皆既月食に思う

5歳の子に、「月食ってどうして起こるの?」と聞かれ、その理由*を説明できない自分を恥じる。

*太陽・地球・月の順番に並んだ時に起きる。太陽光に照らされた地球の反対側の影のところを月が通過すると地球の影に月が隠される。地球からは月が欠けるように見える。

これって、いつ習ったのだろう? 常識なのか?

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外国籍の子ども(ニューカマ―)への日本語指導について

千葉市の埋め立て地の団地群の中にある高浜、高洲の小学校、中学校には、外国籍の子ども(ニューカマー)が、多く通っている。多い小学校では、外国籍の児童が在籍児童の4割を超える。
本日見学した高洲小学校では⒑数パーセントが外国籍の児童とのこと。ここでは、ミャンマーの難民の子どもが多いという。在籍しているミャンマーの子は、日本語はよく話せるが、日本語を読んだり書いたりするのは苦手とのこと。それはミャンマーに文字を書く文化があまりないせいもある。
外国籍の子どもは、それぞれ出身の国の文化を背負い、また将来どこに住もうとしているかでも、日本語に対する構えが違い、指導を難しくしている。
日本もこれから日本語を書く文化から、デジタル化や英語の導入によって、違う文化に変化する可能性もあり、日本語指導がますます難しくなっている。
これらの子どもへの教育は、国際理解教育一貫で行えばいいのか、特別支援の教育の一貫なのか、議論のあるところのようである。

今日参加した「第3回千葉市日本語指導担当者連絡協議会」では、長年外国籍の児童への日本語指導に携わってきた元吉ひとみ先生の、「効果的な日本語指導の進め方」の講義もあり、外国籍の子どもたちに日本語を興味をもって学ばせる授業の工夫がさまざまあることを知った。(下記の添付参照)

千葉市の小・中学校では、外国籍の児童・生徒への支援が、担当教員の地道な努力によって担われていることを感じた。もう少し周囲の理解と支援と行政の援助が必要だと感じた。

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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む

自分としては教師という商売柄、かなりの本を読んでいるつもりでも、実際は読んでいる本はごく少数、それも有名な本すら読んでいないことを知り、愕然とすることがある。
3年ほど前に学生が薦める重松清の小説を1冊読んで、なかなか面白くその後10冊以上は購入し読みふけったことがある。それまで重松清という作家の名前すら知らなかった(2015年2月14日、ブログ参照)。
今回ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の本も、恥ずかしいながらこれまで1冊も読んだことがなく、名前すら知らなかった。
ノーベル賞の受賞を機に1冊くらいは読んでみようと、文庫本で「わたしを離さないで」を購入し、読み始めたが、読み慣れない翻訳本ということもあり、なかなか読み終わらず、1か月くらいかけてようやく昨日読み終わった。
最初の方は、何やら寄宿舎での生徒同士の人間関係や教師との些細なやり取りに明け暮れている内容と思い、かなり退屈と感じていたが、最後に来てすごい秘密が明かされ、こんな重いまた現代的な問題を扱っていたのかと、心にずしんと響いた。また描かれた中の会話の緊迫感はすごい(漱石の「明暗」以上)と今は感じている。

ネットで、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を検索すると、含蓄のある解説があった。
これから、この本も読み直し、その映画やテレビドラマも見て、またイシグロの他の小説も読んでみようと思っている。(「あなたは全く鈍く、肝心なことに気付くことが遅いのだから」という家人の声が聞こえてきそう)

 ネットの解説を、一部転載。https://pdmagazine.jp/works/never-let-me-go/

<【カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞!】『わたしを離さないで』
『わたしを離さないで』は2005年に出版された長編第6作。翻訳者である柴田元幸氏は、「著者のどの作品をも超えた鬼気迫る凄みをこの小説は獲得している。現時点での、イシグロの最高傑作だと思う」と日本語版(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)の「解説」のなかで語っています。
『わたしを離さないで』の舞台は1990年代末のイギリスです。物語はキャシーという女性が、幼少時代からの過去を回想する一人語りで進んでいきますが、読者はかなり早い段階から、キャシーが語っているのはどんな世界の話なのかに疑問を持ち、それが解消されないまま読み進めていくことになります。
このヘールシャムという場所は、どういった子供たちが集められており、育った子供たちはここを出た後どうなるのか、といったことについては、キャシーはなかなか説明しようとしてくれません。
私たち読者は、キャシーの語りの断片を手探りで拾い集めながら、その深奥にある真実や、物語世界を支えている恐ろしい前提について推測を重ねることになります。このキャシーの語り方で先の展開への興味をそそられ、ページを繰る手が止まらなくなるところが『わたしを離さないで』の第1の面白さです。
そして真実がどんどん明らかになっていく段階では、それが抑制のきいた語り口で明かされるために、かえって読者の驚きは大きなものになります。そしてその驚きを体験することが、この小説をはじめて読むときの醍醐味の一部といえるでしょう。
しかし、真実を知ってもう一度読み返したときでも、キャシーがただ自分の思い出を自分の視点で語っているというだけではなく、そこには様々な、文章の表面には表れてこない葛藤があった可能性も想像されるようになっていきます。そうやって読み返すたびに、キャシーが語っている内容そのものに加え、彼女の語り方の意味や、彼女自身にとってのその効果について、様々な読み方が可能になるのが、この小説を手に取る楽しみのひとつだと思います。>

