東京や他の地域に比べると降雪量は少なかったようだが、千葉でも雪は22日の夕方から降りはじめ朝には20センチほど積もる。
犬や小さい子どもは、珍しい雪に大喜び。
家の前の通学路の雪かきをするがあまり子どもが通らない。休校にはなっていないようだが、インフルエンザが流行して学級閉鎖になっているクラスが多い様子。それに、通る子どもも雪をかいたところより雪のあるところを嬉しそうに歩いている。
月: 2018年1月
一生に一度のこと
ある人と話していて、「自分の時の卒業式は学生運動のために中止になった」という話をしたら、「中止になってどのような気持ちでしたとか」と聞かれびっくりした。その質問のニアンスは、一生に一度の卒業式なのにそれが中止になって、さぞがっかりしたことでしょう、というものであった。
「一生に一度」という言葉は、時々聞く。一生に一度の「成人式(の晴れ着)」「卒業式」「結婚式」など。
「一生に一度」という言葉が自分はピンとこない。卒業式にしろ、成人式にしろ結婚式にしろ、その人にとっては一生に一度の貴重な行事かもしれないが、他の多くの人にとっては日常のありふれた出来事であり、自分の思い(都合)を他の人に押し付けるのはどうかと思う。
また、そのような行事を貴重な思い出として生きるということは、現在や未来に向かわずに、過去の思い出を大切に生きるということであり、あまり前向きでない。
ただ、通過儀礼(rite of passage)(=出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。人生儀礼、イニシエーション)の意義を否定するつもりはない。
それよりも「一期一会」ということは大切にしたいと思う。一期一会とは、「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に(したい)」(*)という思いである。
日常のどのような出会いも出来事も、一生に一度しか起こらないかけがえのないものである。そのように現在のことを大切にしたい。
* 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる。(https://ja.wikipedia.org/wiki/一期一会)
大学の教育の質を何で計るのか
朝日新聞の1月17日朝刊「私立大学が探る未来像」で、金子元久氏の「中小大学の努力、もっと評価を」という趣旨の次のようなコメントが載っている。
<今回の調査(ひらく 日本の大学」)は、ST比が低い、中小規模の地方大学が積極的に、教育面の改善に取り組んでいることを明らかにした。地方の中小大学の多くは定員を満たすことに苦しんでいるが、そんな大学こそ元気を出してほしい。ST比が低く、少人数だからこそできる取り組みを一生懸命やることは、学生にとっても、社会にとっても大切だ。中小大学の地道な努力を社会はもっと評価すべきではないか。>
ST値とは、学生数/教員数(専任)で,国公立や私立でも小規模大学で小さく、きめ細かい教育や学生に対する指導がなされている指標とされる。
このST値があまり注目されず、それが学生の選抜(入学)と結びつていないのが、日本の大学の問題と金子氏は指摘する。
確かに、朝日新聞の「大学サーチくん」*で調べると、ST値が低い大学が偏差値の高くなるわけではない(たとえば文学部系ST値は、偏差値の高い順に上智大学37.3 同志社大学43.9、、敬愛大学23.5)。敬愛大学のようなST値の低い小規模の地方大学の教員の努力を評価してほしいものである。
ただこのST値は教員数を専任教員の数でカウントしているのに多少の問題を感じる。
実際の日本の大学の授業は非常勤講師が担当する割合がかなり高い。非常勤講師の授業が専任教員の授業より熱心さや質で劣るわけではない。かえって「よそだから自分の大学の授業以上に熱心にやろう」と思う教員や若く熱心な非常勤講師も多くいるはずである。
したがって、学生と教員の数から教育の質を測るのなら、各授業の学生数の平均ないし、小規模授業やマンモス授業の比率を出し、それを指標にすべきではないのかと思う。
(*朝日新聞デジタルでは、受験生や高校関係者が関心のある大学について調べられる検索サービス「大学サーチくん」のデータを更新しました。各大学の学部ごとのST比や初年度納入金などのほか、今回からは奨学金や授業料減免制度など経済的支援と、その大学ならではの特徴的な教育の取り組みも見られるようになりました。教育ページのアイコンをクリックすると、検索画面が開きます。URL(http://www.asahi.com/edu/hiraku/search/)を入力しても同じページが見られます。「ひらく 日本の大学」のページ(http://www.asahi.com/edu/hiraku/)では、ST比と「きめ細かい教育」の詳報のほか、各大学が重視している役割などについての調査結果もご覧いただけます。)
