「死ぬな生きろ」(藤原新也)

藤原新也は、CATWALKという会員制のサイトを開設している。その会員の希望者全員に、藤原直筆の書(「死ぬな生きろ」)を送付するという大変な作業をしている。その数は千を超え、書き損じた書も多いという。送られて来たその書には、氏の魂(思い)が込められている。護符としての役割も果たす。

「死ぬなという直接的なものではなく、死んだごとく生きるなという意が込められています」と、「いま私たち人類はコロナ禍という未曽有の危機に直面することとなり『死ぬな』の意が直接的な響きを持つ局面に置かれています」と、この言葉は、「時代に応じて言葉の意味が変化する」、(その中において)「強く生き抜かれること心より祈ります」と、書には添え状があった。

韓国ドラマ「秘密の森」を観る

「秘密の森」の第1シリーズ16話を見終わった。見始めて4日ほどで16話まで見たので、1日に3~5話ほど見たことになる。新型コロナの感染拡大と大雨の天気の為、どこにも行けず、ドラマでも見るしかなかったせいもある。これまで、私が多く見てきた韓国ドラマと少し感じが違った。一気に見るほど面白いのかと聞かれれば、そのようにもに言えるのであるが、感想として言えることがあまりない。ネットで一般の人の感想がどこかに載っていないかと探したけれど見つからない(これまで、私の見た韓国ドラマへの一般の人の感想は、ネットにたくさんあり、それをブログで紹介してきた)。殺人事件や汚職事件が絡むサスペンスドラマであり、娯楽性が高く、そこに何か感情移入したり、生き方のモデルを見出そうとするものではないのかもしれない。退屈な時間を潰すことはできた、と喜べばいいものかもしれない。

ネットからの解説、感想を一部転載しておく。―(ストーリー)子供時代に脳手術を受けた影響で感情を失い、理性だけで行動する冷徹で孤独な検事ファン・シモク(チョ・スンウ)。日常のように目の当たりにする検察の内部不正を断ち切ろうとしていたシモクの前に、現れた第一の死体。その後、相次ぐ第二、第三の死体。検察の内部不正を覆い隠すために相次いで起こる殺人の中で、周りの人すべてが殺人の動機を持つ容疑者として次々と浮上する。時には全員が犯人のように、時には全員が無実であるように感じられる…。そんな中、シモクはだんだん犠牲者たちの共通点に気付き始めるのだが…/キャスト■ファン・シモク(西部地検刑事3部 検事)、チョ・スンウ、■ハン・ヨジン(龍山警察署強力班の刑事)ぺ・ドゥナ/■イ・チャンジュン(西部地検 次長検事)ユ・ジェミョン/■ソ・ドンジェ(西部地検刑事3部 検事)イ・ジュニョク/■ヨン・ウンス(西部地検刑事3部 検事)シン・ヘソン/演出:アン・ギルホ,脚本:イ・スヨン /(感想)「すごく練られたシナリオを実力派俳優陣がかためていてハラハラドキドキしました」「1話毎に引き込まれてテレビにくぎずけ。見応えのあるドラマです。」「検察という大きな組織に立ち向かう冷徹な検事と正義感の女刑事。一見、ありそうなストーリーではありますが、色々な目線で見れるドラマです。」(https://www.bs11.jp/drama/stranger/

1話1話、殺人や騙し合いや探り合いの連続で観て疲れる内容だが、主人公の検事シモクの感情に動かされない冷静な判断と行動、それと対照的な義理人情と熱血漢の女性刑事ヨジンの行動力、謎めいたユ次長検事、健気な女性検事ヨン、それらの人の人間関係の絡み合いは、利害が対立していて緊張の連続だが、その底流には韓国人特有の情のあついものが流れていることを感じる。脳の手術で感情をつかさどる部分を失いその分認知能力やや察知能力が卓越し、人の些細な表情や行動の意味をいち早く察知し、隠されたものを何の忖度もなしに明るみに出していく検事シモクの手腕に痛快さを感じることができる。韓国に詳しい友人からは、韓国の検察と警察との関係は日本と違うこと、韓国では人とのつながりを公でも重視し、それが出世や優遇や賄賂につながり、さまざまな問題も生じさせていること(それがこのドラマにも現れていること)などを教えてもらった。韓国はITで世界の最先端を行くと同時に、人間関係では土着の古いものも残っているのであろう。その人間関係の土着さを(それに全く頓着しない)検事シモンの行動が際立出せている。

ドラマの監督、製作者について

知り合いから、韓国ドラマ「秘密の森」をたまたま見て、韓流ドラマにハマったというメールをもらった。見ていないドラマなので、さっそく最初の3回を視聴した。

そのドラマは、一種の事件もの刑事(裁判)ものなので、私の普段見るドラマと違い、戸惑いがあったが、一つの気付きがあり、私の鑑賞眼の捨てたものではないと思った。ところがネットで確かめてみたら、それは間違いとわかり、私の鑑賞眼のなさを再認識した。

