異文化に対する視点

 異文化に対する視点に関して、佐藤郡衛氏は、3つの視点のあることを指摘している。(『海外・帰国子女教育の再構築』)
「単一文化的視点」「比較文化的視点」「異文化間的視点」の3つである。
第3の「異文化間的視点」がいちばん大事で、そこでは「文化を動態的にとらえ、相互作用を通して文化は変わりうるものとしてとらえられる」。つまり、異文化に接することにより、自分たちの文化も変わり、人生が豊かになると考える。
これは「多文化教育的視点」とも同一のもので、マイノリティ(権力がない少数者)の立場を尊重し、その集団や文化も尊重し、相互作用を行う中で、マジョリティの文化も変わり幅が広がり心が豊かになる。
しかし、ここのところこの「異文化間的視点」や「多文化教育的視点」は人気がなく(トランプ現象?)、異文化、多文化に関して不寛容な風潮が広がっている。
地方都市でも次のような現象がみられるという。
<近の地元のニュースで「盲導犬を同伴した障害者の受け入れを、飲食店や公共施設、交通機関が拒むケースが仙台で後を絶たない」というのがありました。仙台人は「取っ付きにくいが根は善良で親切」と思っていましたが、この話を聞いてとても恥ずかしいと思いました。
根っからの地元の人は「それらは他所から来た人だ」とは言いますが、公共施設、交通機関もとなると、全体的に仙台人の価値観や道徳観の変化や低下を感じます。特に「恥」という概念が希薄になっているのではないでしょうか。(これは日本人全体の問題かも知れません)>(Mさんのメールより転載)

異文化、多文化に関しては、理想や建前だけで語ればいい時代ではなく、現実の中で葛藤を解決していかなくてはならない時代になっているということであろう。それにしても、高い理想やは忘れないようにしたい。

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学生のグループ発表

大学の演習(ゼミ)などで、学生にグループ研究の発表をしてもらうと、なかなかいい発表になることが多い。今は、インターネットでいろいろ調べられるということもあるが、その内容もさることながら、発表のプレゼンが上手で、思わず聞き惚れる。
今週の敬愛の2年生の専門研究の演習では、「子どもとマンガ」という題で、大学生に対して実施したマンガに関するアンケートの結果の報告の他に、マンガに関する学生たちの知識の広さや思いの深さ(好きなマンガ本のシリーズを揃え、繰り返し読むという学生も多い)を知ることができた。マンガの内容を一人が語り、それをめぐってさまさまな議論と笑顔が飛び交う学生の様子は、私の教育の話を聞く時の様子と大違い。心から楽しんでいる。
「マンガは創造力を培う」という学生の説明に、私は「マンガは映像から人の心理を想像するのに対して、小説は文字から場面(映像)を想像するので、その想像(創造)力の方向は逆。どちらも大切」とコメントするのがせいぜい。
皆が読んでいる『ワンピース』についてひとしきり議論があったが、読んでいない私にはちんぷんかんぷん。昔読んだあだち充の『タッチ』についても詳しく読んでいる学生がいて、その登場人物の関係について大変な盛り上がり。(私も藤村正之氏の「タッチ論」*を読み返してみようと思った)。

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クリスマスのイルミネーションー地区による格差

世の中景気がよくなっているわけではないが、不況という言葉もあまり聞かれないような気がする。不況が常態化して、人々の暮らしが慎ましくなっているのであろう。
クリスマスが近いが、以前は近所でも各家々にクリスマスのイルミネーションをきれいに飾る家がかなりあり、夜の散歩がてらそれを見に行く楽しみがあったが、近頃それがめっきり少なくなり、夜の散歩の楽しみがなくなった。
その代わりに、街(都会)ではクリスマスのイルミネーションの豪華さがすすみ、庶民の目を楽しませてくれる。ただ12月7日に東京駅を通ったので途中下車したが、丸の内側の通りの点灯はなく、12月8日の新宿南口の点灯はあり綺麗であった。人だけでなく地区により予算(費用)の格差があるのであろうか。

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