9月入学について(その2)

9月入学については、移行期のコストのかかり過ぎや、日本人の季節感のことからの懸念を書いたが(5月1日)、今年の導入は見送られたものの、まだ議論が続いているようで、昨日(5月30日)の朝日新聞朝刊の耕論に、知り合いの若い教育社会学の研究者が、的確な論を展開していた。

末富芳さん(日本大学教授)は、政治家がコロナの「火事場」を政治利用して、コストや現場の負担も顧みず、国民を分断し、子ども達の学ぶ権利無視して、教育を実験台にしようとしていると、政治家の9月入学の提案を厳しく批判している。小針誠さん(青山学院大学教授)は、「同一年齢一斉入学」や「一斉履修主義」が出てきた教育の歴史を振り返りながら、それを転換すべき時で、入学時期は大きな問題ではないと論じている。ともに傾聴すべき意見であり、いろいろ考えさせられる。

学校の休校の停止、再開について

私の住む千葉市でも、明日(6月1日)から、学校(小中高)の休校が終わり、学校が再開される。小学校では、クラスの生徒を午前部と午後部の2つに分けて、3時間ずつの2部授業を行うとのこと。(半世紀前、児童数が多くて、午前と午後の2部授業が行われたことを思い出す)

それにしても、学校を長期に休校にして、効果があったのであろうか。最近、報道された日本小児科学会の「コロナ休校『感染防止の効果薄』」(朝日新聞、5月28日 朝刊)という内容には、びっくりする。(https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/20200520corona_igakutekikenchi.pdf 学校の休校で教育機会が奪われたり、屋外での活動や社会的な交流が減少したり、抑うつ傾向の子どもが増えたり、家庭内暴力や虐待リスクの増加の方が懸念されるという。

もしこれが正しいとすると、この間の長期に渡る全国の学校の休校は何だったのであろうか。このようなことは、医学関係の学会だけでなく、教育や心理や社会関係の学会でも、実証的なデータで、是非検証してほしいものである。

追記 下記のような記事もあり、実際の検証が待たれる。

<感染者が増加傾向の北九州市では、守恒小学校(小倉南区)では新たに児童4人の感染が確認され、これまでと合わせて計5人となり、市はクラスター(感染者集団)が発生したとみている。(朝日新聞、6月1日朝刊)>

韓国映画「虐待の証明」を観る

このところ韓国のドラマばかり見ている。そこで、今度は韓国の映画を見てみようと思い、韓国ドラマ「ある春の夜に」でヒロインを演じていたハン・ジミンが主人公を演じ、第38回韓国映画評論家協会賞で主演女優賞を受賞した映画「虐待の証明」(ミス・ペク)を、レンタルして観た。ドラマの紹介や感想は、ネットで次のように書いてあった。

<あらすじー母親から虐待され、捨てられて施設で育ったペク・サンアは、心に傷を抱えたまま生きていた。彼女は荒んだ生活を送り、周囲からは「ミス・ペク」と呼ばれ揶揄されていた。そんなある日の夜、サンアは道路の片隅で震えている少女ジウンと出会う。お腹を空かせたジウンの体は痣だらけで、誰かに虐待を受けているのは明らかだった。目の前の少女と過去の自分とを重ね合わせたサンアは、ジウンに手を差し伸べようとするが―。> <感想―①韓国の実話もの~虐待シーンは韓国ならではのリアルな描写で描かれてて、観てて辛かった ②警察の対応の無能っぷり、虐待親の腹正しさ、子供が傷つけられるのはきついなぁ、これを観て寝るのはムカムカする>(https://filmarks.com/movies/81176

私の見終わった感想は、あまりはっきりしたものでない。いくつかあげると,①テーマは子どもへの虐待で、事実に基づいた映画ということで、決して明るい内容ではなく、気分的には沈んでしまう映画である。②児童虐待が韓国でも日本と同じように社会問題になっていることがわかった。児童虐待をする親は、自分も虐待された経験があるという負の連鎖が示唆されている。警察や児童相談所の対応の遅さやいい加減さは、日本と同じように描かれている。しかし児童虐待の酷さ、警察の取り調べの凄さ(容疑者を殴っている)、刑の重さ(殺人罪が適用される)は、日本より韓国がより強烈のように感じた。③ 有名女優のハン・ジミンが、よくここまで、泥だらけの体当たり役を演じるものだと感心した。そしてハン・ジミンらしさも出ていたように思う。④ 映画としては、韓国らしく、また出演者の演技は上手で、バックの音楽も沈痛ながらよく、よくできた映画なのであろう。児童虐待を扱っている映画だが、もう少し別の観点からみた方がいいのかもしれないと思った。

