教育のデジタル化について

新型コロナ禍の中で、小中高校でも教育のデジタル化が前倒しで進められようとしている。これまでの紙の教科書、黒板とチョークを使った教室での一斉授業から、デジタル教科書、電子黒板やタブレットを使った個別教育への転換である。社会のデジタル化の進行に合わせて教育のデジタル化は必然であるにしても、その推進が、教育の論理ではなく経済や産業界の論理で、教育関係者ではなく経済関係者によって進められていることが危惧される。文部科学省の有識者会議のメンバーやその議論も、教育色が強いかどうか疑問である。

一昨日(5月28日)の朝日新聞には、教育デジタル化に関する文部大臣の談話が載っていた(添付)。それによると、少しは教育の論理で経済産業省の意向を押し返していることが伺える。同じ日の新聞(デジタル版)に教育学者の佐藤学・東京大学名誉の教育のデジタル化に関する意見も掲載されていた。それは、教育関係者の意見を代弁しているようで感心した。佐藤教授の意見の一部を下記に転載する。(朝日新聞 5月21日、デジタル版より一部転載)

 <「PC1人1台で学力低下? 「最低レベル」日本を救う道―実は、ICT教育によって学力が上がるという研究結果はほとんどありません。/ 「学校でパソコンを全く使わないよりは、適度に使った生徒の方が成績はいいのですが、使う時間が長くなればなるほど読解力も数学の学力の点数も下がっています。/ 「PISAテストを中心的に担ってきたOECD(経済協力開発機構)のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、コンピューターは情報や知識の獲得や、浅い理解には有効だが、その知識や情報を活用する深い思考や探究的な学びにはつながらないと解釈しています」/  「ICT教育によって学習の進度は上がるかもしれないし、定着度も上がるかもしれません。しかし、先生と子どもの情動的・社会的関係が崩れると、マイナス要因の方が大きくなってしまう可能性もあります」/ 「コンピューターの活用には二つの流れがあります。一つは、行動心理学者のバラス・スキナーがティーチングマシンで提唱した、刺激と反応によりすべての学習がコントロールできるという考え方です。AかBかを選び、正解すると次の問題に進むというプログラム学習です。今の日本のICT教育の多くがこのモデルですが、この方法は学習心理学としては古い方式で、短期記憶しか残りません」/ 「もう一つは、コンピューター科学者のアラン・ケイや、MITメディアラボが提唱するような、子どもたちが自発的に知識を構成したり、活用して思考したり表現することを促すソフトです。知識を教えるのではなく、思考と表現のツールとしてコンピューターを活用する方法ですが、残念ながら市場に普及しにくいのが現実です」/企業だけにソフト開発を任せてはダメ/ 「企業に開発を任せるだけでは、市場競争に流れますから、いいものはできません。文部科学省が大学に委託研究として開発予算を出せば、いいコンテンツとソフトが出てくると思います」/ 「日本の教育委員会や教師は、まじめでしっかりしています。10万円の予算をつけたら、30万円ぐらいの働きをしてくれる。だからきちんと態勢をつくれば、相応のことをしてくれます」/ 文科省が1人1台の方針を示したGIGAスクール構想のペーパーを読む限り、『個別最適化』にしてもデジタル教科書にしても、昔の授業のスタイルにとらわれています。20~30年前のコンピューター教育ですよ」/「僕は思いきって、子どもたちに自由に使わせる場を設定してあげるのがいいと思います。ある学校では、昨年9月に子どもたちにタブレット端末を配布しました。1カ月後に見にいくと、みな、簡単な動画をつくるなど上手に使っているのでびっくりしました。担任の先生に『使い方を教えたの?』と聞くと『いやいや、子どもたちは自由に教え合っている。みんな、僕を抜きました』と。コンピューターを教える道具として使うのではなく、子どもたちが文房具の一つぐらいになじむようになれば、ICT教育はうまくいくと思います」>(朝日新聞、5月28日)

(追記)デジタル教科書に関して、昔書いた新聞記事も再掲しておく。