藤原新也写真展「沖の島」を見に行く

今日(7月22日)は、早稲田大学で開かれた「教育社会学会」の理事会を途中抜け出し、日本橋高島屋で開催されている藤原新也の「沖の島」の写真展を見に行く。
展示されている主な写真はあらかじめ本で見ていたが、実際の写真は色もスケールも違う。
藤原新也本人も会場にいて、少し話をすることができて感激。「OFF会には出ないのですか?」とまで言っていただき、その気遣いにも感謝。(握手までしてくれた)(OFF会に出れば、藤原新也の素顔をもっと見れたし、藤原新也つながりでいろいろな人と知り合えて、それなりに楽しかったかもしれないと、今は少し後悔)
来場者の多くは、藤原新也のビデオの方に群がり、藤原新也本人が会場にいることに気がつかない人が多く、藤原新也の自然さ(超有名人としてのオーラのなさ)に感心した。
72歳にしてこれだけの展覧会を開き,また他でも多くの活躍をしてすごい人だと思うが、さすがに今日は少し疲れているようにも見えた。ご健康にご留意ください。
(私の下の写真は、フラッシュ禁止だった為もあり、ピンボケで、拡大には堪えない)

IMG_6915

IMG_6922

IMG_6919

IMG_6927

IMG_6929

 

HU高等教育研究センター 公開講演会・シンポジウムの開催案内

さて、来る7月28日(金)に下記の趣旨の通り、HU高等教育研究センター主催の2017年度第1回公開講演会ならびにシンポジウムを開催することになりました。
 総合テーマとして、「学生の超多様化と大学教育―高大接続の視点から」を標榜しておりますが、その趣旨は学生と大学教育の関係を高大接続、学士課程教育の質保証などの観点から議論し、大学教育改革に資すことを目的にしております。
 第1部の公開講演会では、講師の武内清教授に「現代学生の超多様化現象–調査を手掛かりにして」を演題に、ユニバーサル化時代に「超」多様化の段階に到達している学生の実態について、長年手がけられてきた調査を基に実証的に論じていただきます。
 第2部のシンポジウムでは、少なくとも4つのグループに区別できる超多様化した学生に対応した教育が今日の大学教育において必要だと考えられますが、現実の教育実態はどのようなものでしょうか。この問題にシンポジストの事例的なアプローチと解析をお願いしました。各先生は、国立大学、私立大学、高校、あるいはボーダーフリー大学、専門分野などの視点から分析のメスを入れていただきます。
 具体的には、学生が超多様化しているボーダーフリー大学において、学生の質保証は可能なのかを実態を基に分析すること、大学の学部学科を中心に事例的に学生の実態と教育方法の改革を考察して方向を探ること、高校教員が見た生徒の多様化現象は何か、そして大学教育にはどのような学生へ育成することを期待しているのか、といった分析です。これらの分析を通して、現在の多様化した学生に対する教育の問題点と課題は何かを検討し、今後いかなる方向へ教育改革を行うかを提言していただきます。
 皆様にはご多忙中恐縮ですが、大学教育の打開に向けて充実した議論が行われるものと期待されますので、開催の趣旨にご賛同の上、奮ってご出席いただきますと幸甚に存じます。(平成29年6月28日   HU高等教育研究センター長)
http://www.hyogo-dai.ac.jp/research/news/2017/06282029.html

上記の兵庫大学で開催の講演・シンポに所長の有本章先生に呼んでいただき、その準備に追われている。新しいことが何か言えるといいのだが。

藤原新也 写真展 「沖の島」

絵画や写真を見るセンスが私にはない。それは、絵や写真を見る見方について、基礎的なことをこれまでに学んでこなかったせいである。基礎的な教育は何事にも必要である。
最近世界文化遺産登録が決まった「沖の島」についての写真展を藤原新也が、今日(19日)から8月1日まで、日本橋・高島屋で開催している。その招待券が何枚も手元にあり、それを見に行こうかどうか迷っている。
「学期末でいろいろ忙しいな」「私が写真展を見てもそのよさがわからないのではないか」「千葉から東京は遠いな」など、行くのをおし止める気持ちも強い。もう一度、藤原新也の新聞記事を読んで考えよう。(朝日新聞 7月18日夕刊より一部転載)

