これは自分の少し素直でない感覚のせいかもしれないが、両想いより片思いの方が、心を動かされる。レ・ミゼラ、ブルの映画を見て、「結ばれる二人の愛よりは、新郎に片思いで、悲しみの中で革命の銃弾に倒れて死んでいく女性の思いの方が、はるかに心打たれるものがあった」(2013年8月3日、ブログ)と書いた。上白石萌音の片思いの歌On My Ownはよかったが、両想いのドラマ「恋は続くどこまでも」は、上白石のよさが出ていない。今の朝ドラ「エール」は、両想いの二人が外の障害を乗り越えていく物語のようでもの足りない。
韓国ドラマ「梨泰院クラス」は、先に書いたように、片思いがたくさん描かれたドラマである。グンス→イソ、イソ→セロイ、セロイ→スマ←グオン。その他にもいくつかある。ヒロイン・イソの片思いはかなり徹底していて、その実現性はかなり低く、両想いの二人に割って入ろうとするもので、ライバル⊡スマは超美人で性格も穏やかであり、誰からも好かれる女性で、到底勝ち目がないと思われる。それをはっきり言わのれた時のヒロイン号泣の仕方がすごい。そのバックに流れる曲(OSTの8番目の ユン・ミレーsay)がヒロインの悲しみをよく表現している。このドラマの1つのクライマックスのように思う。
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この韓国ドラマでは片思いは公言され皆知っているが、日本の片思いは、葉隠れの恋(好きなことも相手に悟られてはいけない)的なところがあり、また多田道太郎が言うように「恋愛についていえば、それはオリジナルの向こうに、オリジナルを超えて自分だけの夢をみることである。自分だけのコピーをつくることである。(中略)それはコピーの向こうに、コピーを超えて、自分だけの夢、自分だけの「オリジナル」を夢みることである。もし,ほんとうのオリジナルである女優が彼の前に現われれば、彼は「それは違う」といわざるをえまい>(『管理社会の影』₍日本ブリタニカ、1979年)というように、自分だけの夢を見るオタク的なところがある(思われた女性からみたら、ストーカー的な気味悪さを感じるかも知れない)以前(2016年9月3日)のブログに書いたように、村上春樹の短編に、あこがれていた女性の現実の姿を、覗き見によって知ってしまった若い男性が、そのあこがれがなくなっていく様子を描いたものがある。(「野球場」『回転木馬のデット・ヒート』(講談社文庫、1988年)このように日本の片思いは、他者への愛というより自己愛に近い。
韓国ドラマ「梨泰院クラス」のヒロイン・イソのセロイに対する片思いは、彼を傷つけるものに対しては身を挺して守り、敵を殲滅するという強い意志に基づいたものであり、動物の母親が子を守る姿に似ている。その思いが相手に伝わらないのは悲しいが、そのことで気持ちが怯むことはない。でも相手が好きでしょうがいという気持ちは、態度に出てしまい。相手から少しでも優しくされると思わず笑顔が出てしまう。日本の女性のように(?)、自分の感情を隠したり、すねたりしないところが、見ていて気持ちがよい。
このドラマをみていると、演技が自然で、感情の行き来がよくわかる。日本のテレビドラマは、俳優の演技が下手なのか、不自然なセリフや態度が多く、がっかりするとが多い。ただこれは俳優個人の技量の問題だけではないかもしれない。日本のドラマでは周到なリハーサルが行われるのに対して、韓国のドラマは週に2回放映されるものが多い関係で、リハーサルはあまりなされず、ぶっつけ本番で撮影され、俳優のアドリブでの演技が多いので、リアルに感じることができる、と聞いたことがある。