Pay it forward(恩送り)

人から恩を受けたら、その人に恩を返せればいいけれど(返礼)、何かの事情(力の差、遠くにいる、故人等)でそれがかなわない時、それを別の人や次の世代の人に返すPay it forward(恩送り)ということばがあることを、知った。
ヤクザは恩を直接当人に返すのが仁義であろうし、ボランティアは別の人に返しているのかもしれない。それは、日本的なことなのか、西洋的なことなのか、世界共通なのかわからない。ネットで少し調べてみる(以下、ネットより転載)

ペイイットフォワード(ペイフォワード、pay it forward、pay forward)
ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくことを意味する英語。または、多数の人物が親切の輪を広げていくための運動のこと。アメリカ合衆国などで突発的に一つの場所で行われることが稀にある。ちなみに同一人物にお返しすることはペイバック(pay it back,pay back)というが、これでは2人の間で親切が途切れてしまう上、悪い意味でのお返し(復讐)の意図も含んでしまうことがある。(Weblio) 

恩送り
恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。「恩」とは、めぐみ、いつくしみのことである。誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということ。江戸時代では恩送りは普通にあったと井上ひさしは述べている。(wikipedia)

敬愛大学国際研究第30号について(その2)

大学の紀要は、読む人が少ないと書いたが、実際は読んでみると面白い。
最近出された敬愛大学国際研究30号には、中東問題の研究で有名な水口章教授や、西鶴研究で第1人者の畑中千晶教授が、自分の専門分野の論文を書いている。また、理科教育が担当の田口功教授は簡易顕微鏡の作成方法を具体的に書いていて興味深い。さらにドイツ中・近世都市史専門の山本健教授の「商人ブルカット・チンク(1396-1462年)の自伝の邦訳」がすこぶる面白い。この時代の商人の生活が生き生きと描かれていて感心した(結婚を4度し、子どもも多く、この時代幼い子どもの死亡率がきわめて高いなど)。

教育学、哲学、英語専攻の佐藤邦政講師が、高野・武内編『教育の基礎と展開』(学文社、2016年)の書評を書いて下さり、それに関連する内容に関する興味深いことを書かれている。

 それは、哲学者の鶴見俊輔が若い時、ヘレンケラーに会い、彼女のunlearn という言葉を、「学びほぐす」という意味に解釈し、それは、「型どおりにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおす」こととと説明している、という興味深いエピソードの紹介である。
 「私たちは各自の実践と突き合わせながら、気が付かないうちに固定観念となっている見方や考え方について解きほぐす(ことが大事)」と佐藤氏は説明している。
 そして、高野・武内編の本について、「本書には、基本知識の習得のほか、意見、自明と思われがちな教育・保育に関わる事象について、読者が学びほぐす工夫がちりばめられている」と評価してくれている。

  私は好意的な書評にお礼を申し上げ、下記のようなメールを佐藤氏に送った。
 「佐藤さんの書かれたunlearn =学びほぐす というのは なかなか含蓄があり、面白いと思いました。
 昔母がよく、毛糸をほどいて新たにその毛糸で別のものを編んでいたことを思い出しました。ただ、今の世代では、使い捨ての時代ですから、それは実感としてわからないかもしれませんね。
(教育社会学の立場は)「われわれが生きている社会を相対化してみる」と竹内洋氏が言っているのを 私は引用しましたが(紀要30号128頁)、これと学びほぐすが、同じことなのか、どうかいろいろ考えさせられました。
常識を疑うというのは、哲学もそうだと思いますが、社会学も同じだと思います。教育に関しては、常識的なことはかなり重視されるので、教育社会学はそれを一度疑ってみようというスタンスをとるように思います。
 ただ、それは理論を実践の中で検証するというよりは、(実践自体がその時代の常識によって行われていることが多い為)、ことの起源から考えたり(歴史的視点)、他の国の例から考えたり(比較的視点)するように思います。」

 

「帰還困難区域の際を歩く」(水沼文平)

仙台に在住の水沼文平さんより、福島の帰還困難地域のわきを歩いた記録を送っていただいた。写真とともに掲載させていただく。
原発事故や福島のことは、忘れがちな我々にとって貴重な報告である。あわせて2012年7月4日の朝日新聞の記事(藤原新也「私たちは国土と民を失った」)も添付で、掲載しておく(武内)

