明日(6月21日)の教育原論(1年生対象)の導入部分 メモ


先週、先々週のことから申し上げます。リアクションのコピーをご覧ください。まず先週の特別講師をお願いした村瀬先生のお話の皆さんの感想(コメント)のいくつかを抜粋しました(添付)。「お話が大変参考になった」という感想多く、講師を無理してお願いしてよかったと思います。(お礼を兼ねて、先週の日曜日には村瀬先生の主催する研究会に私は参加して少し話をしてきました。)コメントに、「今までのどんな授業より身になった」と書かれているのもあって、皆さんの感激の度合いがわかります(私も皆さんに役立つ話をしようと努力はしているのですがね)。

皆さんの感想の多くは、教員採用試験に向けて、いまから少しずつ準備を進めようと思うようになったという感想が多く、それが。一番の成果だと思います。私の方から、少し補足しておきます。まず、今首都圏や近畿圏では定年で退職する教員が多く、それを補充する必要があり、新規の教員の採用数が多く、採用試験の倍率が低くなっています。ただその傾向はもうすぐ終わり、その後教員の採用は急激に減少します。一方地方で徐々に少し増えます。敬愛大学には今千葉県教育員会から8名の大学推薦枠があり、それは千葉大の10名に続き多い枠ですから、そこに入ればほぼ確実に現役で教員になれます。1年生の今から真面目に勉強して、いい成績を取り、推薦を目指すのは一つの方法かと思います。推薦に入れなくても1年生の時から熱心に勉強した人が、教員採用試験に受かる傾向がありますので(現役で30名、卒業生を入れるとその倍)1年生からの努力は大事です。ただ、これまで、3年の冬頃から教員になろうと必死になって勉強して受かった例(私知る限りでも、私のゼミで二人)もありますので、いつまでも諦める必要はありません。中高の教員を目指す人もいると思います。昨年敬愛大学から中学の教員に英語で2名ほど受かっていますので、それは可能かと思います。ただ難しさ(倍率)は小学校の倍以上ですので、覚悟してください。中高の英語や社会の免許も取っておくと、これから小学校英語や小中一貫教育が実施される中で採用に有利になると言われています。大学での修得単位数がかなり増えると思いますが検討してください。大学時代にアルバイトをして生活費を稼ぐ必要のある人もいると思いますが、大学時代にアルバイトで稼ぐより、授業をたくさんとり(中高の免許も取り)勉強して、早く採用試験に受かった方が、生涯賃金を考えたら得策になることは確かです。教員採用試験の為の勉強も大事ですが、大学時代は読書もし教養を高め、さまざまな大学内外の活動をして人間性を深めることも必要です。それが採用試験の時の面接でも評価されます。

今日の授業では、先週の村瀬先生の話に続けて、教員という職業に関して、いくつか資料を提供し、考えてもらおうと思います(特に教員の日々の仕事や多忙化、さらに教員の人間性について)。

その前に、前々回の授業の時、青年期の友人関係の大事さに関して、村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013)の冒頭部分14頁を読んで考えてもらいました(添付リアクション6)。今大学生の読書時間は減少していると言われますから、今日本で一番人気のある(?)作家の村上春樹の小説をこれまで1冊も読んだことがないという人がかなりいるのだと思います。それで少し長いけれど冒頭部分をコピーして読んでもらいました。これを読んでコメントを書くようにお願いしました。そのお願いをスルーして文章は読まずに適当にコメントを書いた人もいることでしょう。私が無理強いしたのでそれを非難するつもりはありませんが少し残念に思います。ただこの小説の主題は友人関係ということではなく(それも少しはありますが)別のことで、ミステリ―(謎解き?)としても面白い小説なので、一読をお勧めです(ただ、村上春樹に関する好き嫌いは、かなり人によって分かれます。) (以下略)

