セラピー猫について

卒業生のI氏より、セラピー猫の情報をいただいた。その一部を転載させていただく。

アニマルセラピー絡みの話といえば、オスカー (セラピー猫) というのがいます。https://ja.wikipedia.org/wiki/オスカー_(セラピー猫)  オスカー ― 『天国への旅立ちを知らせる猫 』2010、デイヴィッド ドーサ  (著), 栗木 さつき (翻訳)という本も出ています。同著者の記事が 2010年東海大医学部(学士編入試験)で出題されています(一部転載)

8 Within a half hour the family starts to arrive. Chairs are brought into the room, where the relatives begin their vigil. The priest is called to deliver last rites. And still, Oscar has not budged, instead purring and gently nuzzling Mrs. K. A young grandson asks his mother, What is the cat doing here? The mother, fighting back tears, tells him, He is here to help Grandma get to heaven. Thirty minutes later, Mrs. K. takes her last earthly breath. With this, Oscar sits up, looks around, then departs the room so quietly that the grieving family barely notices. 

10 Since he was adopted by staff members as a kitten, Oscar the Cat has had an uncanny ability to predict when residents are about to die. Thus far, he has presided over the deaths of more than 25 residents on the third floor of Steere House Nursing and Rehabilitation Center in Providence, Rhode Island. His mere presence at the bedside is viewed by physicians and nursing home staff as an almost absolute indicator of impending death, allowing staff members to adequately notify families. Oscar has also provided companionship to those who would otherwise have died alone. For his work, he is highly regarded by the physicians and staff at Steere House and by the families of the residents whom he serves.

セラピー犬について

犬が人の癒しになるのはなぜだろう。癒す側の犬にとって、癒しの役割をどのように感じているのだろう。昨日(27日)の、病気の子どもを癒すセラピー犬を扱っていたNHKスペシャルを少し見て、そのようなことを考えさせられた。(子どもの病気の様子は痛た痛たしく、番組をながく見ていられなかったが)

犬が病気の子どもの癒しになるだけでなく、犬はすべての人の癒しになるのであろうし、犬だけでなく猫も、他のペットもそのような役割を果たしているのであろう。ただ、病気で苦しむ子どもに毎日向きあう犬(番組で紹介されたベイリーは、9年間で3000人以上の子ども関わったという)はどのような気持ちなのであろうか。

犬だけでなく、人の場合も、病人や介護老人と関わる仕事をする人というのは、偉いなと思う。教え子の中には特別支援の教師になりたいという若い人もいて感心する。ただ、それは同情というようなことではなく、障害や病気や高齢ということは一つの特質であり、そのような人と向かうということは、特別なことではないと感じているのかもしれない。それは一つの仕事でありながら、感謝されることも多く、やりがいを感じることであるのかもしれない。

ただ、人の辛い状況に毎日付き合うというのは、心が折れそうになることはないのであろうか。 カズオ・イシグロの小説に『私を離さないで』という心打つ名作があり、人に臓器を提供したり、その臓器を提供する人を介護する仕事に就く人の心情を描いたものがあるが、その心情を思いやると、なんとも言えない気持ちに襲われる。人生というものは(犬の一生も)、このような哀しみを抱いて生きていくものかもしれないと思った。(番組の紹介は下記。)

<NHKスペシャル(1月27日)―神奈川県立こども医療センターには、医療現場に常駐するセラピー犬、ベイリーがいる。長期入院で気分が沈みがちな子どもに寄り添い心をいやしたり、手術室に行くのを嫌がる子どもに付き添ったり。ベイリーが関わった患者は9年間で実に3000人以上。ベイリーに始まった医療現場へのセラピー犬の本格的な導入は、今、全国の医療機関へと広がりを見せている。リハビリの現場にセラピー犬が参加すると、患者の回復が早まったり、自閉症児のコミュニケーション能力が向上したりするケースがあることが注目されている。今回、番組では、重い病と決別するため、大手術を受ける少女、ゆいちゃん(10歳)とセラピー犬ベイリーが、心を通わせながら様々な苦難を乗り越えていく日々を追う。さらに、最新科学は『なぜ犬が人間の心を癒やすのか?』その理由を解き明かしつつある。人と犬の間には、種が違うにもかかわらず『互いに愛情を感じ、心を癒やし合う仕組み』が確かに存在することが分かってきたのだ。それは、人と犬が共に歩んだ3万年の“共進化”が生みだした奇跡の絆だった。犬好きの方!必見です。http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190127

「奥松島探訪の旅~日本人最初の世界一周 最後の武士~」              水沼文平

1月20日(日)、友人数人と奥松島を訪ねた。松島湾はカニの片方の第一脚が大きく 開いた形となっている。上の先端が宮戸島であり、下の先端が七ヶ浜町である。その ハサミの丸くなった内側に桂島、浦戸島、寒風沢(さぶさわ)島、朴島などの大きな 島があり、他に多くの小さい島が点在している。松島湾の最奥には瑞巌寺や円通院、 五大堂があり冬でも観光客で賑わっている。3.11でこれらの寺院を含む松島の中心部 の被害が少なかったのは松島湾に浮かぶ大小の島々が津波の緩衝帯になったからであ る。

石巻に向かう仙石線から離れ南に下ると野蒜海水浴場がある。この辺りは外洋に面し ており3.11の大津波で土地家屋が跡形もなく破壊されたところである。 狭隘な瀬戸を渡ると宮戸島である。この島には大高森という小高い山や嵯峨渓という 海に面した景勝地がある。

私たちの目的は「奥松島縄文村歴史資料館」の見学であ る。約6000年前の貝塚跡や縄文人の生活用品、装身具、さらには一家族の生活の様子 を映画で見ることができた。青森市の三内丸山遺跡と同様、東北縄文人が信条とした 「平和・平等・再生」の暮らしが良く理解できた。

