研究者冥利に尽きる

長年研究し、出版した著作が世に認められるというのは、研究者冥利に尽きることであろう。日本の教育社会学研究の理論派の第1人者のである山本雄二氏(関西大学教授)が、長年研究してきたテーマの本を出版し、今日の朝日新聞の書評欄に大きく取り上げられた。

女子のブルマーがテーマということで、なかなか出版してくれるところな見つからないと、山本氏は困惑していたが、青弓社というアカデミックな内容の本を多く出版しているところからの出版で、朝日の書評でも高く評価されたということは、友人の一人としてとてもうれしい。

山本氏の論文は昔から学会誌(教育社会学研究)で読んでいたが、長い間面識はなく、今から22年くらい前、UWのM.アップル先生の授業で出会い、UWでは、当時院生でアップル門下の野崎・井口夫妻らと一緒に、一緒に授業に出、様々な議論をし、毎週のようにテニスをした。山本氏の訳した『抵抗の快楽』(J.フィスク著、世界思想社)も名著・名訳で、その本からカルチュラル・スタディーズを学び、マドンナ現象の文化的意味も知った。

以下 朝日新聞朝刊(2月20日)より転載

(書評)『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』 山本雄二〈著〉

青弓社 2160円)

■女子の感情無視した妙な「共犯」

筆者の世代で女子の体操着といえば体にぴったりフィットするブルマーが定番だった。だがその話は今の女子には通じない。1960年代に登場、一気に日本全国を席巻した密着型ブルマーは90年代には消えてしまったからだ。

その興亡の軌跡に迫る本書はまず「お金の事情」に注目する。中学校体育連盟は用品メーカーからの寄付が頼りだった。寄付の見返りに連盟推薦のお墨付きを得たメーカーは新開発した密着型ブルマーの学校への普及に努めた。加えて当時は東京五輪での女子体操選手の活躍により、美しく健康な女性の身体は積極的に肯定されるべきだとする価値観が成立しつつあった。それは家父長制からの女性の自立、一個の人格として女性が自信を持つことを求める戦後民主主義的な価値観とも響き合い、密着型ブルマーの受け入れを進めた。

しかし、実はそこで女生徒たちは〈挟み撃ち〉に遭っていたのだ。自立した女性は家制度のヴェールに覆われず性的まなざしに直接さらされる。密着型ブルマー姿も例外ではなく、見られる恥ずかしさを訴える生徒も少なくなかった。だが進歩派だけでなく、保守的な教育者も日本女性らしさの復権には恥を知ることが必要とする奇妙な論理で密着型ブルマーを支持、彼女らの感情を無視し続けた。

この二重の疎外状況が崩れるのは90年代で、密着型ブルマーが性的嗜好(しこう)の対象になっていたことを改めて示す大量盗難事件等が発生。その使用を強制する姿勢はようやく緩み始め、体操着の主役の座をトレパンやジャージーに引き渡す。

密着型ブルマーは「戦後民主主義派」と「戦前回帰派」がいずれも己の思想信条を優先させ、性的なリアリティーや女子の実感に寄りそってこなかった歴史の象徴であった。体操着の下に隠されていた〈民主〉と〈愛国〉のもつれた共犯の構図。それを描き出す著者の冴(さ)えた分析に多くの読者が触れて欲しいと思う。 評・武田徹(評論家・ジャーナリスト)