11月23日、昨年避難を解除された双葉郡葛尾村に行きました。仙台の自宅での放射線量は毎時0.04マイクロシーベルトでした。(放射線測定器 はロシア製のガイガーカウンター RADEX)
郡山駅で新幹線を降り、会津から車で来たYさんに合流、郡山駅前の放射線量はμSv 0.19/h、途中の田村市のコンビニはμSv0.15/h、葛尾村がμSv 0.22/hでした。
葛尾村のメインストリートの商店は閉まったままで、見かけた住民はおばさんと除染工事関係者らしき男性だけで、道路を走っているのはダンプなどの除染運搬者とパトカーだけでした。二階建ての立派な村役場があり、その道路向かいに葛尾小学校がありました。小学校から少し入ったところに新しい団地があり、十数戸が建っていました。空き家らしきもありましたがカーポートに車があり居住者がいることが分かりました。
帰還困難地区である双葉町の方に入れないことは分かっていましたが検問所まで行ってみることにしました。
村の中心部を離れてすぐ「大型土のう」を積み上げ防水シートを被せた「仮置場」を見つけました。道路と小川の間に巨大な10ほどの台形の仮置場がありました。
途中の田や畑は荒れたままでしたが、切り株のある田もあり「はさがけ」も見ました。
20分ほど走り、検問所に着きました。警官ではなく民間の管理会社の人に止められ、
許可がない限り入れないことの説明がありました。そこで測った放射線量はμSv0.35/hでした。
次の目的地をいわき市に定め、地図上では、双葉町、大熊町の帰還困難区域の西側に
沿って車を走らせました。
海側に入る道は作業車以外立ち入り禁止でした。軍事施設でもないのに日本の中の立
ち入り禁止区域、理不尽で納得のいかない異様な風景でした。
道路の脇の家屋には廃屋が多く見られ、帰還解除区域でも戻らない人が多くいるのが
分かりました。あるいは「避難指示解除準備区域」なのかもしれません。
そこで測った放射線量はμSv0.48/hで第一原発の近いところにいるという緊張感を覚
えました。
玉の湯温泉あたりまでの路肩に「大型土のう」が積まれ、作業小屋が多く見られまし
た。「歩行者、自転車、二輪車は通行禁止」の地域が続きましたが、大野あたりから
人の動きが見え始め、マスコミ報道で馴染みの富岡町、楢葉町、広野町を通っていわ
き市にはいりました。
楢葉町では2年前に避難指示解除になっていますが、木造の仮設住宅が30棟以上ある
ところを見ました。仮設の供与が来年3月までとなっているのですが、避難世帯の36.2%(415世帯)が供与終了後の住宅が決まっていないようです。
いわきに着き、四ツ倉で遅い昼食を取り、白水阿弥陀に参拝することにしました。雨模様の天候でしたが、阿弥陀堂に着いたとたんに眩しいほどの陽が差し始めました。放射線量はμSv0.12/hでした。
国宝「白水阿弥陀堂」は 平安時代末期の 岩城氏の妻・徳姫 藤原清衡の娘)によって建立されました。阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、 浄土式庭園の様式を取り、平泉の 毛越寺や 無量光院といった寺院の影響を受けています。
放射能汚染で荒廃した町や村を見た後に西方浄土を見た思いでしたが、この日に見た町や村もかつては浄土のようなところであったろうと複雑な思いに駆られました。
昨年避難を解除された飯館村の村民の帰還率が8%、小中学校の就学希望率が12%となっています(民の声新聞より)。
葛尾村でも来年4月から小中学校を開校する予定ですが、避難先の三春町からスクールバスで通学させるという話もあり、震災前の姿に戻すには前途多難の感があります。

写真の一枚目は葛尾村の中心部、左の建物が小学校、右が村役場、二枚目が除染土壌
の仮置場、三枚目が白水阿弥陀堂です。(水沼文平)

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授業の予定(11月24日)「教育課程論」ジェンダーと教育

明日(11月24日)の授業(敬愛大学「教育課程論」)の予定を掲載しておく。(このブログを見ている受講生はほとんどいないと思うので、大学の授業のサイトに掲載し、予習を促すつもり)

 テーマ:  ジェンダーと教育(カリキュラム等)

 内容;  ジェンダーの視点から教育や教育内容を考える。

 進め方; テキスト(高野良子「教育・保育とジェンダー」『教育の基礎と展開』第9章)及び配布プリントを読み、武内のその要約の講義を聞き、内容を理解したうえで、9項目の質問(リアクションプリント参照)に関して、グループ(3人ずつで編成)で議論し、その議論の結果をリアクションに記載し、発表する。

  配布プリントは下記。
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当日のリアクション
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敬愛大学国際研究30号

このブログは、何の計画性もなく、その日に感じたこと思いついたことをメモ風に記している。日常の些事を扱っていることが多いが、たまには、大学や授業や学生や学問的なことも書いている。
この3月に敬愛大学の特任教授を辞したのを機会に(現在客員)、この約3年間(2014年7月~2017年3月)に書いたものを、4つの項目(①学生、②大学、大学教育、③講義内容、④教育社会学について)に分けてピックアップして、敬愛大学国際研究30号に掲載をお願いした。
アカデミックな大学の紀要に駄文を掲載させていただくのは申し訳ないと思ったが、大学の紀要の論文を読むのは、本人のほか2名程度という説もあり、それほど影響がなく許していただけると勝手に考えた。書いたものを紙ベースで残していただけたのは大変ありがたい。敬愛大学国際学部に感謝する。


(敬愛大学国際学部紀要原稿)