは、他者から距離を置きたい、関与されたくないという欲求で「おわび」的なものも含まれると言っていいでしょう。 欧米ではポジティブが多く、敬語がある日本やほかのアジア諸国はネガティブが多いと言われています。/ 「私は頑張りました」みたいに言い切ってしまうと、ちょっときつい印象を与えます。「何をえらそうに。謙虚さが足りない」と受け取る人が出てくるので、好まれないというのがあると思います。 ――高梨選手がSNS上で謝罪したのも、そういう受けとめをしやすい「SNS世論」があるのではないかと感じます。(朝日新聞、2022年2月19日 より一部転載)