欧米への憧れや幻想を捨てて

日本人にとって明治以来そして戦後も外国それも欧米へのあこがれは強かったように思う。政治の面でも学問や知識の面でもまた暮らしの面でも、日本に比べ欧米の方が圧倒的に近代化が進んでいて、見習うべき点がたくさんあった。欧米に渡航したり留学したりした人の持ちかえる見聞が本になり、それを読んで一層欧米へのあこがれが強くなった。

それがここに来て、状況が少し変わってきた。テロや犯罪が多い欧米に比べ、日本は安全で住みやすく伝統的に優れたものが多くあると、政府が日本賛美を推奨し、マスコミもそれに乗り、若い人の留学離れもすすんできた。欧米の生活や暮らしぶりを紹介をする文献も、これまでは欧米先進国がいかに素晴らしいかという内容が多かったが、そうではない報告も増えて来た。たとえば、今ネットでよく読まれている「イギリス毒舌日記」https://ameblo.jp/wiltomo/(イギリス人と結婚した日本人が、イギリスの田舎町の日常や人々のことを描いている)を読むと、イギリスの実際の生活や人となりがよくわかる。それを読むとイギリス社会やイギリス人に対するあこがれは薄れていく。

アメリカのトランプ大統領の発言ややり方に呆れるだけでなく、それを支持しているアメリカ人が多くいることに、アメリカ社会やアメリカ人への幻想は薄れていく。だからと言って、日本賛美に走ることは危ないが、欧米への憧れや幻想を薄め、国にとらわれず、何が正しいのかを見極めなければならない。 (このことは、広く外国に目をやり、自国の生活や文化を相対化をすることの大切さを否定するものではない)。


連休は近場で安上がりに

10連休を皆どのように過ごしているのであろうか。退職している高齢者にとっては、いつも連休のようなものなので、あまり関わりないが、連日働き詰めの人にとっては、ありがたいことであろう。(大学の教師の中には,溜った原稿を執筆している人もかなりいるであろう)。大学生に聞くと、連休中に旅行する人もいるが、多くはアルバイトがびっしり入っていてあまり嬉しくないという人が多い。うちの隣の家族は親戚も一緒にバリ島に旅行したようだが、うちは妹の家に皆で集まったのを含め、千葉の近場で安上がりの連休。

今日(3日)は、車で50分の九十九里の白子海岸に行き、玉ねぎ堀と九十九里ので海辺で遊ぶ。玉ねぎ堀は、20キログラム掘って2,400円(持ち帰って近所5軒に配る。新玉ねぎは生で食べると美味しく、喜ばれる)、白子海岸の温泉に入り(大人450円,子ども350円と、玉ねぎ祭りの割引券を使い格安。少し前NHKの鶴瓶の「家族に乾杯」の放送があったところ)。お昼は、美味しい中華を食べるという贅沢をしたが、子どもたちも喜んだ一日であった。次の日(4日)は、車で15分の稲毛海浜公園へ、犬も連れて行く予定(下記にその時の写真掲載)。

職場と住むところを移動することについて

農耕民族と狩猟民族では、安定や心の安らぎの形態が違っていることであろう。農耕民族は一定の地域に定住し土地を耕し作物を育てる。狩猟民族は獲物を求め常時移動する。                                           日本人は農耕民族であり、一箇所に定住してこそ心の安定が保てる。日本人も近代以降の社会では産業が農業から工業や第3次産業に移り,地域移動が常態となり、教育や仕事の為に故郷を離れざるを得なくなり、遠くにある「ふるさと」の歌を口ずさみ、心の安定を図るようになる。退職してふるさと(故郷)に戻る人もいるであろう。

インドや世界を長く旅して今は東京・千葉に住んでいる藤原新也も、ふるさとの九州・小倉のことにはよく言及している。小倉の少年の写真集を出したり、自身が出身の小倉の小学校で先輩として授業をしたりして、郷土愛が深い。その藤原新也が、仕事場に関して、興味深いことを言っている。      
「(その場所を)味わい尽くした」「仕事でものを生産する場所は5年ごと移る」「表現というものは熱量を使い、場というものは畜熱量を持っており、その熱量を使い切るのが5年程度と考えているからだ。そこをフルに使うと場が腑抜けになってしまう」。しかも、藤原の場合その場所から移動するときは、どんな気に入った家具も現捨離していく潔さがある。

他の職業でも、藤原を見習うべきかもしれないと思った。同じ職場に長く務めるとそこがどれほど居心地のよいところででも、煮詰まってしまい、緊張感が薄れてしまう。何か新しいことをなすためには、勤務先を移り、新しい挑戦をする必要がある。農耕民族の日本人にはなかなか受け入れがたいが。

藤原の場合は、仕事場に関して言っていて、住むところ(の移動)に関しては何も言っていない。しかし狩猟民族やジプシーにとっては住むところの移動も当たり前になっている。村上春樹は引っ越し好きで、引っ越しはいろいろなものが一切チャラになりいい、というようなことを書いていたと思うが、これは作家として必要なことかもしれない。また村上春樹に狩猟民族の習性があるのかもしれない。(村上はアメリカはじめいろいろなところに住んで、新しい小説を書いている) 

(千葉を一度も離れたことのない私が、人の移動の大切さをいくら説いても、説得力はないが)。