伊藤彰浩『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』を読む。

伊藤彰浩氏(名古屋大学教授)より、近著『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』(名古屋大学出版会、2021,4)を送っていただいた。300ページを超える大著、しかも膨大な歴史的な資料やデータの発掘や、その丹念で緻密な分析、膨大な註(56ページ)参考文献(11ページ)にも、感心させられた。
戦時期の日本の私立大学は、政府や軍部の上からの強い命令に従順に従い、存続をひたすら図ったと思いがちだが、そのような思想や学問への弾圧という側面だけでなく、個々の大学の経営行動や財政的な側面、そして学生の進学行動が、個々の大学のあり方たを決定づけていたことが、具体的なデータをもとに実証されている。その手法は教育社会学的で、鮮やかである。大学規模別にも様々なタイプの私立大学があり、大規模の日本大学と小規模の上智大学の規模の違いによる戦時期の大学生き残り戦略の分析も興味深い。文部省の態度がはっきりせず、それを見破り、したたかに対応を図る私立大学もあったことも明らかにされている。戦時期の私立大学を、このような視点から実証的に研究したものははじめてで、著書の大変な努力がうかがえる。後世に残る大学史の研究書になるものと思う。本書の分析対象が、1945年の敗戦時点で、大学令による認可を受けて存在していた27校に限られていたが、その他の高等教育機関、専門学校(戦後大学に昇格した例えば成城、成蹊、学習院,武蔵など)が、戦時期にどのような状態であったかもさらに知りたくなる。さらに、戦時期の各大学や高等教育機関の在り方が、戦後にどのように生かされたかも。

遠藤周作『結婚』(1962)を読む

暇で、手元にあった小説を読んだ。読んだ本は遠藤周作の『結婚』(講談社、1962年)。遠藤周作(1923-1996)が40歳前後の時に書いたもので、今から60年くらい前のもの。その頃はお見合い結婚が多く、堅実な堅物な男とお見合い結婚した女性が、真面目な夫に生活の安定を感じながらも、何か物足りない、若い時の淡い恋(初恋の相手が徴兵で戦地に赴く前の思い出等)を思い出すというものが多い。一つ、気になった短編があった。

それは、5話の「夫婦の損得」。学歴もなく背も低くあまり見栄えもしない平凡な男が、姉の持ってきた田舎出身の同じく背の低い、目鼻立ちのぱっとしない娘を嫁にもらい、結婚生活を始めるのだが、「こちらはお前を食わしてとる(のに)、お前は気がきかん」と妻を叱ることが多かった。妻は、叱られるたびにますますおどおどとして不器用になり、黙ってしまう。そして、妻は1年目は木の根のように丈夫だったが、2年目から熱を出し始め、医者に行くと「白血病」と診断され、入院して1年余りで亡くなってしう。男の思いは、「結婚にはツキがなかった」「妻の病気によって妻から何もサービスを受けぬ夫になってしまった」「なんのために結婚したのかわからぬ」というもので、姉からも「本当のことを言えば、(彼女がなくなって)ほっとしたろう」と言われるものであった。妻の死後、たまたま次のような妻のメモ書きを見て、男は驚き、悔いたという話。その妻のメモは、次のように書かれていた(一部転載)。

「私はあなたに何かしてあげたいけれど何もできない。だから、私は今の自分の病気が、もしあなたがいつか病気になった時の身代わりにであるようにいつも神さまや仏さまにお願いしているのです。あなたがその時、苦しまないように、私にもっと、もっと痛さや苦しみを与えてくださいと祈っているのです。それが、それしか、私はあなたにしてあげられません。でも夫婦なのですもの。それだけでも私はうれしいので、、」

夫が「この結婚によって受け取るものがなく損をした」と感じていることを知っていた妻が、そのような損得勘定の打算的な夫に対する思いが、(普通考えもつかない)深い愛の気持ち(祈り)だということある。これは著者の遠藤周作がカトリック信者だということと関係しているのであろうか。この妻の思いは、遠藤周作の『沈黙』や『私が捨てた女』に出てくる登場人物に通底するもので、宗教的なものであると思う。同時に、江藤淳のいうような日本的な「母」の文化(『成熟と喪失』)もそこに感じられる。