高校の同期会・クラス会に出る

6年前より高校(都立日比谷高校)の同期会・クラス会が3年ごとに開かれている。1回目に参加し(201362日のブログに記録あり)、昨日(9日)銀座で開かれた3回目の会に参加した。1回目から6年が経過している。同期が400名いて、昨日は104名の参加で、26%の参加率。50名のうち20名が参加しているクラス(参加率40%)もあったが、私のクラスは8名の参加(前回の半分)で、少し寂しい会であった。クラスで既に亡くなった同級生は議員だった町村信孝氏を含め7名いて、同期・クラスの中心メンバーを欠き求心力が失われたのかもしれない。同期の「年老いた人たち」を見て自分の齢を感じるみじめな気持ちになる会になるかなと恐れたが、意外と皆元気そうで安心した。

当時の日比谷高校は、クラスを生徒が選べる仕組みで、私のクラスはラクビ―を中心に山岳部や野球部の生徒が集まるにぎやかなクラスで、学業成績はあまり良くなかったが(現役で東大に入ったのは6名、隣のクラスは確か12名。でも成績ダントツトップ3はこのクラス)、町村氏やTBSの名プロデュサーだった片島謙二氏、外務省で活躍した東郷和彦氏など個性的な人が多かった。私自身は千葉の田舎から出てきて同級生と階層的・文化的なギャップを感じ、隅の方でひっそりと暮らしていたように思う。

昨日は当時はあまり話せなかった同級生ともいろいろ話ができ、3年ではクラスが違ったが2年次に一緒で仲がよかった藤田勝氏と会うことができ、1年次に一緒の安藤正輝氏(琴奏者)の姿も見て、参加してよかったなと感じた会であった。

教育の効果

教育の効果はすぐ現れず、何年か後に現れるように思う。しかしその何年か後の教育の効果を計る試みはあまりなされていない。一人の人の成長の過程を追いかけるパネル調査は少しはなされているが、莫大な手間暇と費用がかかるため日本ではなされることは少ない。

もう少し身近なところでは、家庭の中で子どもをこのように教育したところその効果はこのように現れた(例えば、このような家庭教育が東大に子どもを入れるのに役立った等)などの実践報告を目にすることはある。一方、学校教育や大学教育の効果に関して、上級学校への進学率や企業への就職率などのデータは報告されるが教育の中身の効果などが長期的なデータから報告されることは少ない。著名人の出身大学が明記されることが多い。これは暗に大学教育の効果を示している。ただ、これも本人の資質や努力のたまものか、家庭教育のせいか、小中高あるいは大学の教育の効果なのか、正確には識別できない。

私たち大学教師からすると、自分の教えた学生が、大学卒業の職業や職場でどのような活躍をして、その活躍に自分の教育が何ほどかの貢献をなし得たのか知りたいと思うことがある(多分大した貢献をしていないので、現実を知らない方がいいのかもしれないが)。 上智大学に在職中に、教育学科の同僚で教育哲学が専門の増渕幸男教授がいらして、増渕教授の学識と人柄と教育のせいだと思うが、優秀でユニークな学生がゼミに集まっていた。分野が違うのでどのような内容の講義やゼミなのかわからなかったが、大学卒業に、社会でめざましい活躍を人が多く輩出された。たとえば、2006年ミスユニーバース日本代表(世界2位)の知花くららさん、最近フォトジャーナリストで注目されている安田菜津紀さん(yasudanatsuki.com/)。この二人の活躍の内容は教育哲学的なものを含んでいるので、多分増渕教授の教育や指導の成果ということはあると思う。この二人も私の「教育社会学Ⅰ」の授業も必修で履修していたが、どこかで、教育社会学的なことが役立っていれば嬉しい。このようなことを、6月2日の朝日新聞GLOBE,No.218で安田さんが大きく取り上げられていたので思った。

「教育原論」第7回(5月31日)の授業内容とリアクション

まず、テキスト『教育の基礎と展開』(高野・武内編著、学文社、2016)の2章の前半部分(p10〜16)に目を通してほしいと思います。本学の中山幸夫教授が、西洋の代表的な教育思想家7人に関し。的確な解説を書かれています。私なりにその要点を書き出せば、下記のようになります。

教育思想とは、教育について考えられたことを体系化したもの。それは人間観に基礎づけられている。西洋の人の代表的な7人の教育思想に関して、その思想家の生い立ちや経歴も含めて説明する(以下は、テキストよりその教育思想の内容の核心部分のみピックアップ)

