「活字で読む」のと「話を聞く」のと、どちらがいいかというのは、人それぞれでだと思うが、我々大学人は日頃の習慣から、前者の「活字で読む」の方を好む人が多いと思う。私もそうである。藤原新也は、最近ラジオ局を開設し(?)、Talkを発信することが多い。1度聞いてみたが、まどろっこしくて途中で聞くのをやめてしまった。「話を聞く」というのは、時間のコントロールを話し手に委ねているので、聞き手の自主性が奪われる。その点、「活字で読む方」が、読み手に時間調整の主導権はあるし、内容もコンパクトに集約されていることが多いので、時間が節約でき、快適である。
6月22日のブログで紹介したが、藤原新也のオリンピックに関する意見は、朝日の記者が氏にインタビューしてそれを活字にしたものである。活字になったものは、氏の意見が集約されていて、1分もあれば読める。元のインタビューは3時間に及んだということである。それが1時間に集約されたものが、shinya talk で公開されている。
それを聞いてみた。最初は、少しまどろっこしく感じたが、後半活字に集約されていることを話しているのだが、具体的な事例の説明もあり、氏の思いも込められており(全体には淡々と話しているが、それも含めて)、活字で読む以上の感銘を受けた。
これは、大学の授業(対面やオンラインやビデオ授業VS活字だけの配信)や人とのやり取り(対面、電話VS メール)についても言えるのかと感じた。活字やメールの配信の方が、要点がコンパクトに伝わっていいと思っていたが、それには対面や電話で伝わることが何か欠けてしまうのかもしれないと感じた。