(これは私の偏見も入っているかもしれないが)韓国人の国民性に関しては、「かなり粗野で、激情型で、しかも情が厚い」という印象がある。それがこの映画「虐待の証明」にはよく現れている。主人公だけでなく、脇役の刑事もその姉も粗暴ながら情が厚く、虐待された子どもを結局は引き取り大事に育てるようになる。韓国は、急速な近代化を果たし、生活様式は近代化し、ドラマ「ある春の夜に」に描かれているように、若い人はおしゃれで人柄もソフィスケートされているが、その奥底の心情には、情が厚く激情的なものが存在し、時々それが噴き出すのではないか。日本人もかってはそうであったが、韓国より先に進んだ近代化で、それが消えていったのでなないか。日本でも1950年代中頃から60年代末に吹き荒れた「大学闘争」の時は、学生がゲバ棒や火炎瓶を持ち、機動隊に立ち向かって行ったり内ゲバで殺し合ったりしていた。そのような激情は現代の日本の若者にはない。そのようなことをこの映画から感じた。

「されどわれらが日々」について

学生への推薦図書で1番目にあげた柴田翔「されどわれらが日々」が、大学の入試問題に出たことがあるとのこと(添付参照)、入試問題に詳しいI氏が教えてくれた。

「されどわれらが日々」は、我々世代の必読書だったので、きっと出題の大学教師も学生時代に読み、心に残っていたのであろう。知り合いの60代の先生からも「『されどわれらが日々』に学生時代に感動したことを今でも覚えています。その後40代、60代で読み返し、柴田翔を若い頃とは違う理解ができたことを思い出しました。」というコメントをいただいている。

今の若い世代が読むと、どう思うのだろう。 学生と話し合ってみたい気がする。韓国ドラマ「ある春の夜に」の話は、長年付き合ってきたカップルが情熱を失い別れる話でもあるので、「されどわれらが日々」との共通性も感じる。その意味では普遍的なテーマを扱っているのかもしれない。

オンライン授業の質に不満

学校の隠れたカリキュラムの説明を読んで、学生から次のような感想が送られてきた。 <授業資料の中でも隠れたカリキュラムという言葉がとても印象に残った。これは生徒たちが、教室で教師から知識を伝達され実技の指導を受けるだけでなく、学校内の友だちとの関係や集団・組織・文化のさまざまな側面から学んでいるということである。私はオンライン授業が始まってから、在宅でも学ぶことができるならもう学校に行く必要がないのではないのかと,父に言われ、学校の役割は本当に勉強する場ということだけなのかと疑問を感じた。しかし、授業資料を読んで学校には勉強する以外にも多くの学びがあることに気づいた。私が経験したものでいうと、部活動などがあげられる。ここでは、目上の人に対する尊敬や、諦めない心や仲間の大切さ他にも様々なことを気づかないうちに学んでいた。>

今朝の朝日新聞の朝刊には、英米の大学もコロナの為に、授業は遠隔教育になり、英米の大学に高い留学費用を払って留学する意味が薄れていることが報告されている。その中で、学生たちの意見として、インターネットを使った遠隔授業が、教室の対面の授業に比べ、学びにくく効果がないという回答が多いということである。今、日本でデジタル(インターネット)による授業が万能のような風潮が作られつつあるが(背後に利権がらみや政治がらみの何かを感じる)、デジタル先進国の英米の学生がその効果を否定しているというデータのもつ意味は大きい。

<年750万円、留学先はオンライン授業に 渡米したのにー 世界中から多数の留学生を集めてきた米英の大学が、新型コロナウイルスの感染拡大で大きく揺れている。多くの授業がオンラインに移行し、留学生は不満を抱える。秋からの新年度をどのように迎えるかも不透明だ。収入の柱だった留学生の激減が予想されるなか、大学運営も岐路に立たされている。(中略) 米国の中西部アイオワ州にあるグリネル大学。新緑がまぶしいキャンパスに学生の姿はほとんど見られない。3年生の塩野博之さん(21)も、ガラガラになった大学寮の個室でパソコンと向き合う日々が続く。(中略) オンライン授業を受けに米国の大学に留学しているわけではない。授業のディスカッションの質は落ちた。ネット回線が不調で音声や画像が乱れることがしばしばだ。生活用品に囲まれた寮の自室では集中しにくいという。教授が空いている時間に気軽に研究室を訪ね、自由に議論ができたのにできなくなった。図書館もジムも閉まり、部屋にこもるしかない。(中略)オンライン授業の質に満足しているか。全米の約1300人の大学生、大学院生を対象にした調査では、76%の学生が「いいえ」と答えた。約1万4千人が対象の別の調査でも67%が「実際の授業ほどの効果はない」と回答。>(朝日新聞 5月24日 朝刊)