明日(9月27日)から後期の授業がはじまる。授業は何年経っても最初は緊張する。
学生諸君は、なぜこの授業を受講したのであろうかと思う。
「必修だから仕方がなく」、「選択だが他の授業に取るものがなかったから」、「楽そうだから」など理由はいろいろであろう。
でも、高い授業料を払い、毎回90分の授業を15回も出席する以上、「何か役にたつもの」を得たいと学生達も考えているのでないだろうか。
教職関係の授業の場合、「役にたつ」の第1は、教員採用試験に役立つであろう。
ただ、その「教員採用試験に役立つ」もそう単純ではなく、「教職教養の試験で高得点が取れる」だけでなく、面種試験や模擬授業で高得点を取ることも含まれる。後者は、試験官にいい印象を与えるということであり、そこでは深い教養や人間性も試される。
深い教養や人間性の教育・育成は、まさに大学教育の目的の一つであり、大学教員が目指しているものである。
私も3年前の原稿に、下記のように書いたことがある。
「学生が卒業して出て行く社会は、決して受身で内向的な若者にやさしい社会ではない。若年層の非正規雇用が多いことが示すように、従順な若者を不当に扱い、使い捨てる社会である。学生は、学生生活全般から学び、将来のキャリアを生き抜く力を付ける必要がある。専門知識の習得と同時に幅広い教養や汎用的技能(コミニケーションスキル、数量的スキル、情報リテラシー、論理的思考力、問題解決力)の習得が必要である。また、同世代だけでなく異世代の人や異文化の人との交流、様々な体験の積み重ねる必要がある。」(日経新聞 2015年5月11日)
この幅広い教養や汎用的技術というのは抽象的でわかりにくい言葉であるが、それをもう少しわかりやすく具体的に、また格調高い文章で書かれたものを目にした。
それは現在、上智大学学長の暉道佳明氏の「創造力高める学部教育―学び続ける基盤 大学に」(日経新聞2018年9月24日朝刊)である。
氏は、「大学で豊かな学びを問うときに重要なのは、『教養』『専門』『経験』の有機的結合である」としている。そして、「教養とは、価値を創造する力、デザインする力、また自分や社会を展望する力、ときにはイノベーションを起こす力に成り得る智の源泉であり、そしてそれは国際通用性を有しているべきであろう」と書いている。
今の大学で求められる教養、語学、経験、実践、専門の関係を、わかりやすい図で示している(添付参照)
さあ、知(智)を掘り起こし、自分や社会を展望し、価値を創造する「教職教養」の授業を、展開しよう。
追記 卒業生より下記のようなメールをもらった。
初講日はいかがでしたか?御無理をなさらずに。
新進気鋭の若手研究者の紹介記事をたまたま見つけたら、武蔵大の教員でした。
http://todai-umeet.com/article/35973/