『IDE・現代の高等教育』No600 平成の大学改革再考(2018年5月号)を読んだ。印象に残った記述を書き留めておこう
「この発表(国立大学の法人化)は、全学長には大きな衝撃を与えたに違いない。長く学術行政にかかわり、また高等教育局長として常に大学人の思考に沿う形での政策実現に努めてきた者として、心傷む瞬間であった。ただ、内閣の一員としては民営化を避けるためとの説明はできず、いずれ分かることを祈るような気分であった」(遠山敦子)
「国立大学は2004年に法人化された。その結果、各大学の学長を中心とした管理運営体制の強化には目を見張るものがある。多くの成果がある一方、運営費交付金の減額は目を覆う惨状である。11年間に11%に及ぶ減少である」(有馬朗人)
「文科省の官僚は大変だ。日本の教育と科学を一生懸命に考え、政策を立てても、財布は、力のある「姑」(財務省)に握られている。加えて、経産省、内閣府という「小姑」が口出してくる。「小姑」たちは、口をそろえて,応用が大事だ、出口が見えないなどと言ってくる。姑も子姑も、そろって、競争原理主義者であり、経済第1主義者なのだ。」(黒木登志夫)
「大学審議会の後身である今の大学分科会には、もはやユニバーシティ・カウンシルの残像を見ることはできない」(天野郁夫)
以上を読むと、大学改革は、文科省 対 大学(人)という対決というよりは、政府・財務省・経産省・内閣府 対 文科省・大学(人)という対決のように感じる。前川前文部事務次官が主張していたのもこの構図のように思う。実際は、どうなのであろうか。