シチズンシップ教育について

シチズンシップ教育の重要性に関して、ひところ盛んに強調された時期があったが今は、どうなのであろうか。学生の卒論や院生の修士論文のテーマでもシチズンシップ教育が取り上げられることが多かった。トランプの自民族中心主義やイギリスのEU離脱、ヨーロッパ各国の移民排除の風潮などで、グローバル化やシチズンシップ教育は廃れてしまったのあろうか。現状はわかないが、その理念は多文化教育的視点を含み、依然大切なことは変わりないであろう。今年の大学入試問題にも、グローバル・シチズンシップに関する文章が出題されているという(2019 中央大(国際情報学部)。なかなか含蓄のある内容なのでその一部を転載させてもらう。

According to Hong Kong’s Institute of International Education, “Global citizenship goes beyond knowing that we are citizens of the globe. It is a way of thinking and behaving. It is an outlook on life, a belief that we can make a difference and make the world a better place. Young people are growing up in an increasingly global context. Many will live, work, and study alongside people from all over the world. More and more people are traveling for work or for leisure. All forms of culture are shaped by global influences. Each decision we make as professionals, consumers, or voters has an impact on global society.” Oxfam, a global organization focused on overcoming poverty and suffering, identifies the following aspects as the constituent features of global citizenship. A global citizen is someone who – is aware of the wider world and has a sense of his or her own role as a world citizen;- respects and values diversity;/- has an understanding of how the world works economically, politically, socially, culturally, technologically, and  vironmentally;/- participates in and contributes to the community at a range of levels from local to global;/- is willing to act to make the world a more sustainable place.

One challenge to the concept of global citizenship is the apparently biological preference by humans to be loyal to their in-group: their own family, neighbors, and racial or religious communities. According to evolutionary biologists, this ethnocentrism has had an adaptive advantage in the evolution of humankind. However, it appears that at this time in history, it may be necessary for humans to rise above their biology and attempt, through their ability to analyze problems, anticipate outcomes, and forge solutions, to aspire to a more altruistic sense of values that embraces a sense of belonging to the world, not just to the village.

One way to develop global citizenship is through education. Schools and universities all over the world — Canada, U.S., Hong Kong, Singapore, India, Mexico, Australia, England —- have centers of global education and citizenship that promote the teaching of global values. Global citizens are inspired to think beyond the boundaries of place, identity, and category and act “as human beings to human beings.” However, it is important not to abandon the richness of the diversity of language, religion, and culture. If we globalized into a homogeneous unit, life would become less interesting. To imagine and work toward a better world that is united and diverse at the same time will require enormous creativity and passion.

音楽のテレビ・ドキュメンタリー番組 2つを観る

音楽のドキュメンタリ―番組には見ごたえのあるものが多い。それまで聴く気がしなかた歌手やグループやの演奏を聞きたくなる。最近も2つのドキュメンタリーを見た。

一つは3月20日の、サザンの桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」。サザンの歌はほとんど聴いたことはないが、桑田が紅白出場歌手の歌をはじめて歌い、その歌のよさを自分のものとしている姿に好感がもてた。「かぐや姫の曲は『四畳半フォーク』として軽蔑していたが実際自分で歌ってみると完成度の高い名曲であることがわかった」などという感想が続き、他の歌手やグループの曲を桑田なりに理解し歌い上げる才能はたいしたものだと感心した。

<『桑田佳祐 大衆音楽史「ひとり紅白歌合戦」〜昭和・平成、そして新たな時代へ〜』:総合テレビ 3月20日(水)午後10時00~午後11時10分、桑田佳祐が2008年から昨年まで3回に渡って行ってきた白眉の企画「ひとり紅白歌合戦」。桑田はこのイベントで昭和の歌謡曲やグループサウンズ、フォークやニューミュージック、そして平成のJ-POPまで170曲余りをひとりでカバーし、紅白のパロディーを展開することで、壮大な音楽ショーを繰り広げてきた。これは、洋楽に憧れて音楽を始め、キャリアを重ねていく中で、改めて日本の大衆音楽のすばらしさを再発見したという桑田にしかできない離れ技であった。今回番組では、桑田が「ひとり紅白」の活動を通じて再発見した歌謡曲の魅力や先達たちへの思い、そしてその系譜に連なる「サザンオールスターズ」の知られざるエピソード、さらに桑田自身の新時代に向けた抱負までをも語ったスペシャルインタビューを収録。このインタビューを軸に、「ひとり紅白歌合戦」のえりすぐりの映像とともに、その世界をたっぷりお届けする。https://www4.nhk.or.jp/P5620/


