美を感じるところー理系人間と文系人間

何に美を感じるかは、人それぞれであろう。
ただ、理系の人間と文系の人間では、美を感じる対象が大きく違うような気がする。
スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の主人公堀越二郎は、飛行機の機能美に惹かれ、恋人菜穂子の病気への看護を怠り(病床の枕もとでタバコを喫い、飛行機の話ばかりしている)、菜穂子への愛情は薄かった。理系人間なのである。
生物学者・福岡伸一は、ファショナブルな女性の配色よりアオスジアゲハの配色が素晴らしいといい、さらに次のように書いている。
<ウンモンスズメというガの一種のはねの見事さはどうだろう。褐色の地に、墨汁をたっぷり含んだ毛筆で優美なにじみ紋様を描いたあと、流線形の先端にちょんと濃い黒点を置く。篠田桃紅もかくやと思えるほどの出来栄えである。そう。私の審美眼の基準は、いずれも少年の頃、目に焼きついたチョウやカミキリムシの姿、つまり自然が作り出したデザインに由来している。そこからの逸脱は違和感に映るのだ。笑いたい者は笑うがよい。されど私は、人生にとって大切なことはすべて虫から学んだ。>(朝日新聞 7月6日朝刊)

私の場合は、バラの花の造形美は見事だと思うが、モノや生物の美より、人間の作る社会的、人間的なものの美の方に惹かれてしまう。やはり文系人間なのであろう。

「ふるさと」の4番(敬愛大学 こども教育学科 1年生)

7月7日の敬愛の授業は予定通りに行った。
「地域への愛着」を考えてもらうために、過去にも試みたが、西島央氏の新聞記事を参考に、「ふるさと」の4番を作ってもらった。敬愛大生の出身は千葉県が多いが、その地域性が如実に出ている。未来はあまり明るくない。

・休日なく働いて その後手にしたのは何なのか 栄光の日をもう一度 取り戻どそう ふるさと
・佇まいが変われど 温かみは変わらず 月日は経っても 忘れがたき ふるさと
・夜は満天 星空 キレイな海と 元気な人 どこにも負けない 地元愛 だいすきな ふるさと
・どこを見ても 先見えず 周りには 家店 山や海はなし 自然なし ふるさと
・拳銃自殺 駅前 発砲事件 デニーズ 事件 心霊 多いけれど 離れがたき ふるさと
・美容院もネットで レストランもネットで 予約もネットで当たり前 変わりゆく ふるさと
・窮屈になっても 再び 栄える 身は つねにふるさと 心は常にふるさと
・千葉に来たよ 都会だ みなが殺伐とした 電車 人の波に のまれて 心に影が ふるさと
・わたくしたちは 不安だ こんな世界 住みにくい 本当は 今も夢見てる 取り戻したい あの町
・まわり見れば みんなが 携帯を片手に 会話もせず 下を向き コミュニケーション 皆無だ
・都会近い故郷 森もあるよ故郷 治安が最近悪いよ だけど好きよ故郷
・ある日 ふと帰りて すぐに気付く違いを 外見は常に変わるけれど 心に変わらぬ ふるさと
・忘れられぬあの地へ 愛を胸に帰ろう おいしい空気に豊かな自然 全てが私のふるさと
・近くに海あり その近くにウオーターガーデン 水しかないこの町 水は清きふるさと
・里を捨てた若者 残りし老人 人はぞくぞく 離れて消えていく ふるさと
・消えていく大自然 増えていく都会 夜も明かりが消えない 変わった場所 ふるさと
・夢も破れ 幾年 流され行く毎日 姿は変われど 今日の日も忘れられぬ ふるさと
・一目見て恋に落ち 毎日世界バラ色 2キロ先にいても 秒で気付く ふるさと
・どこを見ても木々なし 高層マンションや住宅街 夢はyou tuber  将来見えず 未来不安 ふるさと
・2両だけの電車に揺られ 片道4時間 着いた駅は無人で この静けさ ふるさと
・今起きたよねぼうだ 2限なのにねぼうだ 休みたくはないけれど間に合わない ふるさと
・技術の進歩早すぎ 人の進歩進まず スマホの力頼り過ぎて 他の知識身につかず
・田舎育ち18 都会電車多いよ 本数あり過ぎどんどん遅らす 甘え過ぎて遅刻や
・高齢化は進んで 若者は無気力 発展してきたはずなのに 人が減りゆく ふるさと
・ぱっとしない旭市 変な見た目アサピー なまりがひどいこの町 海も微妙 ふるさと
・お米おいしい茂原 水もきれい茂原 世界一のふるさと 日本一のふるさと
・なつかしき日思い出す あの日その時あの場所 今も私の心にある 大好きな場所
・人がこないこの町 都会真似て失敗 線路も電車も通っていない これでいいのか富里
・排気ガスに囲まれ 山にも似たハルカス 夜は人声絶えなく 眠らぬ町ふるさと
・緑の中囲まれ 走り回る田舎道 過疎化が進み 街灯は減る いつまでも ふるさと
・ひきこもって20年 「世に出ろよ」と言われ反抗する 僕の役割は自宅警備員 家が大好き ふるさと
・隣もその隣も老人 高齢化進み 若者どこだ ふるさと 孤独死多しふるさと
・忙しさにかまけて いつの間にか忘れる四季の彩り 楽しむ心思い出したい ふるさと

追記 上智の卒業生のI氏より、下記のメールをいただいた。
「ふるさと」の歌詞の話は、こんな関連記事を見つけました。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/toyokeizai/bizskills/toyokeizai-164983?page=1 (東大上位常連「麻布生」が本気で作詞する理由 唱歌「ふるさと」の歌詞に自分を映し出す)