孤高にして神秘 「沖ノ島 神宿る海の正倉院」展 撮影・藤原新也
通常はなんびとも入ることのできない禁足地。展覧会場では連続する6枚の写真をつなげて幅12メートルの巨大パノラマで紹介する 。知られざる「神の島」の姿を捉えてきた藤原さんに、見どころを聞いた。
 ■自然の共生と秩序
 みそぎをして上陸し、石段を登り、息を切らせながら峠にある第三の鳥居をくぐり、わずか10メートルほど下ったところで、不意に空気が変わります。潮騒が途絶え、風がやむ。それまで聞こえなかった小鳥のさえずりがこだましはじめる。盆地に降り、お社に続く踏み石を見たときに、コケで真っ青になっていて驚かされます。人が入っていない証拠です。
 人間の肺の底には赤子時代に吸った微量の空気が残っていると言われますが、この盆地状の聖地には古代の残気が残っていると感じた。1回目の沖ノ島行きではその残気を撮ったと思う。
 3回目の撮影となる今年5月、限られた神官しか入ることができない場所での撮影を許されました。
 古代から放置された場所だからジャングルみたいになって、鎌でも持って入らなければならないのかと思っていたが、そこには予測だにしない世界が広がっていました。
 あたかも造園師が手を入れたかのようなバランスと秩序がそこに生まれていたからです。人間が一切関知しないということは、逆に自然の共生がおのずと秩序を作り出すのだということをこの目で見た思いがある。この神聖な場所の姿を他者に伝えるには自分の個性というものを殺し、出来るだけ記録に徹しなければならないと思い、そのような撮り方をしました。今回の会場ではその禁足の森とも言うべき世界を12メートルのパノラマで展開します。誰も見ることの出来ないその森の前に立っていただく、ということです。(以下略)

地域格差(その2)

自分の生まれ育ったところや今住んでいるところの地域のランキング(格差)が低いと自分で言う場合は、卑下したり、ランキングの高いところを羨ましいと思っているという訳ではない。
ある基準からみればそのように見えるかもしれないが、そのことよりもっと大切なことがあるということを言いたい場合が多い。

出版社を定年で退職して故郷の仙台に戻られた水沼文平さんから、「地域格差、地域の偉い順」について、下記のような興味深いコメントをいただいた。掲載させていただく。

 「地域格差 地域の偉い順」を拝見しました。このような手法で地域・地区をランキングすると東北は「白川以北ひと山百文」と言われたこともありますから、全国的にみると最下位に位置することでしょう。
故郷に帰り一年、私が育った地域は、かつては農村地帯でしたが、現在は住宅とマンションが密集する市街地に変貌し、川と神社、自然保護林、遠くに見える山だけが昔の面影を留めています。
住まいの向かいにスーパーがあります。ここは「地域」を研究する上で私の重要な「Observation Point」になっています。年配の女性の「あづいちゃねぇ、おどげでねえ、おだいずにしてけさぃん」という言葉は(暑いわねえ、冗談じゃないわよ、お体を大事にしてね)という意味ですが、お年寄りの話す言葉に耳を傾け再習得に努めています。友人や知人との会話の中にも「あばい(行きましょう)」「いずい(違和感がある)」「おらほ(私の方)」「ございん(来てください)」「ちょす(触る)」「ぺろんこ(ただ乗り)」「んだでば(そうなんだよ)」などが散見され、聞いていてなつかしさがこみ上げてきます。前述した「おどげでねえ」は「戯けでない」が語源です。他につららの「たろひ」は「垂氷」、奥さんの「おがた」は「御方」など古語がそのまま残っています。いたわしいの「もぞこい」は「無慚」、「やっしゃない」は「遣る瀬無い」が転訛したものです。「めんこい」はかわいいという意味で古語の「愛(めぐ)し)」から来ています。伊達正宗の奥さんの名前は「愛姫(めごひめ)」です。
話は変わりますが、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物は な~んだ?」というなぞがあります。子どもの頃、腰が90度に曲がって杖をついているお年寄りをよく見かけました。現在もたまに腰の曲がった人を見かけます。歩くときに手を後ろに組んだり、手の平を後ろで「ひらひら」させたりします。年を取ると腰が曲がり、重心が前に倒れやすくなるため、後ろに手を回すとバランスが取れ、歩き易くなるのです。田植えや稲刈りの機械化が普及したのは1980年代ですから、その前の農村では
農作業はほとんど体を屈めて行っていました。若いうちは作業が終わると、腰も元通りに戻りますが、50歳を過ぎると段々戻らなくなります。腰の曲がったお年寄りは子どもの頃に見かけた農家の人かも知れません。
私が育った所の地名は「古海道」で「秀衡街道」とも言われ、平泉と京都を結んだ街道の一つです。義経や金売り吉次が通ったかも知れません。縄文時代から人が住んでいたようで、畑から縄文土器の破片や矢尻が多く出土しました。
土地の言葉、腰の曲がった老人のことなどを観察したり調べたりしていると、故郷の持つ貴重な無形・有形の財産に愛着を感じてきます。たとい偉くなくても、順位は下でも、地域の言葉、伝統的な行事、人間関係、早朝ゴミ拾いのお年寄りなどを聞き、見るにつけ「これでいいのだ」と深く頷くものがあります。(水沼文平)

