量的調査のこと

量的な調査から得られた数値に関する思いを書いておきたい。例えば、右に進んで成功する人の確率が50%で、左に進んで成功する人の確率が60%だと数字が出たとする。「左に進んだ人の方が成功する」と書くが、右に進んだ人が成功する50%を否定しているわけではない。数値を使わない理論派は論理だけで「左に進む方が正しい」と説く。

別の例をあげると、6割の水が入ったコップがあったとする。その水の量を見て、理論派は自分の論に引き寄せて、多いとか少ないとかいうが、量的な調査の人は「コップに6割の水が入っているという事実」を抜きに何かを論じるわけではない。ここが、理論派と実証派の違いである。

 文部科学省は全国学力調査を毎年して、その都道府県別の平均点を発表して、その順位をめぐって一喜一憂したり、その背景を分析したりすることがあるが、この得点も一つの目安の数値であり、上の50%と60%の違いぐらいの意味しかないのではないか。ただ、コップの水の量を確認したように、各都道府県の学力試験の得点が何点であるかを押さえておくことは必要である(それを順位などでみると、わずかな差が拡大される)。

また量的な調査は、調査の過程でさまざまな誤差もあるので、何かを考える時の目安ぐらいに考えた方がいいと思う。(全国学力テストの学校別平均点の誤差については、 2014年9月6日 ブログに書いた。)

昔の貧しく質素な生活を懐かしむ?

幼少期に養われた生活感覚が、歳をとってからまで持続するものだと感じることがある。終戦前後に生まれの世代の生活はとても貧しく質素であった。台風が来たりすると家が吹き飛ばされそうだったし、雨漏りがしてバケツや洗面器が家の中の所々に置かれた。食べるものは質素で、味よりはとにかくお腹が少しでも満たされればよかったし、外食などしたことがなかった。クーラーや冷蔵庫はなく、夏は暑く、ハエや蚊にも悩まされた。暑い中、蝉取りや釣りに夢中になった。冬の家は隙間風で寒かった。寝るのは雑魚寝状態で、狭い家に親戚の居候がいつもいた。家では母や祖母が内職をして働き詰めで、わずかなお金を稼き、生活の糧にしていた。収穫の終わった農家の畑に、取り残した芋を探しに行ったこともある。家族で旅行することは一度もなく、学校の遠足や修学旅行が唯一の楽しみであった。

このような幼少期を送ると、家は貧弱でも屋根があり、とにかく寝ることができ、生活できれればいい、食事は美味しさよりお腹が膨れればいい、旅行や遊びなど贅沢はしないで日々何とか生きれればいいーこんな生活感覚を持ってしまう。そして世代の違う家族メンバーと意識の違いが生じてしまう。

日本は戦後の貧しい時代から、高度成長を経て、豊かな社会になり、各家庭の日々の生活も豊かになり、エアコンで過酷な寒さ暑さを感じることなく、美味しいものを食べ、避暑地や海外旅行も楽しみ、さまざまな娯楽や趣味に没頭する生活が送れるようになった。これは明らかに進歩であり、感謝しなければならないが、終戦前後に生まれた世代は、今の自粛時代に昔の過酷な日々に耐えた、貧しく質素な生活を、懐かしむ気持ちも時々起こる。

<追記 うちでは,自粛で自給自足も一部始まっている。>

今年の紅葉は?

新型コロナウイルス感染禍の自粛のせいで、各種会合も中止になり、私も今年の2月6日に四谷で開いた研究会に出た後、8か月間東京に一度も行っていない。したがって半年以上電車に乗っていない。数年前まで50年以上ほとんど毎日千葉(県)から東京へ往復3時間近く電車で通っていたことを思うと隔世の感がある。また、車で千葉県から出て遠くに旅行に行くこともしていない。

過去の記録を見ると、一昨年は10月に日光の紅葉を、昨年は11月上旬に谷川岳の紅葉を見に行っている。今年は、どこかに紅葉を見に行くことができるのであろうか。過去の写真を見て、ため息をつく。(下記は、谷川岳近くの紅葉)

