季節の花

時々、家の近くのホームセンターへ庭の植木鉢に植える花(の苗)を買いに行く。昨日寄ってみたが、今の季節、たいしたものがない。今は、夏と秋の境で1年のうちでも一番花がない季節なのかもしれない。
夏は、ひまわりやポーチュラカなど夏なりに咲く花がいろいろある。また秋は菊をはじめとしていろいろな花が楽しめる。
うちの庭では、夏の朝顔が今頃になって咲きはじめた。まだ夏のように暑い日が続き、大学も夏休みなのでちょうどいいのではあるが。

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社会調査の信頼性について

現在各分野でエビデンスの重要性が言われ、社会調査の重要性が高まっているように思う。
しかし一方で、個人情報保護などで調査の実査は難しくなり、サンプリングがいい加減で、回収率も低い調査が、その結果だけが注目されるような事態も多くなっている。
渋谷の街頭で100人に聞いた結果が、あたかも日本人の今の好みの実態(エビデンス)のように報道されることも多い。これでは、社会調査の信頼性はますます低下していくことであろう。

一方、社会調査の研究者は、調査の誤差を少しでも少なくするように努力している。
その一端を社会調査の専門家で、アメリカの研究動向に詳しい小島秀夫さんが、教えてくれた。例えば、調査の回収率の違いによって、項目間の規定関係に違いが出てくるという実証研究まであるとのことである。

<単純集計結果でも、回収率が50%の場合と70%の場合では結果に差が見られるといった研究もあります。こうしたことは無回答の問題として広く研究されています。回収率などによって相関係数なども変わる可能性があると思います。その結果、結論も変わる可能性があると予想されます。>
<例えば、「あなたは幸福ですが?」と質問した結果と「あなたは不幸ですが?」と質問した結果は同じになるはずですが、実際には差があります。>
<私自身は調査結果については、真値+誤差から構成されていると考えています。この真値に近いものが信頼性が高いというものです。調査の場合は誤差がありますが、その誤差をいかに少なくするかということが問題です。アメリカなどでもtotal survey error approachなどが言われています。この方法は、調査の概念化から実施、分析,結果までに存在する誤差を低減させるというアプローチですが、実際に誤差をなくすことが不可能です。そこで重要なのはいかにそれらの誤差を制御しているのかということです。調査関係の研究はアメリカの研究の影響をかなり受けています。>

幼児教育格差について

私たちの学会発表のテーマは「高校間格」の問題だったが、「幼児教育格差」という言葉あることを今日(5日)の朝日新聞で知った。

一昨日学会の会員控室で雑談を交わした小針誠氏(青山学院大学准教授)が、教育社会学の研究者らしい視点で、幼児教育格差に関して鋭いことを言っているので感心した。
 
 <経済的に厳しい家庭の子どもや障がいのある子どもには、きちんとケアできる環境を整えてほしい。そうすれば幼児教育は社会の格差を縮小する効果を生むのです。これを実現するには、諸外国に比べて大幅に低い教育への公費支出を増やす必要があります。>
<国は3歳以上の幼児教育の無償化を打ち出しましたが、理解に苦しみます。その年代の就園率は9割を超えます。無償化を進めれば高い保育料を支払ってきた比較的裕福な家庭への恩恵が大きく、浮いた金を習い事に使えば、教育格差の拡大につながりかねません。
 一方で、園の環境改善は手つかずです。日本の配置基準は幼稚園の5歳児クラスで35人以下、保育園で30人以下ですが、欧米ではその半数程度の国が多い。1人あたりの面積も日本は最低水準です。無償化より環境を整え、保育士らの待遇を改善する方が、多くの子どもの利益につながります。>(朝日新聞 9月5日朝刊より転載)

ただ幼児教育を無償にすればいいという安易な考えや、幼児に一律に育ってほしい目標を立て努力させればいいという無知な考えに、現実の子どもや社会の仕組みから警告する教育社会学研究者らしい視点を感じた。

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日本教育社会学会70回大会での発表、無事終わる

京都の佛教大学で開かれた日本教育社会学会70回大会が9月3日だけの開催で2日目のプログラムが台風接近の為取りやめになった。
2日目に発表を予定していた人、参加の人、大会校にとって無念のことであろう。

私たちの発表(*参照)は1日目午前だった為、発表ができ、思ったより多くの人に聞いていただきありがたかった。厳しい質問やコメントを覚悟して発表に臨んだが、それもなく、ほっとした。
全体に学会の質疑が穏やかになっていると感じた。昔は発表に厳しい質問や皮肉なコメントがたくさんあり、発表を終えた後その傷を癒すのに時間がかかったものある。
学会参加は、初日は3〜4百人くらいだと思うが、高齢者は少なく、私は年齢の上から数えて3番目くらいかもしれないと思った。