敬愛大学「教育課程論」(教育こども学科1年生)講義メモ
授業の方は、今日(1月19日)も含めて2回あります。試験は2月2日4時30分から持ち込み可で行います。来週にこれまでのリアクションを全部お返しします。
この授業は「教育課程論」ということで、最初の方に、教育課程の中核の部分を取り上げました。後半は教育課程の周辺を取り上げ、教育について幅広く考えてもらいました。そのどちらも、皆さんが将来小学校の教員になるために必要なことだと思います。
教員採用試験に合格する為に、大きく2つが必要です。ひとつは、筆記の教職教養や各教科の試験が出来ることです。もう一つは幅広い人間性や行動力を身に付けることが必要です。小学校の教員は、全教科を教え、子どもと全面的に関わるので、上記の2つが求められます。
今日(1月19日)は、最初に教育のことを広い見地から考えてもらいます。次に、教職教養の試験を少しやってもらいます。
最初に前回実演を見ていただいたデジタル教科書について、少し前回のリアクションを見ながら考えて下さい。実演をして下さった東京書籍の方が皆さんのリアクションを読んで、感心していました。教員や3、4年生に話すことはしてきたけれど、1年生に話すのははじめてでこれだけしっかり理解してくれたのには驚いたと言っていました。
これから皆さんが教師になった時は、確実に教科書のデジタル化は進んでいると思います。それに振りまわされずきちんとデジタル教科書を使っていただければと思います。教師用の電子黒板はなかなかいいと思いますが、紙の教科書をなくして児童・生徒用のタブレットに全部してしまうというのは問題があると私は思います。デジタル教科書の場合は教師の力量、費用、故障の場合、子どもの健康など、多くの問題も抱えています。
次ぎにこれは、教育課程のこととは少し離れますが、私のHP(ブログ)の記事を、今年の挨拶がわりに見て下さい。何か質問や意見はありますか。なかなかいいことを書いていると自分では思っているのですが、誰からも反応がないので、めげる時があります(コメント欄は、よくみるとあります)。「状況に甘んじず飛躍する」とか、「日本人の自我構造」とか、「部屋の広さ」とか、「雑魚取り」のこととかについて書いています。
次に、それから最近書いた原稿を2つほどプリントしておきました。
1つは、受験のことで、高度成長期ことを取り上げて書いていますが、最後に今のことも書いています。皆さんが将来教える小学生が中学受験をしたいと行った時、どのように対処するかを考えることに役立つと思います(「過熱化する進学熱」『児童心理』2017.12月臨時増刊)。
2 もう一つは、青年論、若者論について、本の紹介を書いたもので、今の若者は昔に比べダメになっている、これでは日本の将来は危ないという若者論が、よく横行するのですが、そのような見方をするのではなく、少し社会学的に考えてみましょうというものです。その優れた例が小谷敏『若者論を読む』という本で、見方として言説研究という方法をとっていると社会学的なことも指摘しています。皆さんが教える児童・生徒を理解するうえでヒントになることがあると思います。また今の皆さんの青年期というものを少し考えていただければと思いました。(「若者論を読む」『児童心理』2018年2月臨時増刊)
最期に、教員採用試験の過去の教職教養に問題を少しやってもらいたいと思います。実際は30問で50分で行われるのでが、10問を15分〜20分くらいでやってもらいましょう。どのような問題が出るのか知っておいていただきたいということと、今の時点で何パーセントくらいできるか確かめてください。
追記
実際この通りの授業を行ったのだが、乗りはイマイチ。準備のし過ぎで(?)、アドリブがなかったせいかもしれない。
教育社会学と教職
教職の授業で、教育に関する抽象的な話ばかりでは教員を目指す学士に申し訳ないと思い、私でも実践的な本やパンフレットを読んで、学生に紹介することはある。
それはあまり教育社会学的なものとはいえず、私が紹介する意味があるのかと思わないでもないが、教職に就くのに役立ちそうだだし、また現場での実践にも役立ちそうなので、少しは取り上げてもいいのかもしれないと思う。(今度、授業で配布する資料を、添付する)
教職科目の中で教育社会学は軽視され、教育社会学は危機にある、という話を聞く。「教職大学院教育においてこそ教育社会学が蓄積してきたものが活かされなくてはならない。それを具体的に示すことが私たちの仕事」と、後輩の教育社会学の研究者が年賀状に書いてきたが、学部教育の教職の授業で、教育社会学はどのように役立っているのであろうか。