宮戸島のすぐ西に寒風沢島がある。小学校低学年の頃、臨海学校でこの島に来た記憶 はあるが、思い出として残っているのは、ごはんをこぼして先生に叱られたことであ る。さてこの寒風沢島であるが、歴史的な人物や出来事で有名な島である。

ひとつは江戸時代、この島出身の津田夫(つだゆう)という船乗りが世界一周をした ことである。1793年11月、仙台藩の米を積んだ若宮丸が石巻から江戸へ向かう途中、 塩屋崎沖(いわき市)で暴風に遭い漂流、翌年の5月にアリューシャン列島に漂着し た。その後ロシア王朝の指示でユーラシア大陸を横断、1803年に首都サンクトペテル ブルグに到着、ロシアの南下政策の一環として日本に戻されることになった。大西洋 からホーン岬を回り太平洋に出て1805年に身柄を日本に引き渡された。津田夫他3名 は図らずも日本人初の世界一周を果たしたことになる。仙台藩一ノ関出身の大槻玄沢 が彼らの漂流をインタビュー、「環海異聞」として残している。なお江戸初期の支倉 常長は太平洋を渡りメキシコで陸路を大西洋に出て、スペイン・ローマに到着した。 帰路も同じ経路で、インド洋を渡っていないので残念ながら世界一周ではない。また 津田夫の前に大黒屋光太夫もロシアに漂着しているが、シベリアから戻っているので 世界一周とはならない。

もうひとつは1868年(明治元年)8月28日、開陽丸を旗艦とする榎本武揚が率いる幕 府軍艦がこの寒風沢島に入港した。榎本は会津から転戦してきた新選組の土方歳三な どと共に仙台藩との共闘を掛け合ったが埒が明かず、9月15日に仙台藩が西軍に降伏 したのをきっかけに北の新天地「北海道」に向けて出航した。この時、仙台藩の洋式 軍隊である星惇太郎が率いる「額兵隊」200名が榎本艦隊と行動を共にした。 函館の五稜郭を拠点として榎本軍は最初の内は西軍に対して善戦したが、大挙して押 し寄せる西軍に連敗し函館山麓にある市街も占領された。降伏に傾く榎本等をよそに 土方歳三は徹底抗戦を唱え、明治2年(1869年)5月11日、戊辰戦争の最後の戦場に なった箱館五稜郭防衛戦で西軍の狙撃を受けて戦死した。この時土方歳三に従った少 数の中に仙台藩士星惇太郎がいた。

暖かくなったら塩竃から船に乗って、寒風沢島に行ってみたいと思っている。旅の終 わりに塩竃の魚市場の中にある「食堂」に寄った。そこで「海鮮丼」を食べたが、極 めて美味であったことを付けくわておく。

テレビで全豪オープンの試合を観戦する

私は、テレビでスポーツを観戦することはあまりないが、今回の全豪オープンのテニスの試合は、LIVEで何回か観た。

テニスの場合、錦織圭や大坂なおみを応援して観ていると、ハラハラドキドキしてしまい、あまり楽しめない。テニスには試合の流れがあり、応援している選手が劣勢になると、選手の表情から余裕や笑顔が消え、見ている方も心が痛む。テニス観戦を楽しむというより、選手の折れかけた心や気落ちを追体験して、自分も苦しくなる。

今回の全豪オープンの二人の試合では、流れが相手側に行ってもう駄目でないかという場面がいくつかあった。そこから立ち直り、逆転する場面が何回もあり、感心すると同時に、二人の精神力のタフさ加減に脱帽した。

今日(26日)の大坂なおみの決勝戦は、大坂のサーブが素晴らしくショットも安定していたので安心して観ていられたが、第2ゲ―ムでチャンピオンシップポイントが3つもあるところから大坂がひっくり返され(第2セット落とし)、大坂の表情も一気に暗くなり動揺しているのが見て取れ、これで流れは一気に変わるな、今回勝ちは無理だなと思った。それが大坂は第3セットでは無表情ながら(いいサーブとショットを連発し)徐々に立ち直り、優勝をものにしたのは、精神的にもすごいなと感心させられた。逆境から立ち直る精神力のタフさには学ぶものが多々あるなと思った。

テレビでLIVEの試合を観るのと、後でテレビのニュースで見るのでは大分違うなということも感じた。LIVEでは、ハラハラドキドキの連続だが、それがニュースの報道では、結果から場面を選択するのか、臨場感のある場面は省略され、結果に結びつく場面だけが放映される。実際の試合はニュース報道とはかなり違うということを感じた(ただ、決勝戦は、第2セットを大坂が落とし気落ちしたところからの立ち直りについて、ニュースでも大きく取り上げられ、違和感はなかったが)。スポーツはLIVEで見ないとわからないところがあるということを知った。

教育課程論まとめ リアクション

昨日(125日)の敬愛大学の授業は、予定どおり行ったが、インフルエンザが猛威をふるっている(敬愛大学でも100名が罹っているという話を聞いた)ということだが、欠席は長期の欠席者の1名だけで、全員に近い出席であった。マスクをしている人も4分の1程度。

「体調の悪い人は遠慮せず途中退席してほしい」と言ったが、途中出て行った人は2名だけ(それもそれほど体調の悪そうでない人)。若者にとって、インフルエンザごときは軽い風邪のようなものなのか?。年少者や高齢者にとっては、命にかかわるものであるのだが。その日のリアクション掲載しておく。(上記、IMG,拡大してご覧ください。学生の授業やブログへの感想も書かれている)