最近まで見かけた天野先生、潮木先生,有本先生、竹内(洋)先生の姿が見えず、先輩の牧野さん、大淀さん同期の住田さんの姿は見たが、同期の久富さん、藤田さんの姿はなかった。
それでも、昔からの知り合いや上智の教え子や学会の中心で活躍している研究者の姿を見て、懐かしく、いろいろ刺激になり、学会はいいものだと思った。

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* 発表の発表要旨と当日のパワーポイントは、下記。
武内・浜島・黄(発表要旨)提出

pp2018‹教育社会学会発表
(PPの12枚目の 「とても大事」は「とても大事」+「やや大事」の間違い)

「戊辰戦争 母の怒り」 水沼文平

 東北は「明治維新」ではなく「戊辰戦争」150年の記念行事が各所で行われていま
す。私の母の生地である「旗巻古戦場戊辰の役 百五十年祭」に参加しました。
以下、戦争一般に関する私論です。(水沼文平)

9月2日、「旗巻古戦場戊辰の役 百五十年祭」に参加した。旗巻とは宮城県と福島県
との県境にある峠である。明治戊辰戦死者供養碑の前で神主が祝詞をあげ、町長など
のお歴々が玉串を捧げた。その後、場所を移して記念講演がり、地元の伝統芸能であ
る「青葉田植え踊り」が披露された。

旗巻峠のある青葉地区は伊具郡丸森町大内に属する。慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いで
勝利した薩長軍は4月江戸城を接収、5月彰義隊を壊滅させ、同年6月に白河を越え、
奥羽になだれ込んできた。奥羽越列藩同盟により仙台藩は各地に藩士を派遣したが負
け戦が続き、8月に仙台藩と相馬藩の境にある旗巻峠で西軍との戦いとなった。仙台
藩は2000名を配置し迎え撃ったが、兵器の差が歴然としており、善戦虚しく一日で敗
退した。その後、西軍は旗巻峠の北にある大内を占領した。

私はこれ以上戊辰戦争の経過を書くつもりはない。実は私の母は丸森町大内で明治40
年に生まれている。4,5才の私に何度か語ったことは、母の祖父の弟がこの旗巻峠の
戦いで死んだということである。母の生家は農家なので軍事物資の運搬か雑用で使役
されて流れ玉にでも当たって死んだのかもしれない。母は話の最後にいつも「さっ
ちょうめ、さっちょうめ」と言った。当時の私が「さっちょう」なんか知る由もな
く、話の最後に言った言葉と恐ろしい母の顔が強く脳裏に刻み込まれている。

戦いは兵士だけで戦われるのではなく、多くの農民などが駆り出され、また食物、薪
などの供出を強いられる。「旗巻古戦場」という唄の三番が石碑として残されてい
る。

「三 秋吹く風は変わらねど 昔を語る戦士塚 恩讐今や共になく 墓前に香る野の
花よ ああ旗巻の古戦場」。この碑を見た時、私は「薩長め!」と憎々しげに言った
母を思い出した。果たして「恩讐今や共になく」なのであろうか。これは今でも続い
ている西高東低の政治・経済状況における東北人の権力に対する「阿ねり」の結果で
はなかろうか。また会津若松の神社に「恩は石に刻み、恨みは水に流せ」という石碑
がある。これも為政者レベルの取引か妥協の産物のような感じがする。

「西軍は旗巻峠の北にある大内を占領した」と前記したが、その時西軍によって何が
行われたかは不明である。会津若松市内での西軍の暴虐行為のような略奪、暴行がな
かったとは言えない。明治40年生まれの母に彼女の祖父を含め当時のことを語った多
くの人がいたことは想像に難くない。「薩長め!」という母の罵りの背景に幼い私に
は言えなかった事実が隠されていたような気がする。

戦争とは兵士だけの戦いではない。多くの農民など一般人が動員され、女や子供が惨
い目に遭うのが戦争である。戊辰戦争における仙台藩の大義名分は「勤皇の会津を助
け、私軍である薩長を討つ」というものであった。現在、東北ではそのレベルでの議
論が沸騰しているが、私は戦いに巻き添えを喰った庶民の視点での研究をもっと深め
て欲しいと思っている。そして「さっちょうめ!」という歴史認識を持つ東北人が増
えることに期待したい。