精神の安定剤

最近のコロナウイルス禍と政治家たちの無策さに腹立ち、精神のバランスを崩しがちの人も多いであろう。このような時は、庭や近場の草花、いい音楽、面白いドラマや映画、小説や評論、そしていいテレビ番組を見て、心の安定を保ちたい。

 藤原新也のいちファンから、「かつての藤原さん(船長)の旅する姿と想いを追体験できれば、精神のバランスを取り戻せるのではないでしょうか」という要望があり、CATWALK編集部が、35年以上前にNHKテレビで放映された番組「月の雫」をアップしている。これは、藤原新也のバリ島滞在時のドキュメンタリーとのこと。「コマンと言う少女のバリダンスがとても美しく切ないものでした。」 とのこと。これから見る。(「月の雫」藤原新也 で検索)

今年度の授業の開講、学会の開催について

コロナウリルス禍で、大学の授業の開講や学会大会の開催は、どうなるのであろうか。私が今年度前期に1コマ担当する敬愛大学の授業は、5月の連休明けが開講の予定だが、通常の授業の形態の開講は無理になるのを見越して、オンライン等による遠隔授業の開講を考えるように通知がきた。これからその方法を考える。また、参加する学会、研究会はどうなるのか、気になるところである。

1 2020年6月13日~14日に開催予定の「日本子ども社会学会第27回大会」は、2021年6月頃を目途に延期すると、学会のHPに掲載があった。

2 2020年9月5日(土)・6日(日)に関西学院大で開催予定の「日本教育社会学会72回大会」は、今のところ、予定通りのようだ。

3  2020年10月24~25日に代々木のオリンピックセンターで開催の「第38回学校社会学研究会」は、予定通りのようだ。(問い合わせ先 rmthk7622@gmail.com

韓国ドラマ「梨泰院クラス」をみる

私が韓国ドラマをみるのは、「冬のソナタ」以来だが、今回みた韓国ドラマは面白くて、少しハマリそう。それは、3月28日からNetflixでみることができる韓国ドラマ「梨泰院クラス」。JTBCドラマの歴代視聴率2位というだけあって、毎回内容が濃い(16話まである)。韓国人の気質もよくわかる。(https://nigerugakachi.com/itewonclass/

日本のテレビドラマは、(NHKになかなかいいものがあると思うが)、民放のドラマは、中身がスカスカで、コマ―シャルが多く、1話ぐらいいいものがあっても、それは続かず、落胆させられるものが多い。

追記(4月15日)

16話を見終わった。10話以降は、1日に2~3話を続けてみて、今日は少し梨泰院クラスロス状態。 16話も見ると、その世界や登場人物が日常的になり、ドラマが終わってしまうとその喪失感は大きい。韓国ドラマながら、共感できる部分が多く、日韓の共通点を感じた。このドラマに描かれ優位な価値観に関して、感じたことを書いておきたい

① 強い信念に基づく一途な行動、困難に立ち向かう果敢な行動、がメインテーマのひとつ。② 仲間(友情、恋愛)の大切さがもうひとつのテーマ ③ ①と②の組み合わせで人間の4類型ができる。(A―信念・仲間、B―信念のみ C―仲間のみ、D-信念も仲間もなし=損得と利己的行動。)主人公のセロイとその仲間はA類型が多く、敵役はD類型が多い。④ 中で描かれている恋愛関係は、一歩方向(片思い)が多い(グンス→イソ、イソ→セロイ、セロイ→スマ←グオン)。ただその片思いは秘めているのではなく、はっきり公言され、その成就に向かう努力が評価される(失恋で泣く様子も激しいが)⑤ 韓国は学歴社会といわれるが、主人公のセロイは中卒・高校中退で、ヒロイン・イソも超優秀ながら高卒である。学歴に価値は置かれていない。強い信念と行動が評価されている。セロイの初恋の相手スアは超美人で、大卒で控え目な女性だが、信念が弱く、そのような女性は韓国では生きにくい。⑤ 母親はほとんど出てこず、いても影響力は小さい。強い父親が求められていて、その父親の信念に基づく行動(背中)が心の支えという息子が多い。信義や仲間を大切にしない父親からは、問題児が育っていると描かれている。⓺ 登場人物の日常に交される会話は、ひとつ一つの言葉は短いが、ホンネ(本質)をズバリと発していて、緊迫感がある。相手の言葉に「エ?!」と驚く場面が多い(毎回、数場面あるのではないか)。主人公セロイをめぐるヒロイン・イソと初恋相手のスアの会話のレベル(緊迫感)は、漱石の「明暗」の中の、二人の女性の会話のそれに匹敵する高さと感じた。

(今は「梨泰院クラス」はネットフリクスでしか見ることしかできないが、見た人は、その面白さにハマルと思う。バックの音楽もいい。今他の映画やドラマをみると物足りなく感じる。)

https://www.netflix.com/jp/title/81193309

コロナ危機の後のこと

重い病気になったり、死を意識したりした時、自分にとって何が大切なことなのかに、思いを巡らすことであろう。そのような時こそ、本当に重要なことに気付くのであろう。それはお金や地位や名声ではなく、平穏な家庭生活や人間関係や日々の生活の小さな幸せが挙げられるように思う。しかし、病気が治り、死の恐怖が遠のくと、危機的状況のときに考えたことは忘れ、もとのようにお金や地位や名声を求める生活に戻ってしまう。

いまコロナウイルス世界的な蔓延で、私たちの日常生活は一変し、重い病気にかかったような状態にある。そのような今、何が大切なのか、何が重要なのかを考える時でもある。いずれこの危機が克服された時、今考えたことは忘れられる。でも人生で大切なこと重要なことをメモして、忘却を少しでも少なくしておくべきであろう。―このようなことを述べている小説家がいるとのこと。卒業生のU氏から教えられた。(下記に、その一部とアドレス)

<苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。>(イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』)https://www.hayakawabooks.com/n/nd9d1b7bd09a7

8という数字

アジアなどで値段交渉の際、買い手が値切り「10万円」で買いたいと申し出ると、売り手は、いやこれは10万8千円でしか売れないと答えると、「なるほどその値段設定はこの商品は原価割れのギリギリになのだなという印象を与え、一般にはそこで手を打つことになる」(藤原新也)という。このように、「端数をつける場合、7とか9ではなくなぜか8をつける場合が多い」(同)という。なるほど、私たちは、この端数の8という数字に騙されることが多い。

安倍首相が108兆円の緊急対策費を出すということを宣言しているが、この8という数字はあたかも精密な計算をしたものという印象を受けるが、気をつけないといけない。その中身を見ると、昨年の台風の被害補償費や一人一台端末の前倒し整備も入っているという。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200411-00216677-hbolz-soci&p=4(佐藤治彦)