千鳥ヶ淵の桜

昨日(3月30日)、東京(田町)で、子ども社会学会の理事会が1時半からあったので、その前に東京の桜を見ようと、地下鉄東西線の九段下で降りて、千鳥が淵の桜をひとりで見学した。時間がなく、じっくり見ることはできなかったが、やはり千鳥が淵の桜は、見事であった。

ただ、桜はまだ満開とはいえず(8分咲きくらい?)、お堀の菜の花の黄色が見えず(桜のピンクと菜の花の黄色のコントラストが抜群なのが千鳥ヶ淵の特質なのにそれがなかった)、少しがっかりした(菜の花の咲く時期がはずれた?、それとも抜かれてしまった?)。見物人は、外国人(台湾、中国?)が多いのも特徴であった。

春休みの植木鉢

生命の尊さ等を教えるために、小学校では児童に花を育てる教育をしているところが多いと思う。学期の期間中は、自分の植木鉢の花に水をやりながらその成長を見守るということをして、自然や生き物への関心を高めるのに役立っていることであろう。

ところが、春夏冬の長期の休みになると、その植木鉢は放置され、水も与えられず、雨が降らないと枯れてしまうことが多い。多忙な先生達も長期の休み時まで植物の水やりに学校まで来ることはできないであろう。ただそれで命を落とす(枯れてしまう)花のことを思うと不憫でならない。

こんなことを書く前に、気がついたら水をやればいいという声が聞こえてくる。そのようにしているが、学校には監視カメラがついていて、不審者として撮影されていると思うと、コソコソとした動きになってしまう。

英語の民間試験の比較(その2)    水沼文平

3月27日の「英語の民間試験の比較」を拝見しました。3月25日の朝日新聞で鳥飼玖美子先生の元気で若々しい姿を拝見しうれしく思いました。「CEFR」(セファール)に関しては、中研が2012年5月に発行した「研究報告No.80」 の「自律した学習者を育てる英語教育の探求」で特集を組んでいます。内容は「ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)についての研究」と「中央教育研究所講演についての記録」です。鳥飼先生を中心に取り組んだ「自律した学習者を育てる英語教育の探求」は2009年に始まり2018年まで8冊の報告書を作成しています。

私はこのプロジェクトに事務局として毎回参加しました。ヨーロッパでセファールが作成された背景として鳥飼先生は「ヨーロッパは長年戦乱の時代が続いた。その原因のひとつに言葉が通じなかったことを上げることができる。戦争のない平和なヨーロッパにするためには自国の周辺国の言葉をお互いに習得する必要がある。そうすれば意思疎通が可能となり、無益な戦争を回避できるようになる」と説明されました。その時私は、日本も隣国の韓国や中国の言葉を習得すればぎくしゃくした関係も改善に向かうのではないかと思いました。外国人に日本語で話しかけられるほどうれいしことはありません。それは日本人に対する最高の敬意の表現だからです。逆に日本人が韓国語や中国語で話ができたら韓国や中国の人に敬意を持ってもらえるはずです。

英語が世界共通語となり、日本政府もビジネス界での英語の必要性を強調しています。幼児からの英語教育など「英語へと草木もなびく」風潮にありますが、日本の英語教育の在り方をセファールの「理念と目標」に照らし再度検証する必要があるのではないでしょうか。(水沼文平) e

講演会やシンポの講師について

小学校の現場の先生から、「教育関係の講演会やシンポジウムの講師は、あまり現場教師が話を聞きたい人でないことが多い」ということを聞いた。 私の場合、これまで教員相手に講演を頼まれるということもほとんどなかったので、実害は及ぼしていないと思うが、本人はいい話をして聴衆が感銘を受けたと思い込んでいるが、実際は聴衆は白けていた場合も多いのではないか。

「では、どのような人の話を、現場教師が聞きたがっているのか?」と聞いたところ、いくつかの点が挙げられた。「今の教育政策がよくわかっている人」「教育現場をよく理解している人」「現場教師の困っていることの解決策の示せる人」、さらに「理論的背景のしっかりしている人」などである。要求水準がかなり高い。 具体的な人の名前を挙げて聞いてみたが、私の知り合いの人は、あまり高い評価ではなかった。ただ、これは、高望みではないとかとも思う。 講演会やシンポは、活字で読むのとは違い、直接話を聞けるというメリットはあるが、そんなに卓越した人がいるわけではなく、多くを期待すること自体が間違っているように思う。 それに、大学の授業と同じように、全ての人の期待に応える内容を話すことは不可能で、一部のわかる人にわかってもらえれば、それでいいように思う。

我々大学教師は自分が学生に話すことが多く、人の話を聞く機会は少ないが、聞く側に回った場合、1つでも新しいことが聞ければそれで聞いた甲斐があったと思うのではないかと思う。
若い教育研究者などが学会で話を聞きたいなと思う人は、最新の理論の紹介者や研究方法が卓越していて、それを学びたいなと思う人であろう.