大学の授業で、最初に概論的ないし理論的な話をして、その後で各論的ないし具体的な話をした方がいいのか、あるいはその逆に最初に各論・具体的な話をして、後から全体的・理論的な話をした方がいいのか、迷うところである。
一般には、教師の考えは前者であろう。すなわち概論・理論が先、各論・具体が後のような気がする。しかし、学生にとって、前半の概論・理論の話は面白くなく、理解できす前半でその授業自体を聞く気をなくし、後半の各論・具体的な話の頃は耳を傾けなくなっているのではないか。それならば、最初に各論・具体例で、学生に興味を持たせ他方がいい。
そのようなことを感じたのは、「教育原論」の授業で、「教育基本法」のことを取り扱った時のことである。「教育基本法」は、日本の教育のあり方の理念や教育目標に関して、網羅的に述べられたもので、その後の具体的な教育実践の指針となるものである。教育のさまざまな具体的な事象が、この教育基本法の文言から発している(音楽で日本のわらべ歌が多く取り上げられるようになったのは基本法で愛国心が強調されたてからである等)。
したがって、「教育原論」のように教育の基本の話をするのであれば、まず「教育基本法」の話からすべきであろう。今回私は「教育基本法」のことを説明したのは、15回の授業の中の10回目である。それ以前に、家庭教育や潜在的カリキュラムやいじめ問題等の具体的な教育問題を取り上げている。その後、「教育基本法」を読んでもらうと、学生たちはそれ以前に学び考えた教育問題を、教育の全体像の中に位置けていることを、学生のコメントから感じることができた。(下記に一部転載、一部添付)(講義資料は添付)
<教育とは学校教育だけでなく、家庭や宗教などの様々な教育があるということを改めて実感した。これは、子どもは学校だけでなく家族や地域の方など沢山の周りの支援があってこそ良い教育を受けられるということなのだと感じた。多くのことが書かれている中、私は教育の目的及び理念第2条の「個人の価値を尊重して、その能力をのばし、創造性を培い、自主および自律の精神を養う」というところに興味を持った。生きていく中では、様々な場面で個人の価値を尊重することは大切になる。そして学校教育ではその基盤を形成する時期であり、そこで間違った道に進んでしまえば基盤もぶれてしまう。だが、教員はひとりで何十人もの児童を相手にしなければならないので、ひとりひとりの人格の基礎を築くことはとても大変である。よって大切なのは児童の周りの大人であり、特に家族にとって我が子の正しい人格形成は義務のようなものなのではないかと思う。しかし、そこで親の理想を押し付けてしまったり、過保護になりすぎたりしてしまうと、教育に悪影響を及ぼしてしまう。よって、親や地域の方にもしっかり教育基本法の内容に目を通し、一丸となって子どもを立派な大人にする社会が望ましいと考える。そして、教員としてできることは、時間の許す限りひとりひとりと向き合い、いじめのない環境を目指すことだと思う。成績の面でもパーソナリティーの面でも、家族の次に大きな影響を与えるのは教員である。しかし、前回の授業でいじめの酷さを知り、どうすればいじめのない夢のような教育環境を作ることができるだろうと今はそれを考えるばかりである。>
<私が教育基本法について関心を持ったところは、第一章「教育の目的及び理念」の中の第二条です。理由は、小学校や中学校の頃を思い出すと一から五までをきちんと体験していたなと感じたからです。1つ目の項目の幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を養うこと。と書いてありますが、国語や算数を初めとする基礎知識を身に付け語彙などを増やしていき、道徳では映像やプリントの配布が行われて誰かの心情を考えてみたり、意見を交換したりして相手の気持ちや意見を受け入れたりすることなどをしました。この体験が1つ目の項目に当たると考えます。2つ目の項目のところでは、地域のお店をインタビューして新聞を作ったり、中学では職業体験をしたりして職業についての理解を深めることで自分が将来なりたい職業や仕事の大変さなどを学んだなと思い出しました。こうして振り返ると先生方は私たちの未来のために懸命に取り組んでくださっていると改めて感じました。そして、この教育基本法がなければ平等な学力の水準が保たれないことを改めて強く感じたので自分が教員になった際には、子どもたちの未来の形成のためにきちんと教育基本法に沿った指導ができるように勉学に励みたいと思いました。>