映画
https://pdmagazine.jp/works/never-let-me-go/

これからの英語教育について

 鳥飼玖美子先生(立教大学名誉教授)より、最新のご著書『英語教育の危機』(ちくま新書(2019年1月)をお送りいただいた。
ご著書の中では、新学習指導要領の内容が批判的に検討され、「英語の授業で日本語の使用禁止」「センター試験廃止で入試が民間試験に」、小学校英語の教員の力量などの問題が、過去の英語教育をめぐる論争や言語学や異文化コミュニケーションなどの理論から、詳細に論じられている。
内容がとても重厚で、読み応えがあり、いろいろなことを考えさせられた。
英語や英語教育に関する論争の背後には、このようなさまざまな理論や考え方の相違があることをはじめて知った。
とりわけ授業を英語でやることのことの是非や、大学入試の外部試験の是非、同時通訳、イマ―ジョン教育、異文化コミュニケーションのことをいろいろ考えさせられた。
 英語をどのように子どもたちに教えるかは、とてもいろいろなことを考量しなければならない問題で、日本人の英語コンプレックスや体験からだけ考えることの危険性を感じた。

敬愛大学 教育課程論 講義メモ まとめと補足

今日(1月26日)は、この教育課程論の最後の授業なので、まとめと補足を行います。次のような5つのことを話します。
最初に、これまでのリアクションをお返しします。この授業では、最初から最後まで、各回とも講義内容に即した質問の答えを皆さんが書くという形(リアクションの記入)で進めてきました。これがよかったかどうかわからないのですが、私の話を自由に聞くというよりは、私が発する質問のような観点で話しを聞いてくださいと指示するもので、焦点は絞りやすかったと思いますが、私に誘導されているようで自由度が少なかったかもしれません。
前回の講義のリアクションに関しても、代表的な例をプリントで示しました。前回の講義の内容を思い出し、自分のリアクションと比べ、理解の足りなかった点を補ってください。
次にこれまでのリアクションを見ながら、この半年間で学んだことを振り返って下さい。とりわけ、1回から3回までが、教育課程の中核の部分を扱っています。つまり
第1回(9月29日) 教育課程の定義、
第2回(10月6日) 学習指導要領の変遷、
第3回(10月13日)現代求められる能力―生きる力、キーコンピテンシー、21世紀型能力。
それ以外は、教育課程関連ということで、いろいろなことを取り上げました。
 時代の変化と教育(10月27日)、社会格差と教育(11月10日)、青年期の社会学(11月17日),ジェンダーと教育(11月21日)、多文化教育 (12月1日、8日、15日)、デジタル教科書(12月22日)、教員採用試験他(1月19日)です。
第3に補足で、3つのことを説明したいと思います。
1つは、教育課程の歴史的変遷の補足です。学習指導要領の歴史的変遷に関しては、第2回の時に説明していますが、もう少し広い教育についての考え方の歴史的変遷です。大きく2つの流れがあり、一つは生活との結びつきを考えた教育内容、もう一つは科学との結びつきを考えた教育内容です。前者は、生活綴り方運動が一つの典型で、もう一つは仮説実験授業というものが、配布した資料では例に挙がっています。「山びこ学校」(無着成恭)や水に木片を浮かべた時の重さの変化に関する実験授業の例などが説明されています。
現在は文部科学省の定めた学習指導要領に従えばいいという風潮になっていますが、かっては教師はいろいろ工夫して、地域や子どもの特性に根ざしたものや、科学的な実験(仮説―実験―理論化)を行い、教育課程が編成されていたという歴史があり、それらは今も大事だということを理解していただきたいと思います。
補足の2つ目は、東京都の教育委委員会が、これから教職をめざす学生用につくっているパンフレットがあり、その中から重要なところだけ、抜粋しましたので見てください。「学校の一日」「教科指導」「大学生活の送り方(そこで身に付けるべきもの)」「教員採用試験」のことが、丁寧に説明されています。小学校の教育現場やそこで教師に要求される資質や能力、その為に大学生活をどのように送ればいいかということまで書かれています。教育委員会が学生生活の送り方と獲得すべき能力(課題解決能力、コミュニケーション能力、統率力、組織貢献力)まで言及するのは少しおせっかいという気もしますが、参考にはなるでしょう。
補足の3つ目は、教育方法について書かれたもので、長年の教師の経験から生み出されたものです。教室での「4分6の構え」とか教室での「立つべき位置」とか「机間巡視のコース」とか具体的な方法が書かれています。教育方法は教育内容とも密接に結びついています。(資料:大西忠治『授業つくりの上達法』)。
教育というのは、教育実践と結びついているので、理論的にすっきりとせず、学問としてもあまり発達していなくて、素人でもわかりできると思われ、学問の社会的地位は低いのですが、実は教育は大変複雑で、教育学は奥深いものだということを理解し、皆さんはそのような分野を学んでいることに誇りをもってほしいと思います。

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