最近(1年半前)の韓流ドラマのブームを、「愛の不時着」と共に牽引した『梨泰院(イテウォン)クラス』(Netflix)に関する、私の感想をまとめておく。
月: 2021年8月
明日から学校
千葉市では明日から小中学校の新学期が始まる。40分の短縮授業になる模様。小学校では児童に1台タブレットが配布されているはずだが、それを使って遠隔授業を選択できるという通知は来ていないようだ(市町村や学校によって、遠隔教育の準備状況は違いまた考え方も違い、教育のデジタル化、遠隔化には地域差が生じているものと思う)
夏休みの最後ということで、子ども(孫)達と近くの検見川浜に海を見に行く。多くの人が桟橋で釣りをしていて、ハゼやサバが釣れていた。遠くに幕張メッセのビルやホテルの明りが見えて、夏の終わりを告げていた。子ども達は明日からの学校が楽しみというよりは、自由を奪われ憂鬱そう。学校に慣れるまでに時間がかかることであろう。
追記 千葉県は市町村によって学校再開の様子は違うよう。以下ネットニュースから。
<夏休み明けの小学校や中学校の再開について、自治体で対応が分かれています。千葉県野田市によりますと、9月2日から12日まで、市内の公立小学校と中学校、それに幼稚園あわせて34校を臨時休校・休園にするということです。 期間中、小中学校では平日の午前を自主登校期間として校舎を開放し、自習などをできるようにするということです。 一方、浦安市は27日、短縮日課で9月1日から小学校を再開すると発表しました。 学校によっては時差登校を行うほか、登校に不安を抱える児童向けに、タブレットを使ったオンラインでも授業を行うということです。 また、八千代市や柏市なども、短縮日課で小学校と中学校の9月1日からの再開を決めるなど、自治体によって判断が分かれる形となっています。>
五輪の当たり前を疑う
今の時代、自明(当たり前)と思われていたことを疑うことが必須の時代のような気がする。その意味で哲学の時代、社会学の時代ともいえる。
オリンピックに関してもその意義に疑いが持たれている「多様性と調和」を掲げているが、実は「勝利至上主義」や「ナショナリズム」なのではないのかと。美談で語られるパラリンピックに関しても、障がい者が健常者と同じように勝利を目指す姿勢は正しいのかどうか。障がいの程度が違うのに1位を争う勝利至上主義や国を代表するナショナリズムが適切なのか。スポーツにはもっと別の基準や楽しみがないのかなど。8月23日の朝日新聞記事を読んで(下記に一部転載)、そのようなことを考えた。
< 結局、多様性と調和はかけ声に終わりました。/ IOCは従来の五輪と同じように、「勝利至上主義」や「ナショナリズム」、「商業主義」という批判をかわすため、多様性をトリックとして使っただけです。/ 五輪の競技性とは、簡単に言うなら「勝者以外たたえない」という「勝利至上主義」です。これは、子どもたちの鬼ごっこのように「遊びで楽しむ競技性」とは全く異なるもので、明らかに「多様性と調和」と矛盾しています。/メダルの色や順位だけで、選手のパフォーマンスやそれまでの努力がはかれるでしょうか。例えば4位でメダルを逃すと、選手が国内で誹謗(ひぼう)中傷を受けるケースもみられます。 / 勝利至上主義がナショナリズムと結びつく時、国民の期待を背負った選手は負けると、「ごめんなさい」と謝る。メディアや国民は選手の順位で一喜一憂しますが、応援は選手に向けてなのか、自国民としての「誇り」に向けてなのか、一度考えるべきです。/パラリンピックは「多様性をトリックに利用する五輪と通じる問題がある/ 日本は世界的に見ても、「五輪神話」が強い、すなわち五輪に熱狂する国と言われています。1964年の成功体験もあるのでしょう。/ 勝利至上主義の五輪に熱狂する根っこには、日本の「技能習得」に力点をおく体育教育もあるかもしれません。明治時代、富国強兵のためにドイツの体育教育をお手本にしました。男性には「強い兵」を、女性には「強い兵の母や妻」を求めた。現在も一定程度この考えは残り、小さい頃の教育から、スポーツを楽しむことより「どれだけ技能を他者より習得できているか」に重きが置かれています。五輪の競技性に似た論理です。/ここ最近、日本で勝利至上主義の流れがさらに強まっている気がします。日本の国力が失われ格差が拡大し、「他国に勝ちたい」という感情に拍車がかかっているのではないでしょうか。/ 以前から、開催国の事情を無視するIOCの姿勢や、都市開発や財政の問題などに対して、反対の声を上げていた人はいました。今回多くの人が自分事になったからこそ、五輪について批判的に見られるようになった。/ スポーツには勝利至上主義だけでなく、自分の体を理解しケアする側面もあります。例えば、ジョギングやキャッチボールなどです。元々、スポーツは「遊び」から出てきたもので、生活の中にあるものです。/ 今回、五輪への経費が大きな問題になりました。五輪に莫大(ばくだい)なお金をかけるなら、公園整備などまちづくりに使ってほしいです。数年に一度しか使わないような建物を開発して環境を破壊するより、自分自身のケアや人々との交流などが中心の生涯スポーツを育む居場所づくりを優先した方がいい。その方が、スポーツの文化も育つのではないでしょうか。/ パラリンピックは、障害者の体にルールや環境づくりを適応させてスポーツを楽しむ「障害者スポーツ」を掲げる一方、勝利至上主義やナショナリズムの問題はあります。多様性をトリックに利用する五輪と通じています。(関西大学文学部・井谷聡子准教授, 五輪の「多様性と調和」はフェイク?)
