高校、大学(学部)時代の経験の影響

「三つ子の魂百まで」という諺がある。幼い頃の経験や学習で培われたものが一生続くという意味であろう。
幼児期のことよくわからないが、青年期の経験や学習もその後の人生に影響を与えていると思う。特に、高校時代と大学(学部)時代の影響は大きい。
青少年期の3年間過ごした高校の影響は、その人の性格や感受性に表れている。それぞれの高校には歴史や伝統があり、生徒や教師たちが醸し出す風土やチャーター(レッテル)は独自のものがあり、それが思春期の鋭敏な高校生に、知らず知らずに影響を与えている。
 公立高校の出身者と私立高校の出身者では、人の性格や考え方がかなり違う。また同じ都立高でも日比谷と小石川と両国では、校風がかなり違う。都内の私立高校でも、麻布と開成と武蔵では、卒業生の雰囲気が違うなと感じることがある。

 さらに、大学生の時期もまだ成長途中で感受性も敏感な時なので、どの大学で大学生活4年間を送ったのかということも、人の性格や考え方に影響を与えている。
今、大学教育の中身は、どこの大学に行こうと変わらなくなっているかもしれないが、それぞれの大学の持つ雰囲気やチャーター(レッテル)は、各大学でかなり違っている。集まってくる学生の特質も、各大学で違う。特に、特色のある銘柄大学の影響は大きいように思う。
 今、出身大学とは違った大学の大学院に進学する院生も増えているが、大学院生の人格はかなり固まっているのか、その影響力は弱いように感じる。
 日本の企業に就職するのであれば、学部は外国に行っては駄目で、学部は日本の大学で受け、大学院の時に外国に行った方がいい、と言う高等研究者もいる。学部時代を外国で過ごすと、日本独特の場の空気が読めなくなり、日本の企業や社会に適応が難しくなってしまう場合がある。
 逆に、外国の大学を出た方が、日本の旧い因習を打ち破る行動に出る心性が養われ、多くの人が気が付かない日本の悪しき慣習を打ち破ることができるかもしれない。最近のそのよき例が、伊藤詩織『ブラックボックス』(文芸春秋、2,017年10月)かもしれない。

  大学教員の場合は、同じ大学に勤めていても、出身の大学(学部)が勤め先の大学かどうかで、愛校心も違い、学生への接し方も違ってくるように思う。
 私は、上智大学に20年勤め、上智のゼミの学部生や卒業生の集まりに参加した時、学生や卒業生は私を自分の出た大学の教師としてみてくれていることを感じるが、ここにいる唯一私だけが、少し違う者と感じたことがある。出身大学の心理的同一性や絆は強いと感じた。
 大学教師より大学職員の方がその大学の出身者は多く、その大学に愛校心をもち、その大学の為に働き、学生にも親身に接しているという傾向もみられると思う。

(以上は、出身の高校や大学の影響を少し誇張して述べ過ぎたかもしれない。実際は、出身高校や出身大学といった過去の属性よりは、これから何が出来るか何をしようとしているのかという未来での達成能力や達成意欲の方が大切で、人の価値も過去より未来で判断されるべきであることは言うまでもない。ただ、人は過去を引きずる傾向のあることは確かで、そのことを指摘したかった。)