ホームスクーリングについて

20年以上前になるが、WISCONSINのMadisonに1年間滞在した時、ホームスクーリングという言葉を初めて聞き、子どもを学校に行かせず親が子どもを家庭で教育する方法が、アメリカの各州で認められていることにとても驚いた。知り合いのHSの子どもの様子も見学した。それでホームスクーリングについて調べ、(日本の)学会でも発表し活字にもした。(上智大学教育学論集 30号 65-109頁 1995年度、IMG_20180716_0001)

それから、ホームスクーリングはどのようになったのか、きちんと調べることをしていないが、4月16日の朝日新聞朝刊に最近の様子が紹介されていた(『親が「先生」 米で増加のホームスクーリング、実態は』)それを読むと、20年前とあまり状況は変わっていないようにも思えた。ただ、少し新しいと思われるのは、下記の点である。

1 州によっては、学校関係者の家庭訪問を義務づけたりする場合もある。2 (ある)子供たちは、近くの「コンパス・ホームスクール」に通う。地域に住む現役教師や研究者らが週2回、5~18歳のHSの子供に様々な教科を教える。3 米家庭教育研究所によると、2017年時点でHSの子供は約200万人で、なお増加傾向にある。当初は白人が大半だったが、今は3分の1が黒人やヒスパニック系。ゲイサー教授は「以前はイデオロギー的な理由が主だったが、今は教育内容で選ばれている」という。大学など複数の調査で、「子供によりよい教育を受けさせたい」という家庭が半分以上を占める。4 親に教育経験がなくても、ネット経由で良質な教育を受けられるようになった。新たな需要に対応しようとオンライン教育の種類も増えている。5 HSが虐待の温床になっているとも言われる。「責任ある自宅教育連合」によると、00~12年、HSの家庭で虐待やネグレクトによって子供が死亡したのは84件。一般家庭よりもその死亡率は高いという。6(日本)では、「以前はメディアでHSについて話すと、ネットを中心に『教育放棄だ』と激しい批判を浴びた。最近はそれが減り、少しずつ受け入れられている感触がある」

上記は新聞記事で研究論文ではないので、どの程度正確な内容かわからない。アメリカの研究論文や教育雑誌を見て、現状を知る必要がある。日本では、今は学校の抑圧より家庭の児童虐待の方が問題になっているので、あまりHSへの関心は高まらないであろう。

齢をとっても柔軟に

一般に齢を取ってくると、体力の衰えだけでなく、気力も衰えてくる。気力が低下すると、外に出かけるのも億劫で、人に会うのも面倒になり、引きこもり気味になる。

また柔軟性を失い、頑固になる。この頑固さには、気を付けたい。テレビで見ていると、それほど高齢ではないが、「家族の乾杯」の笑福亭鶴瓶(1951年生まれ)や「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平(1949生まれ)などは、年寄りの頑固さより、柔軟性(一種のボケ、判断保留)が勝っていて、見ていてほっとする。この二人から学ぶものは大きいと思う。内田樹は、年寄りの頑固さに関して、的確な指摘をしている。一部抜粋しておきたい。(blog.tatsuru.com/2019/04/15_1348.html

<では、「心の健康」とは何のことでしょう。それは「複雑化」ということじゃないかと僕は思っています。一線を引いて、悠々自適になると、態度に際立った変化が起こる人がいます。頑固になるんです。「頑固爺い」になってしまう。不思議ですよね。世の中の利害得失から超脱した身分になったはずなのに、そういう人ほど「言い出したら聞かない」し、「人の話を聞かない」ようになる。たぶん本人は「世の中の些事はもうどうでもいいくらいにオレは解脱しちゃったんだ」というふうに自己正当化しているのかも知れませんけれど、僕の見るところ、違います。この人たちは「複雑な話」をする能力がなくなってきているんです。複雑さを処理する基本のマナーは「判断保留」です。中腰に耐える、非決定に耐える、年を取るとそれができなくなる。体力気力が衰えると、はやく腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。オープンマインドとか「開放性」とかいうのも僕は同じことを指しているのだと思います。老人になって、現場を離れたことでまっさきに衰えるのは、この力です。自分をさらに複雑な生き物に進化させることで複雑な事態に対処するというソリューションが取れなくなる。むしろよりシンプルな生き物に退化することによって、事態をシンプルなものにしようとする。僕は「心の健康」というのはこのことじゃないかと思っているんです。老人になると、確実に身体は衰えます。でも、心は衰えに抗することができる。それは複雑化するということです。老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。自戒を込めてそう申し上げます。(内田樹「『善く死ぬための身体論』のまえがき」より一部抜粋)

藤原新也は、齢を取ると人の話に耳を傾けず、自分に入り込みようになり他者の話が耳に入らない「オタク傾向」に陥ることを警告している。