内田樹氏が、コロナで変わった大学の様子をブログに短い文章で書いている。その内容に共感するする部分があり、一部を転載する。今年度、大学の中退者や休学者が減った理由が書かれているように思う。
<よい予兆はいくつかの制度が「弱者ベース」で設計され直され始めたということである。きっかけは大学の授業が2020年の4月からオンライン化されたことだった。 ほとんどの大学はオンライン授業の経験がなかった。だから、準備はたいへんだったと思う。少なからぬ教員は「大学の授業は対面で行うべきものだ。『師の謦咳に接する』ことなしに教育が成り立つのか」という深い疑念を抱いていた。それでも、なんとか4月から授業が手探りで始まった。そして二月ほど経ったところで教員たちはある変化に気がついた。それは脱落する学生が少ないということである。これまで大学というのは「学生が主体的に学ぶ場」だとされてきた。だから、積極的に学ぶ意志を持たない学生に、教員側が「手を差し伸べる」ということはしなかった。ところがオンラインになると、欠席者に配布物を送ったり、来週までの課題を伝えることができるようになった。教員から(オンラインであれ)固有名で名前を呼びかけられたことで、ささやかながら社会的承認を得て、前期が終わった時点で、定期試験を受けたり、課題を提出したりした学生の数は前年度を上回ることにな(った)。これまで私たち大学教員がどれほど学生たちに対して「無慈悲」に接してきたのかを思い知ることになった。ある程度基礎学力があり、授業にそれなりに興味もありながら、いま一つ意欲が足りないという学生はわずかなきっかけで授業に来なくなるのだが、そういう学生を授業に「呼び戻す」ための装置を大学は持っていなかった。大学は「学習強者ベース」で制度設計されていた。「学習強者」は自分の興味に従って科目を選び、研究室を訪ねて質問をし、大学が無償で提供しているさまざまな教育資源を活用できる。もちろん、それが高等教育ということなのだ。だが、自信のなさやわずかな気後れで、「そういうこと」がどうしてもできない「学習弱者」である学生もいる。そして、その方が多数派なのである。学校には「学習弱者」のための学習トラックも必要だ。そのことを感染症に強制されたオンライン授業で多くの大学教員が気づいた。「学習弱者」を「呼び戻す」仕組みを標準装備することに多くの大学はこれから取り組むだろう。何が一番たいせつなのか。それはそこにいるだけで、社会から認知され、必要とされているということを実感できるという経験ではないのか。自分はこの集団のフルメンバーであるという自尊感情を抱けるということではないのか。コロナを奇貨として学校教育についてもう一度根源的に考え直すことを私たちは求められていると思う。>(http://blog.tatsuru.com/2021/02/21_0910.html)