村上春樹についてのイメージ

村上春樹が影響を受けたのは外国の作家で、自らも多くの翻訳本を出し、最初受賞した小説は英語で書いたものを翻訳したもので*、それで独自の文体を確立し、日本の作家の影響は少なく、日本を離れて外国に住むことが多く**、日本の文学者や批評家からどのように酷評されようと、全く意に介さない人というイメージがある(少なくても私には)。それが、内田樹***の最近の解説には、下記のように全く違うことが書かれていた。とても意外な感じがした。

<村上春樹は『ノルウェイの森』がベストセラーになる前は、比較的限られた読者とのインティメイトな関係の中でのびのびと小説やエッセイを書いていた。高校生の頃の写真や家族の写真さえも当時はメディアにふつうに公開されていた。けれども、『ノルウェイの森』が記録的なベストセラーになったことで環境が一変した。それまで彼の本を手に取らなかった多くの読者を獲得したのと同時に、それまで彼の本を手にしたことのなかった批評家たちを呼び込むことになったからだ。どうしてここまで憎まれなければいけないのかと呆然とするほど攻撃的な批評の言葉が矢のように放たれた。作家は日本にいることができないほど精神的に追い込まれて海外に去り、長く祖国の土を踏まなかった。それからは自分について語ることに慎重になり、80年代に気楽に書き飛ばしていたタイプの軽いエッセイのようなものは書かなくなった。その後、たしかに作品は重厚さを加えたけれど、彼の30代の書き物に横溢していたイノセンスは失われて、二度と回復することがなかった。私はそれを惜しむ。私が「書評というもの」を遠ざけるようになった理由の一つは、間違いなく『ノルウェイの森』をめぐる書評にみなぎっていた「敵意」に怯えた体験にある。>(内田樹ブログ2020-10-09「(あまり)書評を書かない理由」から一部転載、http://blog.tatsuru.com/

*1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。**1986年10月、ヨーロッパに移住(主な滞在先はギリシャ、イタリア、英国)。1991年、ニュージャージー州プリンストン大学の客員研究員として招聘され渡米する。***内田樹『村上春樹にご用心』(ARTES,2007)がある。

「個別最適化」について

アマゾンで本を買うと、「その本を買っている人がこの本も買っています。それがお薦めです」という内容のメッセ―ジが届く。ネットフリクスでドラマや映画を観ると、「そのドラマや映画を観た人はこれも観ています。それがお薦めです」という趣旨のメッセージが表示される。このようにAIが、次に読むべき本やドラマや映画を教えてくれる。

今教育界では「個別最適化」とキーワードが話題になっているという。それぞれの子どもが次に学ぶべきことは、上のような原理でICT(AI)が判断してくれるという。子ども一人一人がタブレット持ち、その子どもに最適の内容を次々とコンピューターが提供してくれ、それに従い学べばいいらしい。教師は必要なくなるのではないか。

果たしてそのような時代が来るのであろうか。アマゾンやネットフリクスのお薦めは、多少の参考になるが、それに従うのはせいぜい1割程度のような気がする。デジタル(AI)による教育も、せいぜい多くても2~3割止まりではないかと思う。

上智大学の奈須正裕教授は、次のように述べている(朝日新聞10月6日朝刊から一部転載)

<菅新政権がデジタル化を進め、文部科学省にもデジタル化推進本部ができました。ICT(情報通信技術)を活用した教育の広がりにともない、近年、「個別最適化」という言葉が、あちこちで聞かれるようになっています。コロナ禍の長期休校で、オンライン教育なら個々にあった教育ができるとも言われます。(中略)子どもが、文房具のようにタブレット端末などを使って学ぶことが不可欠な時代です。ただ、ICTで「個別最適化」を進めることには、危うさもはらみます。(長期休校中は、同時双方向やオンデマンドの授業配信など、いわば「遠隔授業」の使い方が中心でした。でも、)個別最適化に注目した時に、特にこれから活用されるのは「AI(人工知能)ドリル」のようなAIを使った学びでしょう。一人ひとりの解答をAIが分析し、次に取り組むべき問題を自動で出題してくれます。(中略)情報を選択するプログラムがどうなっているかは、使う子どもや親、教師には見えない。これって不安じゃないですか。課題は「情報の推奨」です。個別最適化の「最適」を誰が認定するのか。できるだけ情報をフラットに提供し、何がどう「最適」かは教師や子どもが選択する仕組みにするべきではないでしょうか。(中略) ICTは、もっと探究など学びのツールとして、使うことを考えてほしい。>