どんでん返し

最近ドラマや新聞小説を読んでいて、ストーリーの作りがうまいなと感じることがある。話の流れから、次はこうなるなと視聴者や読み手に予感させながら、どんでん返しをして、びっくりさせる。その鮮やかな描写に感心する。

朝のテレビドラマ「スカーレット」でも、女の子が借金取りが入っている風呂を熱くして追い返す場面が次に来ると予想させて、実は逆に借金取りに諭される展開になり驚いた(10月7日)。朝日新聞朝刊の小説「カード師」(中村文則・作)でも、賭けポーカーで素人が玄人に騙される場面を巧みに予想させ、最後にどんでん返しの起こるストーリーは見事である。(下記に一部転載)論文や授業でもこのようなどんでん返しが起こせれば、楽しくなるのに。

<プロがまた弱気な雰囲気で賭け金を吊り上げる。既にゲームを降りた客達(たち)は皆プロが彼を騙してると知っていたし、見え見えともプロも知っていた。自営業者にはわからないと。僕も含め客達は黙ったまま、自営業者が破滅するのを見つめていた。人が破滅する瞬間には快楽がある。 プロが金を吊り上げ、自営業者も乗っていく。自営業者は蒼白になり、首からも汗が流れていた。素人が陥る、引けない感覚に覆われていく。ここで引けばこれまでに賭けた分が全て取られる。素人は思い切って引くことができない。プロが被害者の振りをし、破れかぶれの演技で全額を賭けた。 場に緊張が走る。乗れば自営業者は全額失う。彼はすぐ手持ちの金をチップに替え、負けを取り返そうとするだろう。再び負け、また手持ちの金を出すだろう。脳裏に負けた額が増えていく――刻まれ続け、人生までも振り返り、あの時勝負を避けたから人生はぱっとせず、でも賭博での自分は違うと強気に勝負し続けるだろう。人生での敗北まで、賭博で取り返そうとするだろう。「一発逆転」もちらつくだろう。自分の存在そのものを放り出す無意識下の快楽に、彼自身が気づいているかどうか。 周囲の者達は沈黙しながら、しかし彼を誘う空気をわざと作り続ける。自営業者はその賭けに乗った。もう乗るしかない。自分を越えた押す力と惹き込まれる力があり、抗えない。 互いの手札が開示される。プロはキングのスリーカード。だが自営業者はエースのスリーカードだった。 プロの目が驚きで見開く。自営業者はいつの間にか、完全な無表情になっていた。熟練のプロプレイヤーのように。>(朝日新聞 10月7日朝刊)

海外研修旅行について

現在、若い人の留学が減少しているという。情報環境が整備されている中で、日本にいながらにして世界の情報が簡単にリアルな映像も含めて接することができ、テロが世界各国でおきている中、危険を冒して海外に行く意味が薄れている。また安全で居心地のよい日本を離れて、苦労することは嫌だという若者も多いことであろう。

ただ、小田実や藤原新也はじめ、若い時に海外でしかも過酷な環境の中で過ごした人たちのその後の活躍をみると、若い時の経験・体験がその人達の思想の核になっており、いかに貴重なものかわかる

日本にはない美しい景色や異国情緒を楽しむ外国への観光旅行も意味がないわけではないが、それより海外の人々の実際の生活や文化に触れる旅行を若い時にすれば、かけがえのない体験になる。その意味で、若い時の留学体験は貴重な経験になるが、それは誰でもできるものではない。現在学校や大学が単なる観光旅行ではない、現地の生活や人々とふれる研修旅行を計画するのは、その為であろう。

上智大学では、夏休みによく教員がゼミの学生を引き連れて海外の研修旅行に出かけていた。私の場合そのような力量がなかったので、同僚の加藤幸次先生が海外にゼミ生を連れていく時に、私と私のゼミ生も一緒に同行させていただいたことがある。行先は、1度はアメリカ、もう一度は香港。どちらも加藤先生のつてで現地の学校の授業をいくつも見るという有意義なもので、現地の大学生との交流もあり、学生にとっては(また私にとっても)為になるものであった。(そのアメリカ旅行では、ワシントン、ニューヨーク、マディソン、オークレアと4都市を回り、安いホテルや大学の寮に泊まり、現地では加藤先生がマイクロバスを運転し、安上がりの旅行であったが、飛行機に乗り遅れそうになったり、スリリングなことがいくつかあった。香港旅行は、安いパック旅行で中抜けして学校見学に行った)

