『教育調査の基礎』(放送大学教材)を読む。

放送大学教材の『教育調査の基礎』(藤田武志・西島央、2020年3月)を編著者の西島央氏(青山学院大学教授)から寄贈いただいた。内容は、量的な調査と質的な調査の両方に関して、基礎的なことから専門的なことまで、また理論的なことから具体的な手順までわかりやすく、また興味をもって読める内容が書かれている。

昔,福武直『社会調査法』(有斐閣)や松原治郎『教育調査法』(有斐閣)という本がよく教育調査の授業のテキストで使われていたが、理論的過ぎたり抽象的で、使い勝手があまりよくなかった。西島氏らのこの本は、社会調査や教育調査の具体的手法もわかり、大学の授業のいいテキストになると思った。実証的なデータを扱う卒論や修論の執筆にも役立つと感じた。学問やそのテキストは確実に進歩している。

編著者による内容の説明が、下記で見られる。https://www.youtube.com/watch?v=uTMZqUsOCFk

もうすぐバラの季節

地球温暖化で(?)、今年は花の咲く時期が早まっているように思う。うちの向かいの家の垣根のモッコウバラ(黄色)は、もう満開。

検見川浜に行く

非常事態宣言の出た千葉(県)でも、いろいろなところが閉鎖になり、出かけるところがなくなっている。家でゲームやYou Tubeやテレビを観て過ごす人が多いことであろう。

犬の散歩に検見川浜に行ったら、駐車場も閉鎖になっていたが、海岸から少し離れた無料の駐車場は開いていて、そこに車を置いて、海岸を散歩する人が多かった。ウインドサーフイン、釣り、貝取り、磯遊び(カニ取り)、ピクニック(ランチ)、犬の散歩など、人との距離を取りのんびり過ごす人が多く、ひと昔前の海岸風景のようであった。うちの老犬もその空気を感じ取ったのか、ゆったりした表情を見せた。

新東京漂流

藤原新也の「新東京漂流」が、ラジオ番組で始まったようである。

https://spinear.com/shows/shin-tokyo-hyoryu/

問いの前提

何かの問いを発することは重要だが、問いには必ず前提があり、問う側はその前提に無自覚のことが多いが、その前提こそ重要だということができる。

内田樹は、ある週刊誌からの問いに対して、その問いを聞いて、記者の資質に問題があると述べている。その一部を転載する。blog.tatsuru.com/2020/04/10_1443.html)今、政治家ばかりではなく、ジャーナリストの資質が問われる時代である。(私たちも日常の会話で、問いを発しているが、その答えより、問い自体の質が問われていることを自覚しなければならない)。

<ある週刊誌からインタビューしたいという電話があった。質問をしばらく眺めながら、「こういう問いの立て方しかできないというところに日本のメディアの末期症状は露呈しているなあ」という感想を抱いた。回答がなんとなく冷たいのはそのせいである。

<1.新型コロナウイルス禍をどう見ているか?–(答え)これまでの経験をふまえて十分な感染症対策をしていた国は早い段階での感染抑制に成功し、それをしなかった国は感染拡大を防げなかった、という差が出たのだと思います。「未知」だの「新型」だのということをことさらに言い立てて病気を神秘化するのは、その事実を糊塗するためでしょう。

2、「カネか命か」という究極の問いー (答え)まさか「命よりカネが惜しい」という人はいないので、「カネも命もどちらもと欲張ると死ぬ」という経験則です。こんなことは究極の問いでもなんでもなくて、小学生でも即答できなければいけないことです。 ですから、自粛のせいで生活が立ち行かないという人に対しては政府はあれこれ言わずに十分な支援を行うべきです。

3、「命の選別」医療崩壊が発生し、限られた人工呼吸器を若者に回し高齢者を見捨てるという惨状が世界中で起きています。―(答え)医療崩壊というのは、倫理の問題である以前に「医療資源の不足」という単純で物質的な問題です。ここでも同じように、医療崩壊という黙示録的事態をもたらしたのはロジスティックスの手抜きという日常的・散文的事実であるという前段が隠蔽されています。人工呼吸器が1台しかないところに患者が2人来たら、1人は死ぬしかありません。いくら倫理的正解を求めても、正解なんかありません。そんな問題について今「どうあるべきか」なんか悩んでも、仕方がない。それより「こんなことが二度と起こらないようにするにはどうしたらいいのか」を今から考えておく方がまだしも救われる命は多くなると思います。>