このところ冬の寒い日が続いている。
以前にも書いたが、寒いと空気が澄んで、敬愛大学の研究室(6階)の廊下からも、雪を被った富士山がよく見える。夕方になると、きれいな夕焼けがくっきり見える。
寒さもまんざら悪いことばかりでない。冬の景色を楽しみたい。(本当は、一面の雪景色が見たいのだが、、、)
月: 2017年1月
地元の神社に参拝
冬の空、月
日柄と神社の参拝
日柄というのを、人はどの程度気にしているのであろうか。昨日近くの神社にお参りに行こうかと思ったが、カレンダーを見ると「仏滅」とあったので、参拝を見合わせた。
私は小さい頃から年寄りに日柄のことを言われて育ってきたので、気になったが、果たしてそれが正しいことなのかどうかわからない。
便利な世の中で、日柄と参拝のキーワ―ド入れると、インターネットでほしい情報がすぐ得られる。
<六曜(ろくよう)とは「先勝」、「友引」、「先負」、「仏滅」、「大安」、「赤口」の6種のことです。そもそも六曜は中国で生まれた思想だと言われていますが、正確なことは定かではありません。日本に伝来したのは鎌倉時代から室町時代にかけてと考えられおり、江戸末期には庶民の暦に記載されはじめました。〔中略〕、一般的に神社(参拝および祭事など)と六曜は何ら関係ありません。仏滅だからお参りに向かない、お祭りを控えるというのは必要ありません。(中略)お釈迦様は占いを禁じていらっしゃいますし、浄土真宗では日の吉凶を選ぶことを否定的に捉えているようです。(http://oonominato.or.jp/knowledge/)>
上記のように、神社の参拝と日柄は全く関係のないとのこと、この歳になってやっとそのことを知った。皆このことは自明のことなのであろうか。
学会の理事会(日本教育社会学会)
一昨日(1月7日)に、早稲田大学で日本教育社会学会の理事会と新年会があったので、久しぶりに東京に出かけた。 日本教育社会学会の理事は50名いて、そのうち70歳を過ぎている理事は竹内洋氏と私だけで、その日の出席者の中でも私が最年長だったと思う。幸い誰もそのようなこと気にしている風はなかったので、気楽に理事会の様子を観察した。 私はこの学会にM1の時から参加して、学会の諸先輩から多くのことを学び、また論文の執筆や就職などでもお世話になった。 現会長の近藤博之氏は、私が助手の時、3年次で、渡部真氏や小林雅之氏らと一緒に「教育社会学コース」に進学してきた人で、当時から自分の考えを持っているなという印象だった。 当日の学会の理事会は、近藤会長、中村事務局長のもとに2時間以上に渡り、紀要や会計や大会や国際交流について、真摯で活発な議論が展開されていた。出席者のメンバーをみると、今の教育関係の学会や教育研究の中心を担っているメンバーが理事として参加している。 ただ理事の参加者に、教育社会学専攻といっても教員養成系の大学で働く教員は少なく、今の教員養成の変革の中で教育社会学の理事会がどのような役割や運動をしていくべきかなどの話題は出ず、その点は物足りなかった。また、今の教育政策に批判ではなく、政策的な提言をしている人がいないなという印象ももった。 私自身はこの学会とのかかわりは40年以上と長いが、昔の理事会と同じようなことが議論されているのは、少し可笑しく、また懐かしく感じた。 その後の新年会での話題も、学会のこと、学問のこと、今の教育のことなど、いろいろ知的な刺激になる話が多く、学会はやはりいいものだなと感じた。 自分で調べてみたいテーマもいくつか思い浮かんだ。たとえば、今日本の大学で盛んに提唱されているアクティブ ラーニングは、大学教育の先進国のアメリカでは今ほとんど話題にされていないとアメリカに詳しいメンバーから話があり、その実際を調べてみたいと思った。アクティブ ラーニングなどのアメリカの大学の教授法が先進的なものとして日本で紹介されることが多いが、実際のところそれはアメリカでも一部の人が唱えているだけで、それがあたかも先進的・普遍的なものとして日本の研究者が紹介してだけかもしれないと感じた。教育のことではこのようなことはよくあるので気をつけないといけないと思った。