教育において自己評価ということを言われて久しいが、その意味(価値)についてこれまでほとんどわからず、最近になって少し学習したことがあるので、書き留めておきたい。
私はこれまで評価というものは、自分の外の基準で行うもので(外部評価)、自分で評価するなどというのは主観的で客観性がないし意味がないと思っていた。これまで評価といえばほとんど外部評価である。大学でいえば、大学ランキングというものがあり、偏差値、就職率、科研費の額、有名人輩出率など、外部の基準で判定してランキングが作られている(ただ、大学生活の満足度などは、学生の自己評価によるものなので、自己評価といえなくはない。)。高校でいえば、偏差値や有名大学進学率、スポーツの実績などの外部基準でランキングされている。 公立の小中学校には、全国学力調査があり、都道府県別だけでなく、各学校の学力平均が算出されている。これら、皆外部の基準での評価であり、自己評価ではない。
先日、植草学園大学のFD研修会に参加して、関西国際大学学長の濵名篤氏の話を聞く機会があった。その講演のテーマは「学修成果の可視化と質保証」というもので、自己評価を含んだ定性的評価(質的評価)の話であった。そこでは、ルーブリックや学修ポートフォリオ等を使って、大学や学生がどこまで学修したのかを自己評価することの重要性が強調されていた。確かに、大学生たちは試験やレポートの評価が優良可不可(4321)などで付けられ、そのような外部的な点数だけでは、自分がどのような点が学修できてどのような点が学修できていないのかはわからない。その点、ルーブリックや学修ポートフォリオは、自分の学修を自分で評価するものあり、自分の優秀性や劣っている点を、自分で具体的に知ることができるものである。この意味で、学修の自己評価というものは、外部評価より優れているかもしれないと思った。
( また濵名氏は、大学には「リフレッション・デイ」が必要と提案している。それは「各学期の試験やレポ―十等を返却することにより、最終的にはどのように評価されていたかを明確にし、自分の学習成果を確認し整理することにより、自分の得意な点や不得意な点を明確にして、次の目標設定につなげてゆく取り組み」である。確かに、大学でも試験答案やレポートの返却して、学生の学修できた点や出来なかった点を具体的に示せば、学生に対する効果は大きいであろう。これは、多分アメリカの大学ではやっていることである。ただ、これを日本でやるためには、日本の大学の授業のシステム(授業の多くを非常勤に頼っている等も含め)をかなり変えなければならないであろう。