半世紀以上前のことになるが、学部時代に読んだ専門(教育学)の本で一番感銘を受けたのは、卒論のテーマも決まらず悶々としていた4年生の秋に読んだ本、木原健太郎『教育課程の分析と診断』(筑摩書房、1958年)である。当時の教育社会学の研究室の先生たちの関心は「経済発展と教育」や「社会開発と教育」といったマクロなところにあり、そのマクロな問題がミクロな人々の関心や心理とどのように結びつくのかわからなかった私は、教育社会学への関心を失っていた。教育実習に行った直後、偶然図書館で手にした『教育課程の分析と診断』は、教育社会学にもこんな面白い本があるのかと驚いた。
その内容は、教育社会学の研究者の木原健太郎氏が、名古屋の小学校に通い、一つのクラスの授業と子どもたちの様子を丹念に記録に残したものである。授業を手作りのアナライザーで分析し、教師と子どもの関係、子どもたちの集団構造をデータで明らかにし、教室の様子、教師と子どもたちの思いも生き生きと記録に描いている。学校社会学の祖と言われるW.ウオーラーの『学校集団』に触発されてての研究とのことであるが、実証的なデータ分析とその生き生きとした学級集団の描写に魅せられた。
その後日本の教育社会学の分野でも、エスノグラフィー研究という形で、優れた研究が続いていった。その流れの1つだと思うが、今回清水睦美・堀健志・松田洋介他『震災と学校のエスノグラフフィ―』(勁草書房、2020年)を著者から贈っていただき、読む機会があった。とても素晴らしい本で、昔、木原先生の本を読んだ時の感動を思いだした。
次のような礼状を書いた。<このたびは『震災と学校のエスノグラフイ―』(勁草書房、2020)をお送りいただきありがとうございました。とても感銘を受け、現在1章ずつ、丹念に読み進めています。読みやすい内容ですが、いろいろ教えられること、考えさせられることがたくさんあり、安易には読めないなと感じています。清水さんの生徒の作文の分析や堀さんの教師のインタビューやその他のエスノグラフイ―分析の見事さに、驚いています。被災状況や人口動態、進路選択などのマクロ分析も精緻になされています。またその分析の背後の理論的な枠組みは、教育社会学の理論や最新の社会学の枠組みが的確に入っていて感心しました。この理論枠組みが共同研究者の中に共有され、全体に筋が通り、いい本に仕上がっていることを感じました。皆さんの研究と教育に対する熱い思いと冷静な分析がマッチして、とても素晴らしい、歴史に残る著作になっていると思います。>-
勁草書房のサイトには、<東日本大震災後、学校は災害経験とどう向き合ってきたのか。陸前高田の中学校における8年にわたるフィールドワークを基に描き出す。/被災の前後で、学校のありようはどう変わり、変わらなかったのか。統計データ分析、中学校におけるエスノグラフィー、教師インタビュー調査、生徒の作文の分析等により、教師・生徒にとっての震災経験の位置づけや学校文化の変容を明らかにする。また、近代教育システムとの関連で、災害が近代学校に何をもたらしうるのかを検討する。>と、紹介されている。(www.keisoshobo.co.jp/book/b498138.html)
本書の魅力の1つは、震災以降の学校教育が、教育社会学の手法で分析されていることである。それは、「個々の教育実践は社会的に規定されているという視点であり、ある程度の自律性を有した教育システムが成立しており、そのシステムに制約されながら、実践がつくられていく様相を重視するという視点である。これは教育社会学が近代教育システムという近代特有の学校制度を主たる対象にしてきたことと関わっている」と、松田洋介氏は述べている(10ページ)。しかし、このことは教師の教育実践を軽視することではない。「個々の学校は、それぞれの学校が置かれた社会的文脈にそくして変化する。そして、そうした個々の学校の変化が、教育システム全体の変化にいかに連動しているのか/自律しているのかを追求することは教育社会学の中心的な課題のひとつである」(11頁 同)。「ローカルレベルでしばしば生起する文脈志向のペタゴジーが、(近代教育システムが基本にする)脱文脈志向のペタゴジーが支配する教育システムのあり方を変えること可能性も追求する」(14頁、同)と、バーンステインの文脈志向ペタゴジーvs脱文脈志向のペタゴジーという分析枠が興味深い。さらに分析では、<震災からの自由(震災の忘却)>と<震災への自由(震災経験の乗り越え)>という2つの力学の葛藤という視点、子どものヴァルネラビリティやレジリエンスという視点が、全体の分析に貫かれ、その具体的な様相がエスノグラフィーデータで考察されている。その他、興味深い分析が盛りだくさんで、多くのことを教えられる。東日本大震災からちょうど9年が経過した今―2020年3月に―、読むのにふさわしい本でもある。