千葉の桜も散り始めた。千葉の桜並木が東京と違うことは、桜を見る人がいないこと。いても、老人ばかり。
若い人で、「お花見に行こう」とデートに誘う人はいるのであろうか。新緑や紅葉も同じことだが、若い人が花や新緑あるいは紅葉を楽しむという心性はあまり持ち合わせていないように思う。自然や植物より人間に興味があるということであれば、それは若さということでいいことだと思う。
(おもちゃ→)人→花→木→石と興味の対象が年齢とともに変わっていくようだが、今自分の興味はどのあたりにあるのだろうか。
今日(9日)は、千葉でも桜が満開。でも生憎の雨模様。お花見のできる天気ではない。
お昼前、敬愛大学に行き、4月から使える部屋(共同客員教授室)を少し片付け、静かな部屋で本を読む。日曜日の大学はほとんど人がいなくて静かで、読書に集中できる。4月からこの部屋(研究室)を使わせていただけるのは本当にありがたい。授業も1コマ担当する。敬愛大学に深く感謝。
夕方、雨も上がったので、お花見がてら、家まで徒歩で帰ろうと思い立つ(通常はバスで帰る)。敬愛大学→穴川中央公園→園生→あやめ台→宮野木と、徒歩で約50分の行程。公園の桜も見事だったが、途中の用水路の脇の桜並木もきれいで、なかなか千葉(稲毛)も捨てたものではないと思った。
敬愛大学の『君にすすめる一冊の本』に、下記の原稿を書き、最近発刊された(内容は、以前のブログに書いたこと)。
実際に自分で海外に出かける前に、先人の海外旅行記を読むのは役立つことが多い。外国旅行記は、短期の印象的なものから、長年外国に住んでのそこの生活や文化の紹介まで、いろいろなものがある。
その中で、写真家藤原新也の『アメリカ』(1990年)は一風変わったもので、衝撃を受ける。その特徴は、①写真家藤原新也のその本質を瞬時に見抜く感性による記述 ②7ヵ月という中間的な長さで見えるアメリカの特質 ③長くアジアを旅行してきた視点から見るアメリカである。藤原新也は、後日アメリカ旅行に関して、次のように説明している(2016年8月7日、朝日新聞)
「アジアからアメリカに向かったのは世界の構造を知るうえにおいて必然的な旅だった。寝泊まり出来るモーターホームで7カ月間をかけ全米を一周した」「アメリカではきのうのことさえいつの間にか忘れていて、初めて旅でメモを取った。存在感の希薄な文化だということ」「世界の快楽原則はここからやってきているということ。たとえばネズミは、かつてペストが猛威をふるった西欧でもっとも忌むべき動物です。そのネズミさえミッキーというクリーンで親しみやすいキャラに変換していく」「歴史が浅いから掘り起こすとすぐに根っこが現れてくる。紀元前からの歴史があるアジアの濃い世界と違い、映画のセットみたいに背景もルーツもない。逆にそこが非常に面白かった。」「市井の一人ひとりは日本人より他者に対する思いやりがある面もある。けれども、国家になると二重人格者のように性格が一変する不思議な国」
日本人にとってアメリカは特別な国である。原爆を落とされ戦争に負けたにも関わらず、戦後の復興を手助けされ、その物質的な豊富さには憧れをいだき、さまざまな分野でモデルにしてきた。その実際のアメリカを、藤原は7カ月に渡りモーターホームで全米を移動し暮らし、鋭く豊かな感性で人々の様子や文化を観察している。その文章は、写真家のものごとの本質を一瞬にして切り取る感性と、長くアジアを旅行してきた比較の視点と、藤原の独特の柔軟な人間性に裏打ちされ、読んだものに感銘と衝撃とを与えるものになっている。(武内清 こども学科)