ルソー(1712〜1778年)-人間の本性を押さえつけず、人間の本性に従った教育のあり方を説く新しい人間観(子ども観)を誕生させた。主著『エミール』では、子どもには固有の活動がある、子どもには自ら成長発達しようとする内在的な能力が備わっている、として、内なる自然に従って教育を行うべきことを説いた。/ペスタロッチ(1746〜1827年)-貧しい民衆を救済するための拠り所を教育に求めた。『隠者の夕暮れ』が有名。/フレーベル(1782-1852)-幼児教育の重要性に注目。幼児の遊び道具として「恩物」を考案・制作した。フレーベル幼稚園は、彼の教育思想と理論の実践の場であった。/モンテッソーリ(1870〜1952年)-感覚訓練の為の教具を考察。幼児期の「敏感期」に注目。モンテッソーリ・メソッドを考案。/コメニュウス(1592〜1670年)-近代公教育制度の元を作る。すべての子どもたちが貧富の別なく入学・進学できる学校体系の提案。『大教授学』が主著。/コンドルセ(1743〜1794年)-フランス革命の自由、平等、博愛の精神で、公教育の政治や宗教的権力からの独立性を提起。学校分布の平等性など、近代学校制度の元を作る。/デュ―イ(1859〜1952)―学校は「小さな共同社会」。伝統的な一斉授業中心の学校教育を作業中心の活動的な学習の場に変える。問題解決と自己実現を目指し、成人社会における民主主義を尊重するような教育をめざす。主著『民主主義と教育』。

配布したプリントを読んで現代に至る代表的な教育思想家の思想内容を読み取ってほしいと思います。さらに、もう一枚のプリントを読んで西洋の教育思想家の生きた時代の一覧表を作ってほしいと思います。

教育原論リアクション(第7回、2019年5月31日) 教育思想

1 前回リアクション(5月24日)を読んでの感想 /2 主な教育思想家の考えと著作(誰か2人を選んで)/3 教育思想家の生きた年代を図示しなさい。4 他の人からコメントをもらう。

敵視の相互依存について

漠然と感じていることを、明確な言葉や見方で指摘されることがある。それは、人との会話であったり、ブログであったり、新聞記事であったり、本であったりする。それは知らず知らずのうちに囚われている思考様式に反省を促すものである。

週刊誌やネットのツイッターで、誰かを悪者にして叩くのは、人々の繋がりを強めストレス解消になるように思うが、それは、クラスなどで、特定のひとりの子をからかい、皆でつながりを強め学校生活のストレスを解消する「いじめ」と同一の心理で、やってはいけないことのように思う。悪者に仕立てあげられる人は、有名人であったり権力者で少し間違いを起こした人がなることが多く、つい罪悪感がなく同調してしまうが、「いじめ」には変わりない。――そのようなことを、下記の新聞記事を読んで思った(一部転載)

「我々が暮らす今の社会では、個人を識別するデータに基づいた監視と管理が想定以上の速度で進んでいる」「現在の情報監視は、国家による直接的な情報取得よりも、利便性や経済的利得のために人々が進んで自らの個人情報を提供することで成立している」「社会的な流動性が高まり監視社会化が進むと、個人が選択を行う際に社会的規範よりも他者からの承認が優先されるというのが監視社会論の要諦だ。人々は他者からの承認目的で共通の「敵」を見つけ、「みずからの敵視の妥当性を他者の賛意に求め、それを相互に確認し続ける解釈の循環を作り出す」「「監視カメラ」は「ツイッター炎上」や「メディアの偏向報道」、「フィルターバブル(ネットで自分が見たい情報しか表示されなくなる現象)」など、様々なものに置き換え可能だ。「現在の「超監視社会」においては、自らの承認のために一時的な仲間をつくり、敵を攻撃することでしか不安定な自己の安定をはかることができない。イデオロギーや規範よりも、敵視の相互依存が勝る社会では、手近な安心感を相互に得ようとする自己撞着(どうちゃく)的な勢力が最も力を持つ。」(津田大介 「超監視社会」朝日新聞5月30日,朝刊) \