年末のなると、紅白歌合戦ではないが、昔の音楽が聴きたくなる。今年は、何を聴きたいかなと考えて、下の3曲をあげておく(歌い手は、上白石萌音、ビートルス、サイモンとガーファンクル)。(これは全く、私の個人的な好みの曲で、他の人が聴いても、何とも思わないかもしれないが、少しは、時代的な気分―過去に対立や葛藤もあるが、距離を取りつつ一緒に、with コロナ、―は、反映しているかもしれない。)
上白石萌音 「なんでもないや」『君の名は』
ビートルズ
サイモンとガーファンクル
年末のなると、紅白歌合戦ではないが、昔の音楽が聴きたくなる。今年は、何を聴きたいかなと考えて、下の3曲をあげておく(歌い手は、上白石萌音、ビートルス、サイモンとガーファンクル)。(これは全く、私の個人的な好みの曲で、他の人が聴いても、何とも思わないかもしれないが、少しは、時代的な気分―過去に対立や葛藤もあるが、距離を取りつつ一緒に、with コロナ、―は、反映しているかもしれない。)
上白石萌音 「なんでもないや」『君の名は』
ビートルズ
サイモンとガーファンクル
歳を取ってからコンパクトなマンションや団地に引っ越す人もいると思う。私も若い時10年間ほど高浜(稲毛海岸)の公団の団地に住み、そこでの生活は快適だったので、またそこに戻りたいなと思うことがある。ただ5階に住んでいて景色もよく海も見えてよかったと思うが,歳とってからエレベーターのない4~5階はきついかもしれないと思う。
昨日(29日)、たまたま千葉港のマンションに一時住まいしている友人夫婦の部屋を訪ねる機会があった。千葉ポートタワーの近くの13階建てマンションの12階の100平米ある部屋で、ベランダからの眺めも含めると12階の高い処から4方が見渡せる展望で、日の出も日入りも(見えるとのこと)、海も港も千葉の街も電車も美術館や郵便局、工場、病院やスーパーも眼下に見えて、夜景も綺麗で、快適この上ないと感じた。マンションため気密性も高く、床暖房で部屋は暖かい。良いことばかりではない(風が強い時がある。新聞を1階のポストまで取りに行かなくてはならない、ごみ捨てが大変等)とのことだが、このような場所で老後を過ごすのもいいなと思った(マンションの値段は高く、見果てぬ夢にしか過ぎないが)
私が最初に読んだ外国の長編小説はトルストイの「アンナ・カレーニナ」だったと思う。当時外国の世界名作全集は高校時代に読むのが同級生の間で普通であったと思うが、国語は苦手であまり読書の習慣のない私は、それを読んだのは大学2年生の時だったと思う。当然ヒロインのアンナの気持ちに寄り添ってその小説を読んだのだが、その小説の解説に、アンナの恋愛(不倫)で辛い思いをするアンナの夫の気持ちからこの小説を読むと味わい深いという記述があり、不思議に思ったことを、今でも鮮明に覚えている。
今日(12月26日)朝日新聞で、ロシヤ文学者の沼野恭子氏の高校時代に読んだ「アンナ・カレーニナ」の、アンナ以外の人に惹かれ読んだという読後感に触れ、同じような読み方をしている人がいるのだと感心した。
私はその後、トルストイの「戦争と平和」やドストエフスキーの「罪と罰」、ツルゲーネフ、チェーホフの小説を読み、ロシア文学に惹かれたが、途中ドストエフスキー「カラマゾフの兄弟」で挫折し、その後ロシア文学の読書が進まなかった。社会学者の作田啓一の本を読むと、「カラマゾフの兄弟」の話がよく出てくるし、後輩の故渡部真氏の優れた教育・文学論にも「カラマゾフの兄弟」がよく出てきて、元の本を読んでいない私は今一理解できないことがあり、悔しい思いをすることがよくあった。
このような体験は他の分野でもあり(数学、英語、歴史など)、若い頃の欠落を今から埋めようとするが、歳の為(?)、あまり進まない。
村上春樹がFMラジオ(東京FM)で、DJをやっていることはどこかで読んだことはあったが、実際ラジオを聞いたことはなかった。今日の朝日新聞朝刊に村上春樹の早稲田大学での朗読イベントの記事が載っていて、その村上ラジオのことにも言及されていたので、ネットで検索し、過去のもの(村上RADIO,12月23再放送)だが、PCで聞いてみた(https://radiko.jp/#!/ts/FMT/20211223200000)
まず驚いたのは、その声の印象が、私の想像していたものと全く違うということである。(どのように表現したらいいのかわからないが)、あえて言うと,どこにでもいるサラリーマンのオッサンの声である。「~じゃないですか」「いいすよね」というフレーズもしょっちゅう出てきて、街で知らないオッサンにタメ語で話しかけられたような感じである。(これはPCの音のせいかもしれないと思い、慌ててPCに音楽用のヘッドホーン切り替え聞いてみたところ、少し落ちついた声で聴くことができた)。
短いトーク(内容は、村上春樹のエッセィによく書かれているような軽いユーモアの含まれた話)の合間にかかる曲は、昔の有名なポピュラー音楽やジャズなど聴きやすい曲である。
いま話題の著書 松岡亮二『教育格差』(ちくま新書、2019)の中に、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス」の中の「文化的雪かき」(「誰かがやらなければならないことであるが、別に似たことは誰にもできる」に言及した箇所があり(322ページ)、村上ファンの一人の私としては、それだけでこの著者に親近感を感じてしまうが、そのような贔屓(偏見)を排して、客観的に本を読もう,ラジオを聞こうと、自分を戒めた(村上RADIOは、毎週日曜日19時より東京FMで聴けるとのこと,https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/)
今の学習指導要領で重視されているアクティブ・ラーニングや「主体的、対話的で深い学び」は、全ての教科で提唱されているものだが、「総合的な学習の時間」(中学校)や「総合的な探求の時間」(2022年度から、高等学校)が、一番実践しやすい時間(科目)だと思う。それを教職課程の授業で教えるのには、その背後の理論等を学生達に講義すると同時に、それを実際に学生達に協働学習で実践してもらうのが一番効果的であろう。
そのような大学の授業を実践した記録が、馬居静岡大学名誉教授のHP(https://www.uer-labo.jp)に掲載されている。それは 静岡県立大学「総合的な学習・探求の時間の教育・指導法」の2021年9月に行われた馬居教授の集中講義(遠隔方式)である。
教材として、この授業ではその基礎や背景になる論文、著書、答申が多数のものが提示されている。それも大変参考になるが、実際の授業の様子が詳細に記録され(多くのゲストの講義もある)、さらに、学生の協働学習の成果が、記録に残されている。一つの成功した、模範になる大学の授業だと思われるので、ここで紹介させていただく。