新型コロナウイルス禍(その3)

相変わらず、テレビをつけると新型コロナウイルス話題が多く、さまざまなことが語られ、またその語りも状況の変化に合わせて変化しているので、どのように考えたらいいのか、戸惑う。専門家の医者が書いていることで、印象に残った「語り」を書き留めておきたい。

1自らの免疫反応がうまく働けば自分を守ることができると言える。免疫力のない高齢者や持病のある人が、重症化しやすい。そのような人は病院に早くいく必要がある。2 軽い風邪症状なら医者に行かないで自宅で療養した方がいい。病院に行っても特別な治療はない。十分な睡眠とストレスをためないようにして免疫力を高めておくことが重要。3 つばを飛ばし合うような状況をできるだけ避けて,汗や唾液の霧が漂うような空間に身を置かない。目鼻口,食べ物,食器を触れる前に必ず手洗いをする。 4 多くのウイルスは一度感染すると免疫ができて、そのウイルスにかからなくなるか、感染しても症状が軽くなるようになる。多くの人が感染し集団免疫ができれば、近い将来は普通のかぜとして組み込まれて行く。このような集団としての病気への抵抗性のことを,集団免疫と言う。集団免疫ができれば、感染は終焉する。5 イタリアでの死者の異常な増加は、キス、ハグ,握手など生活習慣に関連して急激に感染拡大して,結果として医療機関のキャパシティーを超えたことが原因と言われている。医療システムが崩壊するとその病気で亡くなる人より診療不能となって別の原因で亡くなる人の方が多い。発症人数のピークを抑え、医療システムの崩壊を防ぐことが重要。

藤原新也も、公開のshinya talkで、独自の見解を、公開している。www.fujiwarashinya.com/talk/

人との会話内容

人に会った時、どのような内容の会話を交すのか。特に初対面の人との会話内容が気になる。

江藤淳の『アメリカと私』の中で、江藤淳がプリンストンで初対面に近いジャンセン教授に会った時の様子が、昔気になり印象に残っている。人は初対面の人とこんな難しい話をするのかと。

<私たちは、アパートの話に移る前に近衛公の性格を論じていた(中略)このような話は、私にとってと同様に、教授にとっても、わずらわしいアパートの話よりはるかに愉快な話題であるらしかった>(『アメリカと私』講談社、1969年、35頁)

昔大学のゼミの最初の時、皆に自己紹介をしてもらったが、その内容は出身地や出身高校、趣味などを話す学生が多かった。同じようなことを期待して、非常勤で担当した東大の大学院の演習で、受講生に自己紹介をしてもらったら、個人的なプロフールの話は一切なく、「私の研究テーマは〇〇です。その内容は××です」という話が続き、さすがと感心したことがある。

最近近所に住む80歳を過ぎた元大学教員の人と知り合い、「話に来てください」と言われ、その人の自宅の研究室を訪ね、2時間ほど話をした。個人的なことをどの程度話したり聞いたりしていいのか戸惑いながらの会話であったが、お互いに知りたいのは、お互いの研究のことだったと思う。その方は、西洋史が専門のようで、ザビエルについて最近もかなり長い論文を大学の紀要に書いており、(それを私もネットで読んでいって)いろいろ尋ねてみた。日本の近代化に関心があり、それをザビエルの来日を通してその起源を歴史的に探りたいと思ったとのこと(80歳を過ぎてのこの探求心に感嘆した)。「あなたの専攻する社会学では、近代化をどのようにとらえていますか?」と聞かれ、いきなりの直球の質問に私の答えはしどろもどろになった。次回は、きちんと勉強し用意して、会話に臨もうと思った。

fukushicomkenkyukiyo_051_165_179.pdf