それは、「秘密の森」の西部地検次長検事役のユ・ジェミョンが、(昨年からの)韓国ドラマブームを牽引した「梨泰院クラス」で準主役のデヒを演じた人で、役どころの感じもよく似ていて、その下の検事の役どころも、「梨泰院クラス」のデヒの少し抜けた長男役とそっくりで、この「秘密の森」の脚本や監督(制作者)と、「梨泰院クラス」の脚本や監督が同じ人ではないと思ったことである。

調べたところ、全く違う人で、私の予想はきれいに外れた。ただ、このようなストーリーや見方は、韓国のドラマや映画で共有され、それが韓流ドラマの人気を牽引しているのかもしれないとは思った。

韓国ドラマを見る時、イケメンや美人の俳優が多いので、その俳優に魅かれて別のドラマも見てしまい、その俳優に魅かれ、そのドラマの監督(制作者)に関心がいかないように思う。日本のドラマや映画を見る時は、この監督の作品だからという理由で見るのが普通だと思う。アニメ映画でいえば宮崎駿の作品、新海誠の作品、映画でいえば、ビスコンティの映画、ペキンパの映画、黒沢明の映画、山田太一のドラマというように。

韓国ドラマの場合、「愛の不時着」と「よく奢ってくれる綺麗なお姉さん」のヒロインを演じているソン・イェジンばかりに目が行ってしまうが、ドラマの制作者(監督)は作品により違うことに関心を払わない(少なくても私は?)。この2つは、同じソン・イェジンが演じていてもかなり雰囲気の違うドラマになっている。一方、「よく奢ってくれる綺麗なお姉さん」と「ある晴れた夜に」は、監督が同一なので、同じような雰囲気のシーンが多く味わうことができる。(ヒロインの相手役は チョン・へインで同一)。これからは、韓国ドラマや映画を見る時、少しは俳優ではなく、製作者(監督)に注目して見てみようと思った。(今回の気付きは外れたが)

韓国ドラマ・映画の感想

 昨年の3月ごろから、「梨泰院クラス」をネットフリックスで観たのをきっかけに、同サイトで多くの韓国ドラマを観て、その感想をこのブログに書いてきた。

 ドラマや映画といった文芸の感想や批評を書くセンスは私には欠けているので、その記載内容は、ネットや新聞に掲載された他の人の感想や批評を、転載したものが多い。それでも、その感想や批評の選択の仕方に、私なりの見方が出ていることであろう。

 私がこれまでのブログに書いた過去の韓国ドラマや映画の感想を集めてみた。順不同で、比較的感銘を受けたものを先にした。観たけれど感想を書かなかったものある。。

 ネットフリックスは、テレビと違い、録画する必要がなく、観たい時に、観たい回や場面から観ることができるので大変便利である。月会費800円で、家族メンバーごとに(個別最適化)の記録があり、家のどのテレビやPCでも観ることができて、余分な追記料金なしでいくらでも観ることができる。ネットフリックスのオリジナルのドラマがたくさんあり、その質が高く、韓国ドラマに関しても、一番充実している。

9月から学校や大学はどうなるのであろうか

オリンピックの開催もあり、人々の気も緩み、首都圏だけでなく全国で新型コロナの感染が広がっている。しかも、ワクチン接種の進んでいない若い人に感染者が多いという。今は、学校や大学は夏休みなのでよいが、夏休みが明けて、秋学期になったら、学校や大学はどうするのだろうか。昨年の春は、全国の学校や大学が一斉休校になったが、その後、緊急事態宣言が出ても、学校や大学は休校になることがなく、感染対策をすれば登校や教室での授業は実施しても大丈夫という雰囲気になっている。クラブ(部)活動も再開されている。

このまま若い人に感染が広がれば、学校や大学も休校せざるを得ないのではないか。その場合、多くの大学は遠隔授業の設備やノウハウを身に付けたので、それに対処することはできる(そうでもない小規模の大学や短大も多数ある)。一方、小中高校は、小中に一人一台タブレットが配されたとは言え、それを使いこなすWIFIの設備や、コンテンツやデジタル教科書や教材、そして教員のデジタル技術も備わっていなくて、教育がストップ、ないしできる学校とそうでない学校の教育格差の拡大が起きるように思う。

今新型コロナ蔓延により教育への影響が今あまり心配されていないのが不思議だ。このまま、9月に入り、新型コロナ(特に変異株)のクラスターが学校や大学で大量発生し、大騒ぎにならなければいいのだが。