西島氏の新聞記事でも麻布高校生の作った「ふるさと」の4番が載っていたが、西島氏は、その後も麻布高校で同じ試みを続けているようだ。さらにその歌詞に合わせて、プロの音楽家が曲をアレンジし、プロの声楽家が生徒たちの目の前で歌うオプションも付けている。そこに掲載されている歌詞は次のようなものだ。
<ビルの谷間に蠢(うごめ)く社畜、揃(そろ)わされた足並みは足枷(あしかせ)という名の伝統、慰めに築き上げたは見えない関係、過ぎし夢に故郷> <後輩の無礼腹立つ 平成の不況むかつく 大人たちは無責任 未来のことは知らない>

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上智大学の学生に講義をする

20年間勤めた上智大学を退職してから、もう7年以上が経つ。在職中は、学部では2つの講義、2つの演習(ゼミ)、大学院で2つの授業(ゼミ)を担当していたように思う。その他放送大学や非常勤2つの授業の担当を考えると、その頃は忙しい日々を過ごしていたのだと思う。

上智定年後は他の大学で教えることがあっても、上智大学の学生に教えることは全くなかった。それで、時々「上智の学生にも講義したいな」と思うことがあった。
今回、上智の中の1回の授業の中の一部の時間で、学生に話しをする機会を得た。7年半ぶりに、上智の学生の前で話した感想は以下のようなことである。

1 新しく出来た4号館がエントランスも素敵で、4号館の教室がきれいで、マイクの音響効果もよくなっていた。
2 200人も入る教室に60人くらいの学生が、バラバラに散開して座っていて、上智の学生の個人主義的傾向が伺われた。(学年も学部学科もいろいろなせいもあるが)。
3 したがって、講義内容に教室全体が一体となり聴き入るという雰囲気はなく(私の話し方のせいも多少ある)、個人個人が、自分のスタイルで講義をを聞くという感じであった。私語は皆無であるが、話し手としては少し物足りない。
4 学生に書かせるコメントをあらかじめ5つ用意した。配布資料や私の話を聞きながら、質問に答えるというリアクション方式を取った。
それへの記入状況を見ていささか驚いた。記入時間は講義中と最後の5分ほどであるが、ほとんどの学生が、各3センチほどの狭いスペース5箇所に小さな文字で4~5行ずつ埋めていた。その内容も資料や私の話を理解し、さらに自分の意見を述べているものが多い。上智の学生の理解力、文章力にの高さをあらためて認識した次第。

明日(7月7日)の授業予定

明日の敬愛大学の教育原論の授業の予定を掲載しておく。地域や国家(国土)への愛着(愛国心)の教育について取り上げる予定。

教育原論・第12回・リアクション(7月7日)愛着、愛について
1 前回(5月19日)のリアク)シアクションを読んでの感想
2 自分にとって大切なもの(愛(着)を感じるもの)は何ですか。順位を付けて下さい。
(  )自分     (  )家族  (  )友人  (  )恋人
(  )学校  (  )地域  (  )国家  (  )その他(    )
3 井上揚水「傘がない」の主人公が、愛着を感じているものは何でしょうか。
(自分 恋人、社会  他) 雨や傘は何を象徴しているのでしょうか。
今の時代に、雨にあたるもの、傘にあたるものは何でしょうか。
⓵→ 愛着を感じているもの→
②雨が象徴するもの、雨にあたるもの→(       )(        )
③傘が象徴するもの、傘にあたるもの→(       )(        )
4 あなたにとって、生まれ育った場所は,どこですか。 そこに愛着を感じますか。そこが何かで住めなくなったら、どのように感じますか?
①  生まれ育ったところ→(                     )
②  そこに愛着を感じますか
1 とても感じる 2やや感じる 3 あまり感じない 4全然感じない
③   そこが住めなくなったら→1 悲しい  2 わからない  3 困らない
5 藤原新也「私たち国土と民を失った」(朝日新聞2012年7月4日)」を読んでの感想。(教育において故郷をどのように教えていくべきか)
6 新聞記事「唱歌「ふるさと」続く風景は」(朝日新聞2012年6月28日)を参考に、「ふるさと」の曲の3番を作ってください。

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日本子ども社会学会24回大会に参加

7月1日と2日の2日間に渡り、東京学芸大学を会場校にして、日本子ども社会学学会24回大会が開催された。
大会開催準備は大変だっと思うが、松田恵示副学長をはじめとして、腰越滋氏や金子真理子氏らの実行委員会の行き届いた配慮によって、快適なまた楽しい、充実した学会であった。印象に残ったことは下記。
1 若手の発表に精緻なデータ分析にもとづく発表がみられたこと。
2 中堅の発表に、子ども社会研究に関する水準の高い発表があり、その導きにより 学会の研究の向上が期待できること。(元森絵里子氏の発表など)
3 ラウンドテーブルが、さまざまテーマで活発に行われ、子ども社会学の研究の広がりと深化が期待できること。(馬居政幸氏の人口減少関連のものなど)
4 現役の指導教授が教え子の大学院生を率い参加、発表しているところには勢いがあり、その大切さも感じた。
5  公開シンポは、「子どもに民主主義を学べているのか」というテーマで、学会外から著名な研究者(広田照幸氏、浅野智彦氏、額賀美沙子氏)を招いての興味深い内容で、このようなものもいいものだと思った。
6 シニアの研究者の参加も、ほほえましく(?)、あたたかい学会員の視線を感じた。(原田彰先生、萩原元昭先生の発言が随所でみられた)
7 懇親会は、料理も美味しく,学芸大チアリーディング部の演技やプロの楽器ユニット227(http://227tamayuki.com/)の演奏などもあり、楽しいものであった。
多くの友人、知り合いとの久しぶりの再会、また新しい出会いもあり若い人の息遣いも感じて、いろいろ学んだ学会であった。

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