地域格差 –地域の「偉い」順

卒業生のI氏から下記の本の紹介もあった。ブログの地域(ふるさと)関連での紹介であろう。
<首都圏のある程度は誰しも肌で感じている地域格差が、相当程度(偏見・毒舌混じりに)炙り出されています。二十三区(+都下)や主要沿線別の記述が圧巻です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4905447828/tokyodeep-22(元サイト http://tokyodeep.info/ <http://tokyodeep.info/>このサイトからのリンクでこんなのも見つけました。

ややデータが古いですが。首都圏の市区別の高等教育卒業者比率のマップ http://kishibaru.cocolog-fty.com/blog/gakureki_shutoken_mr.html )>

左の数字:大卒率(単位%)/右の数字:偏差値
1位~10位 横浜市青葉区 58.8 74.9 武蔵野市 54.6 70.7 横浜市麻生区 53.1 69.2 小金井市 52.3 68.4 国分寺市 51.4 67.4 世田谷区 51.2 67.2 目黒区 50.8 66.8 文京区 50.6 66.6 鎌倉市 50.6 66.6 杉並区 50.3 66.3  (以下略)

地域・地区をランキングするという試みは、昔からあったように思う。
「東京23区の偉い順」という内容の本を昔読んだことがある。
昔、湘南快速電車を千葉まで延ばすという話が出た時、湘南の人はそれに反対したという話を聞いたことがある。グリーン車を連結した快速に重役のいない千葉方面の人は、乗る人がいないであろうと。
東京への通勤時間が同じ時間がかかるところでも、土地の値段がかなり違い(湘南の方が高い)、沿線によって、乗っている人の階層や雰囲気(上品さ?)がかなり違う。
田園調布のひとり娘と結婚した後輩は、相続税が高額で、田園調布では自分達の子どもを祖父母の養子ににして、相続対策をしていると聞いたことがある(子どもの苗字が途中で変わるのは、ステータスになるという)。
上智の新入生が自己紹介する時、東京、神奈川出身の学生は誇らしげに出身地域を表明していたが、千葉や埼玉出身の学生は少し出身を恥じているようなしゃべり方であったことを思い出す。

地名に詳しい谷川彰英先生(筑波大学名誉教授)は、少し前に千葉の地名の本を出し、これから埼玉の地名の本を出す予定にされているが、千葉や埼玉が、高々2~300年(?)の歴史しかない東京に比べ、古い歴史があり、県民が誇るべきものがたくさんある。千葉県民、埼玉県民はもっと自信と誇りをもった方がいいと言われたことがある。

私の家の近くの県立犢橋〈こてはし〉高校に、かって木村拓哉とマツコ・デラックスが在籍していたことがある(マツコ・デラックスは卒業している)とのこと。千葉にも有名な芸能人がいる(いた)ことを誇りに思ってもいい。