同世代―吉田拓郎

吉田拓郎は同世代ということで、その曲を昔からよく聴いていた。娘たちからは「よくそんな古い歌を聴いているね」と軽蔑されながら。
今日はNHKの番組で、最近やった首都圏のツアーの様子が流れるというので、早速録画の予約をした。
先ほどその予告のインタビュー番組があり、その中でリハーサルの様子が流れていた。それを聴くと昔と何か違う。吉田拓郎が旬な時の放埓さや野放図さが消えていると感じた。拓郎も70 歳になったというから、それは当たり前なのだが、少しさびしい。(ただライブの様子を見ると、昔と変わらないのかもしれないが。)
歳を取り、昔の旬な時のものを再現するのが難しい。それは音楽に限らないであろう。同世代の人間として、他人事でなく、いろいろ身につまされる。

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(藤原新也は同世代ながら、元気、意気軒昂である。新しい小説まで書き、歌をうたい、世の動向に歯に衣を着せぬ発言をしている)img_20161223_0004

 

「学校教育の組織と文化」(要約レジメ)

今年の後期に非常勤で教えている植草学園大学の授業(「学校教育制度概論」)では、高野良子・武内清編『教育の基礎と展開』(学文社、2016)を使い、受講の学生に1章ずつ、発表をさせている。
昨日(22日)は、私の書いた「学校教育の組織と文化」の章(7章)がテキストで、担当の二人の学生は、なかなかいいレジメを作成して、発表してくれた。
私の書いた内容が的確に要約されている。ただ、その先の発表者のコメント、それに基づく討論というところまでいかないのが残念なところだ。なぜ、テキストの要約だけで終わってしまって、その先の批判的検討、討論へとつながっていかないのであろうか。不思議だ。

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ブログの切り取り、それへのコメント

私のこのページ(ブログ)は、読んだ人からのコメントも「いいね」もない。その為発信する側としては大変気楽に好き勝手に書いているが、時々誰かに読んでほしくなり、その一部をコピーし、授業で学生に配布することがある。
教師の愚痴のような文章を読む気もおきない、というような雰囲気が教室に充満するが、そこは講義者の特権で、無理やり読ませて感想を書かせるということを時々する。ただ、そのコメントを読むと学生は当たりさわりのないことをさらっと書き、肩すかしを食うことが多い。(以下に最近の例を示す)

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学生達の時間感覚

今日(12月20日)の敬愛大学国際学部の1年生のゼミは、合同で親睦会が開かれた。
留学生の紹介、スピーチ、祖国の紹介、挨拶ゲーム、ジェスチャーゲーム、ライブなど盛りだくさんの内容で、留学生も含めて学生同士の親睦が深まったようだ。
今日の会は学生企画で、進行がもたついていたが、学生たちはそれにいらだつ様子もなく、周囲の友人とのおしゃべりを楽しんでいて、(千葉の)学生たちの「もったりした」時間感覚を感じた。(私たちの世代が、時間を無駄にしてはいけないと、駆け抜け過ぎてきたのかもしれないと思った)

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感謝することが大事

井上揚水「感謝知らずの女」という歌がある。
http://j-lyric.net/artist/a00071f/l0100fe.html
これだけ私はあなたの為につくしているのに、あなたから「ありがとう」の一言も返ってこないという恨みがましい内容である。(後半は別の感情を歌っているのかもしれないが、、、)
このような感情は、人に対してだけでなく、属している組織(会社等)に対しても、人はいつも感じていることであろう。
しかし、逆の立場からみれば、相手(人や組織)も同じこと(「感謝知らずの男」)を感じているのではないかと、ふっと思った。(これは夢の中で思ったことだが、記録に留めておきたい)