最近の女子学生の名前にについて

昨日(4月13日)、敬愛大学1年生の授業(教育原論)が初回だったので、後半学生に自己紹介をしてもらった。
そこで一つ気が付いたのが、それぞれ男の子も女の子も素敵な名前の持ち主であるということ。男の子の名前も皆しゃれている。女の子の名前も素敵な名前ばかりである。親の愛情の強さを感じた。
そこで、女の子の名前に、子が付く人が21名中ゼロであることにも驚いた。

以前に、女の子の名前に子が含まれているかどうかと出身の社会階層や学業成績との関係を調べた研究があったが、今はそのような研究自体が成り立たなくなっている。

ネットで、女の子の名前の多い上位10位から、子の付く割合をみると、1945年から次のような推移が見られる。

1945年(100%)→1955年(100%)→1965年(60%)→1975年(60%)→1985年(10%、10位に裕子)→1995年(0%)→2000年(0%)→2005年(0%)→2015年(0%)である

私の世代(1945年)の女の子の名前の上位10位にはすべて子が入っていた。(1945年の上位5位は順に、和子、幸子、節子、弘子、美智子)。
それから50年経って1995年には子の入った女の子の割合はゼロになっている(ただし、これは上位10位までの名前についてみたもので、日本人の女の子の全部の名前をカウントすると、子の含まれた名前はまだあることであろう)。
今の大学1年生は、2000年生まれ(くらい)なので、子の付いた女子学生はいないのは、上の傾向と一致している。

ツツジ・サツキの季節

桜が終わると、次はバラの季節。
ただその間に、ツツジ・サツキの季節がある。
ツツジとサツキの違いがいつもわからない。サツキはツツジの一種という説もある。ツツジの方が大きく、サツキは小さいとしか区別がつかない(http://richlife100.com/4001.html)

うちの庭で、ツツジ・サツキが咲き、初夏の訪れを告げている。
どこか、ツツジ・サツキの群生を見に行きたい。

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1日後

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春の海―御宿海岸

 春は風の強い日も多い。
 今日(11日)の千葉外房の御宿海岸の天気は曇りで時々薄日もさしていたが、風が強く、広い砂浜に、人っ子一人いなかった。海でサーフィンをやっている人も皆無。
 砂な埃(ぼこり)が舞い上がり、まるで砂漠(沙漠)のよう。

 人を見かけないのは、地方の人口の減少現象ということもある。外房線は1時間1本という少なさで、私も途中の茂原駅前の喫茶店で、次の電車が来るまで、1時間ほどコーヒーを飲みながら時間をつぶし次の電車を待った。お蔭で読書はすすんだ。

 私たちの世代には、大学に入った時必ず読む必読書があった。
 それは、柴田翔『されどわれらが日々』(文藝春秋、1964)である(私の手元にある本は1971年の72刷である)。これは大学生の恋愛や学生運動を扱っていて、私も当時読んで衝撃を受けた。
 今の大学生が読んだらどのような感想をもつのであろうか。(敬愛大学『君にすすめる1冊の本』第13集、2018年を読みながら、そんなことを考えた)。

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春の稲毛の浜

春の天気はめまぐるしく変わる。温度や風の強弱も日により違う。
今日(8日)は、晴れて暖かく、風もなく、絶好の散歩日和。
犬(ソフィー)を連れて、稲毛の浜へ。
ここは、ウインドサーフィン初心者の練習場になっている様子。おぼつかない(?)立ち位置で、ウインドサーフィンに乗っている人たちをのんびりと眺める。

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教育の格差について

教育格差についいての朝日新聞とベネッセ共同調査の結果は、4月5日の朝日新聞に大きく掲載されていた。
これは、全国の公立小学校2、5年生、中学2年生の保護者を対象に、2004,08,13,18年に継続して実施されたものです。
子ども達へ教育には、親の経済状況による差があることに、「当然だ」9.7%.「やむをえない」52.6%で、格差を容認する保護者は62.3%とのこと。「問題だ」は34,3%で、08年調査より19.0ポイント減少。
「学校満足度は年追うにつれて上昇 大都市で顕著」「教育政策 英語教育、(情報教育) 高い支持」「部活動 日数削減に賛成は3割を切る(少数)」「(学校教育)充実に増税仕方がない 5割超」などの結果が報告されている。

全体に、日本の親(保護者)が、今の(公立)学校教育に満足して様子がうかがわれる。
部活動に関しても、先生は大変かもしれないが、今まで通り面倒を見てほしいと思っている。
教育の格差に関しては、格差をなくす方向で税が使われること(貧困層に手厚い援助)に賛成が半数を超えていて、教育の平等化観に関しても、あまり問題ないように思われる。

ただ、教育格差容認は、高学歴、経済的ゆとりのある層、都市部ほど高いことがデータで示され、そのことに社会の分断 許してよいか」(耳塚寛明)、「格差 知らぬ間に広がる恐れ」(山田哲也)、と教育社会学者が警告している。

これまで教育問題では学歴偏重ばかり問題視され、その背後にある社会階層の問題は等閑視されてきたわけであるが、教育社会学の研究者の指摘より、社会階層に目が行くようになり、教育の階差再生産が問題視されるようになったのは、大きな前進だと思う。
これの改善は、教育機会の平等というタテマエのかけ声だけでなく、実際の教育の仕組みや実践や教師や親の意識の問題から、考え改善していく必要があるだろう。
(教育格差の問題は、私も授業で扱うようにしていて、2016年11月16日のブログでも
使う資料を提示し、紹介している)

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