追記―知人からは、「ナショナリズムは今世界各地でみられる戦争や民族・宗教戦争の形で現れることが多い。オリンピックやパラリンピックの「ナショナリズム」や「勝利至上主義」は、それに比べれば害のない「かわいい」もので、それで人々が楽しみ人々の意識が戦争や紛争に向かうことを回避できるのであれば、その効用は大きい」という意見をもらった。
ドラマの「ネタバレ」について
ネットでドラマや映画の感想などを見ると、あらすじなどへの言及があり「ネタバレがあります」と警告が書かれていることがよくある。そのことから、映画やドラマを見る時、どのようなストーリーなのかを知らず、その先どのようになるのかドキドキしながら見るのが正しいドラマや映画の見方という暗黙の了解がある。私もそのように思ってきたが、果たしてそれが唯一正しい見方なのであろうか。
小説の場合、気に入った小説は何度も読み返し、ストーリー(筋)はわかっていても、再読にはいろいろな発見がある。夏目漱石の研究で多くの本を出している石原千秋などは、何百回と漱石の作品は読んだと書いていた(ように思う)。小説の場合、最初に読んだときは気が付かなかった登場人物の心理や、細部のことがいろいろわかり楽しい。ドラマや映画も同じようなことが言えるのではないか。それなら、あらかじめストーリーを知っておくのもいいかもしれない。特にストーリーが複雑なドラマや映画は、私のような理解力の乏しい人間には、ネタバレを先に読んでおくのはいいかもしれない。
韓国ドラマ「秘密の森」の「シリーズ2は、シリーズ1以上にストーリーは複雑です」、とそのドラマを薦めてくれた知人から告げられている。私はハングル(韓国語)がわからないので、人名が出てきても誰のことを言っているのかよくわからず、ドラマの筋が余計よく見えない。今回「秘密の森2」のネタバレを先に読んで、それからドラマを見てみようかとも考えている(ただ、それではサスペンスドラマの面白みが半減してしまうかもしれない。迷うところである)
コロナに感染したらアウト?
現在、コロナの感染者が全国で1日に2万3千人に達しようとしている。でも、人々の意識に、それほど危機感はないように思う。緊急事態宣言が出されても、店は通常通り開いているし、公共の機関も閉鎖になっていない。テレビでは旅番組やお笑い番組が多く、高校野球やこれから始まるパラオリンピックの話題で盛り上がっている。新学期になって学校や大学が休校になるという話も聞かない、政治家は、自民党の総裁選と衆議院の解散後の選挙のことで頭がいっぱいのように見える。
オーストラリアのシドニーでは、感染者はそれほど多くないようだが、市はロックダウンされていて、飲食店は全部閉まりデリバリーだけ、スーパーは1家族1人だけ入場可、公共の機関(公園等)も閉鎖、5キロ以上の移動禁止、家族以外の人と会うこと(会合)禁止、違反すると10万円の罰金と、かなり厳しい規制が敷かれているという。日本でこのようなロックダウンがひかれる様子はない。
私の住んでいる千葉市で昨日の感染者は196人、千葉県全体では1304人。家の近くのかかりつけの医のところに行ったら、医者から「気を付けて下さい。コロナに罹ったらアウトです」と言われた。千葉市も病床がひっ迫しているのであろう、感染したら医者が出す薬もなく、医者から紹介してくれる病院もなく、「アウト」ということであろう。事態はかなり深刻なところに来ているような気がする。
追記 1日の感染者が、本日(19日)東京都で5534人、全国で25156人になり、医療崩壊が起きていると声高に叫ばれても、感染を拡大する行事が、実施されるのをまのあたりで見ていると、人々が危機感を持つことができないのは当たり前のように思えてくる。パラリンピックの開催は仕方がないにしても、それへの児童・生徒の観戦の許可・奨励がなされているのは疑問である。今10歳以下の子どもの感染も増えているという。政府や東京都が本当に感染拡大の危機感を持っていたら、少しでもコロナの感染を拡大するような行事はやめるはずである。パラリンピックへの児童・生徒の観戦そのものは、感染対策を徹底的に取れば直接感染に影響がないかもしれないが、このようなイベントに(感染の増えている)子どもを見学に行かせるということが、人々の気のゆるみを引き起こし、それが感染拡大の行動(3密、会食、旅行等)を引き起こすことは必然である。
追記2 パラリンピックに関しては、パラの意味がいろいろあるようだ。1つの見解< 多くの人が「パラリンピック」の「パラ」意味を、下半身不随(paraplegics)から来ていると考えている。 しかし実際は、この名はグットマンのビジョンに基づいているという説が有力だ。 「パラ(Para)」はギリシャ語の前置詞で、「並んで立つ」という意味があり、ここでは「対等」という意味を持つ。>(ネットより)