上智のOBのWさんが勤める名古屋の南山高等学校・中学校女子部では、ヨーロッパやアメリカだけでなく、アジアにも生徒を研修旅行で連れて行き、貴重な体験をさせている。「当たり前でない文化を体験したとき、自分自身での心の成長を実感できる」「世界に羽ばたく人材を育成できる」と教員は考え、アジアへの研究旅行を実施し、生徒たちに多大な影響を与えている。これは私立の中・高だからできることなのであろうか。他でも見習いたいものである。

大学での講義の記録(学習指導要領についてー学生のリアクション)

私の齢で大学の非常勤講師を務めている人は少なくなっているように思う。大学を退職して自由に使える時間を研究に費やしている先輩や同期さらに後輩はかなりいるが、大学の教壇に立っている人は少ない。それは、大学の非常勤も年齢の上限があるということによる場合も多いが、それ以上に年齢の離れた今の大学生に接するのは疲れるということがある。同期のNさんからも「非常勤講師は、講義を終わった後にかなり疲れを感じるようになったので辞めましたが、生活に張りと緊張感を持ち続けるという意味では、老化現象を遅らせたり、認知症予防にはいいのでしょうね」というメールをいただいた。ただ、自分の老化防止の為だけに教壇に立つのは、受講者の学生に申し訳ない。聴いてくれる学生がそれなりに得るものがあるように、現役時代以上に準備はしている。

ここ2回の敬愛大学教育こども学科の1年生を対象にした「教育課程論」の授業で、学生の書いたリアクションを掲載しておく。それぞれ、資料は数枚配り若干説明し、それから理解したことをリアクションに書いてもらったものだが(何人かに黒板にその回答を書いてもらい、補足を私がした)学生たちはそれなりに学んでくれたと思う。1回はこれまでの学習指導要領の変遷、もう一回は新しい学習指導要領の特質についてである。リアクションの質問内容は下記。

2019年後期 教育課程論 第2回 (9月27日)リアクション

1 前回のリアクションを読んでの感想 2 各時代の学習指導要領の特質(プリント参照、キーワードで) ①  1947,51 ⓶1958,60 ③1968~1970 ④     1977,78 ⑤1989 ⓺1998 ⑦2008,09  ⑧他の人のコメントをもらう

2019年後期 教育課程論 第3回 (10月4日)リアクション

1 前回のリアクションを読んでの感想 2 新しい(2017年)の学習指導要領の特質(新田参照、キーワードで)3 小学校教育の基本(小学校学習指導要領 総則 第1章 参照) 4 「生きる力「確かな学力」とは何か(文部科学省参照)5 学習指導要領改訂のキーワードをあげなさい(無藤隆参照)6 21世紀型能力(コンピテンシー)とは何か(松尾「教育課程・方法論」参照)7 結局、どのような学びが求められ、学校はどのような教育をすればいいのか? 8 他の人のコメントをもらう

彼岸花に思う

彼岸花に関してこのブログでもしばしば書いている(2012.10.3, 2013.9.25, 2014.9.11, 2016.921).それだけ私とって懐かしさを感じる花なのであろう。彼岸花には、その名称からして、亡くなられた人の思いが宿っているような気がする。彼岸花の傍を通る時は、身近で亡くなった人のことを思い、(手を合わせないにしても)祈るような気持ちになる。

私の齢になると親しかった人や昔お世話になった人がまだ生存しているのかわからない場合がある。相手もきっとそうであろう。若い時一番の親友と思っていたT君の消息も今はわからない。最後に会ったのは15年くらい前で、退職を前にして疲れている風に見えたが、その後その会社の役職名簿からも消え、今生きているかどうかも全くわからない。また最近不覚にも、昔大変お世話になった方が2年前に亡くなられているということ知り、愕然とした。多くの思い出があり。深い悲しみを感じる。穏やかな老後を過ごされたと知り、(ご無沙汰をお詫びしながら)少しほっとする。彼岸花に手を合わせ、ご冥福をお祈りする。