もう一つは、初期のビートルズのドキュメンタリー(3月28日)。ビートルズのアメリカ公演で、はじめて白人と黒人が同じ席で聴くことができたこと、ジョンレノンの発言が誤解され、アメリカでの公演が危険になりその後スタジオ録音に移行したこと、ロンドンのビルの屋上の演奏が久々の最後の演奏だったことなど、知らないことが満載で、深夜の2時半まで観てしまった。

<ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ: Eight Days A Week』が本日3月28日(木)深夜、午前0:45~午後2:35、NHK BSプレミアムで放送!ロン・ハワードによる、彼らの初期のキャリアを追った、高い期待を集めるバンド公認の長編ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ: Eight Days A Week – The Touring Years』が本日深夜、NHK BSプレミアムで放送。https://www.universal-music.co.jp

英語の民間試験の比較

大学入試の英語試験の改変に関しては、昨年の9月22日のブログにその混迷の様子を紹介したが、その混迷はそれから半年経った現在も続いているようだ。

3月25日の朝日新聞の朝刊には、『「CEFR」 英語の民間試験の比較に活用―理念抜きに「尺度」独り歩き懸念』という題で、京都大学で開かれたシンポジウムでの様子が報じられている。「異なる試験間の比較は砂上の楼閣。軟弱基盤の上の辺野古基地のようなもの」というたとえが冴えている。学問は政治利用されるものであるが、時の政府の政策に都合悪くなると切り捨てられるものであることがわかる。(新聞記事を下記に転載)

敬愛大学の卒業式2次会に出席

3月23日に敬愛大学の卒業式があり、その後のこども学科の2次会に参加した。

私が教えたのは1年次(教育原論Ⅰ、同Ⅱ、1年ゼミ)と2年次(教職概論、地域社会と教育、2年ゼミ)だけだが、授業は必修だったので、学科の100名の学生ほとんど顔見知りで、その学生諸君が晴れて卒業というのは、わが子(孫?)のようにうれしく感じた。そのうち30名は今年度の教員採用試験に受かり、それ以外の学生も小学校に講師として採用されたものが多く(一般企業就職も3分の1程度いる)、皆前途に希望を抱えての卒業である。この前会った2年前より皆立派になり、大学時代の大きな成長を感じた。

敬愛の学生の大学内外での学びの様子、成長の過程は、教員採用試験合格体験記の記述などからも伺える。そのいくつかを、「教職の里程」2019 23号から転載する(下記).

学修の自己評価について

教育において自己評価ということを言われて久しいが、その意味(価値)についてこれまでほとんどわからず、最近になって少し学習したことがあるので、書き留めておきたい。

私はこれまで評価というものは、自分の外の基準で行うもので(外部評価)、自分で評価するなどというのは主観的で客観性がないし意味がないと思っていた。これまで評価といえばほとんど外部評価である。大学でいえば、大学ランキングというものがあり、偏差値、就職率、科研費の額、有名人輩出率など、外部の基準で判定してランキングが作られている(ただ、大学生活の満足度などは、学生の自己評価によるものなので、自己評価といえなくはない。)。高校でいえば、偏差値や有名大学進学率、スポーツの実績などの外部基準でランキングされている。                           公立の小中学校には、全国学力調査があり、都道府県別だけでなく、各学校の学力平均が算出されている。これら、皆外部の基準での評価であり、自己評価ではない。

先日、植草学園大学のFD研修会に参加して、関西国際大学学長の濵名篤氏の話を聞く機会があった。その講演のテーマは「学修成果の可視化と質保証」というもので、自己評価を含んだ定性的評価(質的評価)の話であった。そこでは、ルーブリックや学修ポートフォリオ等を使って、大学や学生がどこまで学修したのかを自己評価することの重要性が強調されていた。確かに、大学生たちは試験やレポートの評価が優良可不可(4321)などで付けられ、そのような外部的な点数だけでは、自分がどのような点が学修できてどのような点が学修できていないのかはわからない。その点、ルーブリックや学修ポートフォリオは、自分の学修を自分で評価するものあり、自分の優秀性や劣っている点を、自分で具体的に知ることができるものである。この意味で、学修の自己評価というものは、外部評価より優れているかもしれないと思った。

( また濵名氏は、大学には「リフレッション・デイ」が必要と提案している。それは「各学期の試験やレポ―十等を返却することにより、最終的にはどのように評価されていたかを明確にし、自分の学習成果を確認し整理することにより、自分の得意な点や不得意な点を明確にして、次の目標設定につなげてゆく取り組み」である。確かに、大学でも試験答案やレポートの返却して、学生の学修できた点や出来なかった点を具体的に示せば、学生に対する効果は大きいであろう。これは、多分アメリカの大学ではやっていることである。ただ、これを日本でやるためには、日本の大学の授業のシステム(授業の多くを非常勤に頼っている等も含め)をかなり変えなければならないであろう。